浮世絵に描かれた江戸時代の相撲

浮世絵に描かれた江戸時代の相撲

Sumo in the Edo period depicted in ukiyo-e

鬼面山谷五郎 出羽海金蔵/葛飾北斎筆(春朗)
江戸時代・18世紀
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日本の相撲の歴史は古く、古事記(712年)や日本書紀(720年)の中にも力比べの試合の様子が書かれています。神事や祭りとして行われ、伝統的な武道の一つです。江戸時代も相撲の人気は高く、人気力士の姿が浮世絵に描かれました。その一部をご紹介します。

荒馬・鴻ケ峰/勝川春英筆
江戸時代・18世紀
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谷風・江戸ヶ崎・柏戸/勝川春好筆
江戸時代・18世紀
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大きな力士の姿は画面いっぱいに描かれています。現在でも聞かれる名前も見られます。

谷風・瀧ノ音/勝川春英筆
江戸時代・18世紀
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梶浜・陣幕/勝川春英筆
江戸時代・18世紀
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両国橋を渡る力士一行。周囲の江戸の人たちよりも倍位大きいですね!浮世絵はデフォルメしていますが、実際に一般の人よりもとても大きかったのでしょう。現在もお相撲さんに会うとビックリするくらい大きいですよね。

両国勧進大相撲晴天大當繁昌之圖/勝川春章筆
江戸時代・18世紀
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赤沢山の近隣の武将が狩猟の後に行った余興としての相撲。武士の楽しみです。

赤沢山の相撲 3枚続 左/勝川春章筆
江戸時代・18世紀
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赤沢山の相撲 3枚続 中/勝川春章筆
江戸時代・18世紀
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赤沢山の相撲 3枚続 右/勝川春章筆
江戸時代・18世紀
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北斎漫画にも描かれています。お茶目な力士。

北斎漫画 葛飾北斎
The New York Public library digitalcollections

当時、相撲と関係の無い分野でも番付表を作って宣伝をしていました。温泉番付やグルメ番付などなど、こちらは芝居番付。庶民に相撲が人気で番付表は分かりやすく、宣伝に効果的だった証拠です。

芝居番付 寛政七年卯霜月 都座/鳥居清長筆
江戸時代・寛政7年(1795)
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木々康子著「春画と印象派〜”春画を売った国賊”林忠正をめぐって」

木々康子著「春画と印象派〜”春画を売った国賊”林忠正をめぐって」

木々康子著「春画と印象派〜”春画を売った国賊”林忠正をめぐって」を読みました。林忠正は筆者の義祖父に当たるそうで、明治時代にパリで日本画を広めた画商です。

印象派の画家達が日本の浮世絵に多大な影響を受け、ヨーロッパの美術界が激変したことを知る人は多いですが、その陰に林忠正(はやしただまさ)という美術商(当時は美術商という言葉は無く、「骨董屋」です)がいたことはあまり知られていません。なぜなら、国の恥ずべき絵画=春画をヨーロッパに持ち出し売った、「国賊」とされていたからです。

「春画と印象派」2015年 筑摩書房

今回読んだ「春画と印象派」では林忠正が「北斎漫画」や「富嶽三十六景」などの有名な浮世絵とともに春画も大量にヨーロッパに輸出し、それが印象派の画家たちに多大な影響を与えた事が書かれています。印象派の画家達は、北斎や歌麿らが描いた春画を見ています。そして春画などの浮世絵を求めるときは林忠正を訪ねました。

当時西洋画で裸の女性を描くときは必ず女神や聖女など、神格化された人でないと描けませんでした。普通の女性の裸体を描くのはいけないことだったのです。ですが、普通の男女や普通の夫婦を描いた春画の影響を受け、マネが「草上の昼食」で普通の女性が裸体でいるシーンを描きました。洋服を着ている男性の横で全裸の女性がいるのは不思議な構図でよく分からないな、と常々思っていましたが、これは西洋の戒律を破る革新的な絵画だったのですね。まあ、全裸の女性にきちっとしたスーツの男性を描くより、春画の方がよほど自然だとは思いますが、、、。

春画の本も沢山出版されています。現在は無修正で出版可能になりました。版画ではなく肉筆の春画もあります。肉筆はさらに美しいです。

また、ヨーロッパはキリスト教の国で戒律が厳しく、特に女性は男性にとって性欲を掻き立てる「」とされていたため、抑圧されていたのに対し、日本の女性の方が自由であり、性=悪ではなかった。そのため春画が描かれ生の喜びが描かれました。(きっとキリスト教圏では悪魔との交わりになってしまったのでしょう、、、。)また、現代は日本と比べてヨーロッパの女性の方が社会的地位が高い人の割合が多いのは、歴史的に抑圧されていた反動からフェミニズム運動が起こり、女性自らの手で地位を獲得した結果です。対して日本の女性は昔から精神的に抑圧されていなかったため、大きなフェミニズム運動が起きにくい、という背景があるということをこの本で学ばせていただきました。

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日本人が浮世絵の価値を理解でなかったために世界に散逸してしまいましたが、林忠正のおかげで世界で日本画と浮世絵が保護されていたのだと思うと林忠正と諸国のジャポニズムコレクターに感謝しか有りません。また、林忠正は数々の日本画とともに膨大な印象派のコレクションもあり、日本で美術館を開きたかったようですが、残念ながらそれが実現することはありませんでした。当時の明治政府の理解が全く得られなかったからです。残念ではありますが、理解を得られない日本に持って帰って来なくて正解だったのかもしれません。

パリ万博でも貢献し、日本美術の素晴らしさを世界に広めたにも関わらず、「国賊」として長らく歴史の闇に葬られていた林忠正の功績はもっと知られるべきだと思います。さらに現在でも春画を展示するのは大変なようで、先日の吉原展でも展示されず、未だ春画の価値が認められないのでしょうか?

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印象派の作家達の時代背景と春画から受けた影響など書かれていて勉強になりました。林忠正は日本の芸術を世界に広め、日本人で初めて世界を相手にビジネスを行った一人であることは間違い有りません。

この本で改めて林忠正の功績を学ぶことができましたが、私が林忠正を知るきっかけになったのは原田マハ著「たゆたえども沈まず」。この小説はゴッホを主役とした話ですが、林忠正との交流が描かれています。こちらは小説ですので、どこまで史実かは不明ですが、あの時代に芸術の中心地パリで活躍した日本人がいるんだ、と衝撃でした。ゴッホの苦悩の人生も書かれているのでおすすめの一冊です。

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江戸の小紋集『小紋雅話』

江戸の小紋集『小紋雅話』

山東京伝作の「小紋雅話(こもんがわ)」という小紋の図案集のデータ化を試みました。

「小紋雅話」は寛政二年(1790年)蔦屋重三郎により出版された小紋模様見立絵本です。山東京伝の小紋集は好評だったようで、天明4年(1784年)「小紋栽ざい」、天明6年(1786年)「小紋新法」に続き3冊目に出版されたのがこの「小紋雅話」でした。

江戸の人は洒落好きだったので洒落の効いた風変わりな小紋です。実際にこの柄の着物が作られていたのかは分かりませんが手拭いや小物にするのは楽しそうです。

山東京伝(1761年〜1816年)は年齢的には葛飾北斎の1歳年下浮世絵、読本、絵本の全盛期に戯作者、浮世絵師として活躍しました。浮世絵師としての名は北尾政演。寛政の改革のため、小紋雅話が出版された翌年の寛政三年には洒落本が禁令を犯した罪で手鎖50日の処分を受けています。しかし、その後も蔦屋重三郎と組み、多くの作品を残しました。

小紋雅話』は江戸人の豊かな発想力と笑いを求める明るさ、大らかさが詰まった図案が156案描かれています。その図案を全てベクターデータ化しました。資料が古く鮮明では無いため、私の解釈でのデータとなりますのでご了承ください。順次illustACにて無料配布致しますので是非、風変わりな江戸小紋をお楽しみください。

『天竺にてはかんなクズを見て字を作し、オランダにては牛の涎を見て字をなす。唐の蒼頡(そうけつ)は鶏の足跡を見て、字を作りたると聞ゆ。われはまた犬の足跡を見て梅の花と見たて、書なるか、字なるか。いっこう分からざる物数十を作し、名付けて小紋雅話という。これももんがぁの類いにして、いずれ怪しかるべし。』〜小紋雅話叙

参考資料:「滑稽本集」日本名著全集刊行会刊

ダウンロードはこちらから  → illustAC

江戸の日本酒双六『新撰銘酒寿語禄』に載っている老舗は残っているのか探してみた

江戸の日本酒双六『新撰銘酒寿語禄』に載っている老舗は残っているのか探してみた

I tried to find out if the long-established sake breweries listed in the Edo-period sake sugoroku “Shinsen Meishu Jugoro” still exist.

ざっと75個もの酒樽が並んだこちらの絵は江戸時代末の江戸で愛された銘酒双六です。日本酒老舗探しには格好の資料!と言うことで調べてみました!

双六なので、右下の樽が「振り出し」。中央の、「一御酒百駄」が「上がり」です。江戸時代の双六は、どうやって遊ぶの?ほんとにこれで遊んでたの?って思いますが、とりあえず、デザインとしてこの双六の形態が好まれたことは確かなようですね。

新撰銘酒寿語禄
江戸時代末期 作・梅素亭玄魚
縦71.0㎝×横75.0㎝

右端の提灯に「下り酒問屋」左の提灯には「地回り酒問屋」と書いてあります。下り酒は、関西地方から船で下って江戸に入る酒地回り酒は江戸近郊の陸路で江戸に入る酒の事です。上に松飾りがあるので、正月に酒問屋が宣伝用に配ったのかもしれません。

この75樽の中から、現在も残っている酒蔵はどれくらいあるのかな〜と調べてみました。双六なのでどうやらこの樽のは酒の名前ではないのかも?というものもあるし江戸の文字は読めないし、苦戦しました。ネットでの検索なので定かではありませんが、22銘柄、見つけました。

一番上右の「正宗」と「江戸一」は1625年創業の桜正宗の銘柄です。「正宗」は清酒の代名詞でした。左から3列目の「旗頭」は文政元年1818年創業の黄金色酒造と思われますが、こちらは焼酎なんですね。焼酎も美味しい。その隣「龍神」は群馬県の龍神酒造と思われますが、蔵元の詳しいことが分からなかったのですが、お酒は美味しそうです〜。

上から2段目右から3列目の「寿海」は沢の鶴で1840年頃から作り続けている銘柄だと思われます。『♪さわ〜あの〜つ〜る〜』のCMでお馴染みですが老舗だったんですね。その隣の「日本橋」(橋が絵になってます)は1805年創業の横田酒造。埼玉県です。「日本橋」の銘柄は創業者が日本橋の酒問屋で働いていたところから付けられました。左から4番目「白鹿」は寛文2年1662年創業辰馬本家酒造です。江戸時代の看板に「宜春苑 長生自得千年寿 白鹿」と書かれていたそうですが、ここにもそのままのコピーが書かれています。

上から3段目左から4列目の「福寿1751年創業の神戸酒心館で13代にわたりこの銘柄を作り続けています。すごい!同じく3段目の右から2番目「高砂」は1830年創業の富士高砂酒造と思われます。

4段目、一番左「岸の」は1789年創業の井上酒造と思われます。左から2列目は「剣菱」ですね。このマークは目立ちます。企業マークの重要性を感じます。現在も現役バリバリですね。その剣菱の一つ飛ばして右は「相生」は岩手県の1829年創業、わしの尾酒造。

5段目中央、上がりの下の「白雪」は天文19年1550年創業の小西酒造です。清酒発祥の地、伊丹にあり、現存する最古の清酒銘柄です!隣の「丹頂」は沢の鶴にこの銘柄のお酒があるので、沢の鶴でしょうか。その隣「」は寛保3年1743年創業のおなじみ、白鶴です。さらにお隣、右から2番目「鶴齢」(鶴が絵です)は享保2年1717年創業の青木酒造。コメどころ新潟県魚沼です。

6段目右から2列目は寛文5年1665年創業の盛田だと思われます。銘柄は読めませんでした、、、。

7段目一番左「雲龍」は天保10年創業の山星酒造と思われますがこの銘柄はもう作られていないかも、、、。「末廣」は嘉永3年1850年創業の末廣酒造。福島のお酒の飲み比べの時にも紹介しました!

8段目、一番下の段の左端「志ら梅」は岩手県の元禄時代創業の志ら梅酒造と思われますが、詳しいことは分かりませんでした。中央の「力士」は寛延元年創業の釜屋。埼玉県の蔵元で、現在でも「力士」の銘柄は販売してます。その隣「万上」はあのマンジョウ本みりんの万上です。文化11年には販売され大人気になりました。みりんは発売当時は甘いお酒として飲まれていましたが、江戸中期から料理に使われるようになりました。1925年に野田醤油(現在のキッコーマン)と合併され、現在でもマンジョウ本みりんは製造販売されています。

他にも現存する蔵元があるかもしれませんね。あと、読み間違いとか、同じ銘柄で蔵元が違う、とかあったらごめんなさい。そして、江戸の人は本当、酒好きですね〜。とりあえず、あとは味見だけ!どこから試そうか迷います!!

江戸時代の本を読んでみよう!

江戸時代の本を読んでみよう!

Let’s read books from the Edo period!

最近、江戸の本、式亭三馬(安永5年1776年〜文政5年1822年)の『浮世風呂』(文化6年1809年に前編が出版)を読んでおります。江戸時代に刷られたの本ではなく昭和に再出版された本です。昔の本も欲しいのですが、昔の仮名遣いは読めないので内容を理解したい時は再出版の方が読みやすいです。でも言葉はそのままなので、半分理解できていないところもあって読むのに時間もかかりますが、案外分かります。学生の時に習った古文よりも江戸の言葉の方が現代語に近いですし、さらに現代語訳が併記されている本だとかなり楽です。ちなみに漢文で書かれている作品は完全にお手上げです。学生時代にしっかりと漢文の勉強をしておけば良かった、、、。でも漢文で書かれた本は完璧に現代語訳されているものがほとんどだと思います。

溢れそうな本棚。図書館みたいな本棚に憧れます。中央の右の黒い本が式亭三馬の浮世風呂と浮世床。

内容的には、ライトノベル的な感覚で読めます。ただ、江戸の人との感性の違いや知識、流行も違うので意味が分からない事も多々ありますが、200年以上前の人も同じ様なことを言って、同じ様なことで笑って怒っていたんだな、と思うと、江戸を身近に感じます。

昭和5年出版の本です。最近の出版とは言えないですね。でも句読点や改行があるので読み易い。

こちらのハードカバーは昭和初期に出版されたのですが、句読点もあり、改行してくれているので読みやすいです。現代語訳はないのですが、本文の上に注釈があるので大体理解できます。それでも、所々意味不明ですが、英語の本を読む時も、分からないところは飛ばしていいから、量を読め、って聞いたことがあるので、あまり気にせず読むことに。

賑やかな湯屋の様子を描いた挿絵です。男湯のはずなのに中央に女の人がいますね。混浴禁止だったはずですが、江戸以外はほとんど混浴だった様で、子供をあやすお母さんが脱衣所にいても周囲の人は誰も意に介さず。話の中でもお父さんやご主人を呼びに男湯に女の人が平気で入ってきます。ちょっとびっくり。今では考えられない。

浮世風呂』は江戸の湯屋(お風呂屋さん)でのごく日常の出来事会話形式で短編の話にしていて、江戸の人たちの生活が垣間見れる作品です。どこの家に子供が産まれた、とか、子供連れのお父さんが熱い湯を嫌がる子供をあやしながら一緒に湯に浸かっている様子、とか、女湯では、化粧の濃いのは良くない、薄化粧の方がいいよね、なんて会話していて、今と変わらないよな〜ってしみじみ思います。お風呂で起こる出来事はちょっとした喧嘩や湯当たりで倒れちゃう、といったほのぼのとしたエピソードばかりです。江戸時代は現代と違う不条理もあったと思いますが、のんびりした時間を過ごしていて憧れます。

中村が初めて作ったCGはこの『浮世風呂』からインスパイアされた作品でした。

二階建ての湯屋の構造が分かるCG。左側が男湯、右が女湯。男湯からのみ2階へ上がれました。2階は庶民の社交の場。

温泉でなく、スーパー銭湯でもなく、普通の銭湯に行ったのはいつでしょう、、、。もう少しコロナが収まったら浅草あたりの昔ながらの銭湯に行きたいものです。

その他、まだ数冊しか読んでいませんが、初心者に楽しく読めたのは妖怪の話です。絵も面白いし、妖怪とかお化けとかは時代を超えて人気ですね。

江戸の浮世絵師・鍬形蕙斎の描いた越後屋とcgで製作した越後屋を比べてみた

江戸の浮世絵師・鍬形蕙斎の描いた越後屋とcgで製作した越後屋を比べてみた

江戸の絵師・鍬形蕙斎(明和元年1764年〜文政7年1824年)はもともと浮世絵師で北尾政美(きたおまさよし)と名乗っていました。紹真(つぐざね)という名前もあります。江戸の畳屋に生まれ北尾重政に弟子入りしました。同じ重政の弟子には北尾政演(きたおまさのぶ)=山東京伝がいます。狩野派や大和絵、西洋の解剖学も学び、あらゆる画法を駆使して描き、「江戸の工夫者」と称されました。寛政8年に津山藩八代藩主松平越後守津山候康哉(やすちか)の家臣となり、さらに狩野派の門人となり、鍬形蕙斎と名乗りました。この後は浮世絵ではなく、肉筆画の制作に専念しました。

鍬形蕙斎 略画式 寛政7年(1795年)
出典:Smithsonian free gallery of art 
 略画式シリーズの最初の本で人物、草花樹木などが描かれている。脱力系のかわいいキャラがたくさん。最近、雑貨のイラストにも使われていますね。

鍬形蕙斎は意外と資料が残っていなくて詳しいことは分からない謎の絵師のようです。残念ながら鍬形蕙斎研究の著作物も少ないです。

鍬形蕙斎=北尾政美の代表作は鳥獣略画式人物略画式、そして「近世職人尽絵詞」です。略画はその通り、シンプルで簡単に描かれたものですが、とても可愛らしく、最近流行った、『かわいい浮世絵』の代表です。

近世職人尽絵詞」は江戸の職人と庶民の生活が描かれているのですが、柔らかい筆遣いで、軽やかに当時の人々を描いています。職人の絵だけなのかと思っていたのですが、越後屋や寺子屋、様々な商店の中の様子が分かる絵も多く当時の風俗もよく分かり、歴史資料的な価値もあります。

近世職人尽絵詞 鍬形蕙斎筆 江戸時代・19世紀紙本 3巻 淡彩
大工の仕事の様子。真ん中の人が、背中の日焼けまで描かれています。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム
近世職人尽絵詞 鍬形蕙斎筆江戸時代・19世紀紙本 3巻 淡彩
右の文字に駿河町越後屋と読めます。越後屋の内部です。繁盛している様子がわかりますね。活気があって楽しそうな雰囲気が伝わります。会話や笑い声が聞こえてきそう。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム
越後屋内部のCG再現。CGになると日本家屋の重厚感があります。広さとか建物の作りはCGだと分かりやすい。

葛飾北斎(1760年〜1849年)と鍬形蕙斎は同時代の人で「北斎嫌いの蕙斎好き」という言葉もあるぐらい評価も高く、比較されました。それは鍬形蕙斎が評判になると、北斎が同じ画題で絵を描き、それ以上に売りまくる、といった事が実際にあったようで、北斎は俗っぽい、鍬形蕙斎の方が、品が良くて好き、という蕙斎ファンがいたようです。実際に2人の絵を比べてみると、鍬形蕙斎は柔らかく暖かく、確かに品が良いとも言えます。北斎は力強くてパワーがあり、自己主張が強いように思います。確かに俗っぽい。でも私はそんな北斎の俗っぽくて、自分は絵を描くしかないんだよ、っていう芸術家の叫びが好きです。

歴史CG作家中村宣夫HP
たくさん作品をご覧になりたい方はこちらから。
江戸城、日本橋、長屋、吉原などなどご覧いただけます。

葛飾北斎の描いた江戸の平和な日常

葛飾北斎の描いた江戸の平和な日常

The peaceful daily life of Edo as depicted by Katsushika Hokusai

最近、戦争のニュースが連日報道されています。平和な世の中でなければ人々の生活は豊かにならないし、文化も発達しません。でも人間の歴史は戦争とともにあります。こんなにも人間という生き物は戦うことが好きなのか、と絶望的になってしまう時もあります。

世界的に稀な事のようですが、日本の歴史の中には戦争が起こらない平和な時代が2回あります。平安時代は約400年間続きました。江戸時代は265年間。長い戦国時代を経て泰平の世を、と願い、徳川幕府ができました。その泰平の時代に日本の独自の文化は華開きました。生活も豊かになり、のんびりとした平和な時間を描いた葛飾北斎の名画を紹介します。

新板大道図彙・石町 葛飾北斎筆 文政8年(1825)頃 横四つ切判 錦絵 
平和で豊かな江戸の町の日常の一コマ。大好きな絵です。
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新板大道図彙・通町 葛飾北斎筆 文政8年(1825)頃 横四つ切判 錦絵
子供達が楽しそうに遊んでいるのを大人が優しく見守っています。温かい町の風景です。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム
ビアズリーは北斎に影響されているのか?調べてみました

ビアズリーは北斎に影響されているのか?調べてみました

Was Aubrey Beardsley influenced by Hokusai? I investigated.

北斎とビアズリーの関係を調べてみました。北斎の図版を見ていたときに、ビアズリーのサロメの絵を思い出しまして、絶対に北斎の影響がある!と調べてみました。ちなみに1849年に葛飾北斎は亡くなっているのでビアズリーが北斎に影響を与えた可能性はありません。浮世絵が印象派に多大な影響を与えたのは有名ですが、やはり、イギリスの芸術家にも影響を与えていました。正直、イギリス美術は日本ではフランス美術ほどメジャーではないので、あまり知られていないんですよね。

オーブリー・ビアズリー(1872〜1898年)イギリスのイラストレーター、挿絵画家として有名です。日本で一番有名なのはオスカー・ワイルドの「サロメ」の挿絵。26歳の若さで亡くなるまで、黒のペン画でグロテスクでエロチックな独自の世界観を表現しました。

Aubrey Vincent Beardsley 
サロメより「お前の口に口づけしたよ」

浮世絵は芸術家仲間から教えてもらったようで、春画を壁にはり、母と姉から嫌がられていたそうです、、、。ビアズリーのエロチシズムは春画に刺激されたのでしょうか。

特に影響を受けたのは「北斎漫画」だろうと言われていますが、私が影響を受けたのではないか?と思った北斎の絵は「勢田橋竜女本地」(文化8年1811年)です。サロメは戯曲ですが、この「勢田橋竜女本地」は浄瑠璃本でその挿絵という共通点と、首を差し出す、という似たシーン。また、サロメの絵は挿絵として描いた訳ではなく、イギリス版が出る前のフランス語版の「サロメ」にインスパイアされて描いた絵なので、北斎の絵を思い出して、自由に、似たようなシーンを描きたくなった、なんて事が合ったのではないかと思います。あくまでも私の推測ですが、、、。後に正式にイギリス版の挿絵を依頼されますが、作者のワイルドは「日本的すぎる」と、あまり気に入らなかったそうです。

葛飾北斎「勢田橋竜女本地」文化8年(1811年)新・北斎展カタログより
話の内容は調べたのですが分からなかったです。残念。
うっすらと亡霊のように女性の首や煙のようなもの、狐と思われる動物が描かれているのがおどろおどろしい。
浮世絵初心者でも楽しめる!北斎漫画について〜その1〜

浮世絵初心者でも楽しめる!北斎漫画について〜その1〜

Even beginners to ukiyo-e can enjoy it! About Hokusai Manga ~Part 1~

先日、古本ですが「北斎漫画」を全編購入しました!江戸時代に刷られたものが欲しいですが、そんな財力は無いので、昭和に発売された、浮世絵研究で有名な永田生慈先生が監修の本を購入しました。

言わずと知れた「北斎漫画」。文化11年(1814年)から明治11年(1873年)まで全編15編出版されました。ちなみに北斎は嘉永2年(1849年)4月18日に90歳で亡くなっています。生前に出版されたのは十二篇まで、それ以降は没後、と言うことになります。

十五篇合計で4000近い図があり、動植物、岩、水、風、空想上の動物人間、波、お墓、村、歴史上の人物や高僧、庶民の生活、武士、魚、犬猫、虫、トカゲ、神仏、風景、コマ絵の相撲や踊り、剣術や槍の稽古風景、幽霊、バケモノ、文様、野菜、おもちゃや生活道具、騎馬武者、龍、樹木、草などなど、、、。購入した本も分厚いハードカバーで3巻分です。

ART INSTITVTE CHICAGO – Hokusai manga
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北斎の絵を見るといつもそのデッサン力に、つい「うまいよな〜」と呟いてしまいます。そして必ず北斎の個性が光っている。凄い人です。

ホクサイスケッチ」として欧米でも有名になり、浮世絵ブームの火付け役になりました。印象派のマネやポスト印象派のゴーギャンもスケッチを真似しています。エミール・ガレのガラス器のデザインにもなりました。

北斎漫画」初編は名古屋で描かれました。名古屋永楽屋と江戸の角丸屋の出版になっています。その時の広告のコピーには、名古屋永楽屋「先生の物に感じ興に乗じ折にふれ心に任せてさまざまの妙図を写たる編〜」江戸角丸屋「興に乗じて心にまかせてさまざまの図(かたち)を写す編〜」とあります。まさに北斎の心に写った万物を描いているようです。しかし、当初は増え続ける各地にいる北斎の弟子やファンの絵手本としての目的が大きかったようです。ですが、大衆に大人気となり、続編が次々出版されて一大ブームになってしまいました。いまだに「北斎漫画」が出版されていますから、200年に渡る大ベストセラーです。

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マンガ」という言葉の語源といわれていますが、タイトルを考えたのは北斎だそうで、たくさんの物を気の向くままに写した、というような意味合いだったようです。でも内容が滑稽なものやパロディな絵が多かったので、言葉が現在の「マンガ」の意味に変化していったのでしょう。そういう意味では確かに現在の代表的日本文化のマンガに多大な影響を与えていると言えると思います。

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江戸の着物文化〜浮世絵に見る美と身分の世界江戸の着物文化〜

江戸の着物文化〜浮世絵に見る美と身分の世界江戸の着物文化〜

Kimono Culture in Edo: Beauty and Class Through Ukiyo-e Art

鬼滅の刃「遊郭編」の遊郭でのバトルも佳境ですね。今週は良いところで終わってしまった!堕姫の攻撃が帯、って凄いな、武器になるんだ〜。確かに重いし動きが制約されちゃうからある意味武器、、、。でも当時の人は着物が普段着だったわけで、もっと緩い感じで着ていたそうです。そんな江戸の人の着物はどんなだったのか見てみたいと思います。

「美人と水売り」 歌川豊国筆 18世紀 大判錦絵
街で評判の娘さんがモデルでしょうか。モデル並みのスタイルですね。水売りは、夏に冷たい水に白玉と砂糖を入れて売っていました。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

着物の原型はすでに縄文時代からあったようですが、平安時代には百人一首の姫の絵のような十二単があり、かなり今の着物に近づいています。室町時代には現在の着物の形の小袖(袖幅がやや狭く、袖丈が短い)ができました。昔は位や身分によって衣服が決められていました。一目見てその人がどんな人なのか分かるようにしていたんです。

江戸時代も男性の着物は身分で決められていました。武士は小袖に裃(かみしも)か羽織、袴商家の主人は紋付、小袖、絽(ろ=夏の薄い透ける着物)、郡内紬(ぐんないつむぎ=山梨県の郡内地方の織物)、縮緬(ちりめん=強くよった糸で表面をデモボコに織った織物)が許されていましたが、贅沢をすると罰せられました丁稚麻か木綿のお仕着(主人から支給される着物)。手代や番頭になると前掛けを許されました。前掛けできるようになると出世したってことです。大工や左官などの職人ふんどしに半纏でしたが、のち紺の木綿半纏に股引、腹掛けになりました。この半纏の藍染を見た外国人が「ジャパンブルー」と称賛し、現在でも日本のイメージになっています。海に囲まれた島国だけれども南国のように明るい青ではなく、深い藍。良い色ですね〜。このように服装が差別化されていたので、時代劇を見ても一目でどんな身分かわかります。鬼滅のお館様も羽織袴で明らかに武士ですね。

では女性はどうだったのでしょう。女性の場合は身分よりも立場によって服装が違いました。結婚しているかどうか、年齢がどうか、ってことです。女性は小袖を着ています。娘時代は振袖を、結婚したら留袖(短い袖)を着ました。19歳で元服なので、それを過ぎたら結婚していなくても留袖を着たようですが、いつの時代も女性は若く見られたいもので、二十歳を過ぎても振袖の人もいたそうです。現代の成人式に振袖、というのは本当は違うんですね。十代までの着物だったんです。

「山東京伝の見世」 歌川豊国筆 横大判錦絵
この店は戯作者、現在の京橋にあった山東京伝の店で紙製のキセル入れやタバコ入れを売っていて当時評判でした。中央に立っている女性は振袖なので娘さん、座っているのは留袖なのでお母さんでしょうか。相手をしているのは前掛をしているので番頭か手代。立っている男性は袴は履いていませんが、刀を持っているので武士の着流し(袴を履かない、カジュアルなスタイル)。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

鬼滅の刃の堕姫が武器にしていた着物の帯ですが、江戸の初期は細帯でした。着物にお端折り(帯の位置で折り返して長さを調整する部分)もなくて、この方が断然楽ちんだったと思います。泰平な世の中になったからでしょうか、徐々に着物が長くなりお端折りもでき、帯も太くなって色々な結き方が生まれました。おしゃれを楽しんだんですね。

「雛形若菜初模様・玉や内しら玉」礒田湖龍斎筆 18世紀 大判錦絵
当時の有名な花魁。帯は前です。当時の美人画は若女性のためのファッション誌的な役割もありました。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

さて、堕姫は遊女です。遊女の着物の帯、遊女だけが帯を前で結んだんですね。脱ぎ着しやすく、仕事上この方が都合が良かったってことです。当時の花魁はファッションリーダーでしたが、いくら花魁が評判で美しくても、堅気の女は必ず後ろ帯です。美人画などの浮世絵を見る時も帯を見れば遊女かどうか判別ができます。