江戸のCG作品紹介

江戸のCG作品紹介

中村宣夫のオススメ江戸CG作品ベスト10

中村宣夫のオススメ江戸CG作品ベスト10

中村宣夫のオススメ江戸CG作品ベスト10を独断と偏見で選んでみました!
HPで公開していない作品も選んでいます!

10位 日本橋越後屋呉服店内部

越後屋(現在の日本橋三越)の賑わい。着物を買いに行きたくなる店内です。

9位 火消し

瓦が落ちて今にも崩れそうな表通りの大店。昔の火消しは鳶です。家を壊して消火しました。


8位  両国の花火大会

見せ物小屋とたくさんの屋形船。ワクワクします。

7位 千利休の茶室

侘び寂び。10年くらい前の作品です。シンプルで華やかさはないけど好きな作品。

6位 江戸城天守 慶長年度 徳川家康江戸始図

江戸城と言ったらコレです!

5位 日本橋通り〜熈代勝覧

江戸日本橋を描いた絵巻「熈代勝覧」をCGで制作。大工が家を建設中のシーンは活気が感じられて楽しい。

4位 湯屋の番台

湯屋は面白いシーンがたくさんあって、選ぶのが難しい!洗い場も2階も、風呂を沸かす裏側も面白い。でも「昼間からこんな銭湯に行ったら気持ちよさそう〜」ということでこちらを選びました。

3位 日本橋

浮世絵風にデザインされています。奥に見えるのは江戸城の富士見櫓。遠くには富士山が。この世界に入ってみたい。

2位 夏の長屋の夜

蚊帳の中で親子三人。狭い長屋の幸せな時間。


1位 吉原張見世

葛飾北斎の娘、応為の作品にインスパイアされて製作した作品。妖しい蝋燭の光と妖艶な遊女。

以上10作品ですが、私の好みでのセレクトです!江戸城がインパクトもあって人気ですが、私は江戸庶民の生活が感じられる作品が好きです。元々湯屋や長屋から作品を作り始めているので私にとっては中村の作品は湯屋、長屋、日本橋が最高です。

でも改めてHPを見たりすると、こんな作品もあったな〜と思い出したりして10作品を選ぶのはかなり悩みました。ちなみにベスト10から漏れたのは吉原扇屋、桜田門外ノ変、江戸城御殿内部、江戸城三天守、色々な商店、宿場町などなどやっぱりベスト20にすれば良かったかな。こちらの作品はHPにありますので是非ともご覧ください。

中村宣夫HP

こちらで紹介した以外にもたくさんの作品を掲載しています。

中村の作品の良いところは細部までこだわって緻密に制作しているところですが、それ以上に作品に独自の色というか雰囲気、空気感があるところだと思います。もしかしたら同じ資料を見たら同じような作品を作ることは他のクリエイターの方にも可能だと思いますが、CGも作者の個性が出るので全く同じものには出来ないと思います。鉛筆で同じものを描いてもそれぞれ違う作品になるのと同じですね。

膨大な作品の中の一部ですが、これからも中村の作品をお楽しみください。

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3DCGで再現した 江戸城

歴史に詳しくない、私のような人は「江戸城どこにあるの??」と思う方も多いのではないでしょうか。私は東京出身なのですが、若い頃は東京に城があったの??っていう感じでした。東京の中心にあるのは天皇陛下が住んでいる皇居でしょ、みたいな、、、。最近の若い人は知っているのかな。皇居は江戸城跡だという事を。「江戸城址公園」とかだったらわかりやすいですよね。名前が変わっちゃっているのが最大の原因だと思いますが、もし現在の皇居に江戸城がそのまま残っていたら東京の景色は違うものだったでしょう。

東京のど真ん中にあったら、、、。かっこいいな。

城と言えばそのシンボル「天守」が無いのも城感が無い要因の一つ。姫路城のように堂々と天守がそびえていると「城」って感じがします。江戸城の天守は徳川家康、秀忠、家光の頃に建てられましたが、明暦の大火で焼失し、江戸の復興を優先したため天守は再建されませんでした。再建の計画はされたようですが、泰平の世に天守は必要ないと判断した、当時の首脳陣は賢いですね。
そもそも「天守」は戦の時に必要なものです。遠くまで見渡す見張りの役割をし、そこから攻撃、籠城もできる。力を誇示し、領地の支配者のシンボルとなる。でも戦国の世が終わった江戸時代には必要ありません。もちろん建立には莫大な費用がかかりますから、江戸の庶民が大火で困っている時には単なる贅沢品にしかならない、という判断だったのでしょう。
でも正直、今、天守があったら、東京の最大の観光地で経済効果もあっただろうな、と思います。見てみたい!もちろん日本最大で、高さ約45m、姫路城よりも10m以上大きかったそうです。

ちなみに、「天守閣」という言葉もあります。私もよく「天守閣」と言って、主人に「天守だよ」、と指摘されておりますが、正式名称は「天守」で、「天守閣」は俗称だそうです。豪華な建造物に「閣」という言葉をくっつけるそうで、庶民が「天守閣」と呼んだのが広まったそうです。

また、城=天守ではありません。将軍が政務を行い、居住する、広大な「御殿」がありました。こちらが本来の城の役割です。今の国会議事堂と首相官邸と各省庁を兼ねた建物になります。江戸城にはこの御殿も残されていません、、、、。大名達と謁見する広間や執務を行う中奥、将軍の妻と子が住む大奥など、迷路のように広大な屋敷がありました。広大な御殿に慣れない大名は迷ってしまうので案内役もいました。

Kindle本 江戸城より

そんな江戸城を3DCGで再現しています。制作には約10年。初めは外観だけでしたが、現在は御殿内部まで製作しています。現存していたら是非みてみたい江戸城、残念ながら叶わないので是非CGでご覧ください。

Kindle本では歴代三つの天守と再建されなかった四つ目の天守、御殿の内部、将軍の生活、大奥の内部をHPよりもさらに高画質な3DCGでご覧いただけます。

Kindle本  江戸城 歴史CG作家中村宣夫作品集

銭湯の歴史

CGで再現した江戸時代の湯屋

最近、また銭湯が見直されてきました。各家庭の内風呂が普及した昭和40年代から銭湯は徐々に減少してピーク時の1/10にまで減ってしまったようですが、若者が行きやすい造りにしたり経営を工夫したりとまた銭湯が注目されています。スーパー銭湯や温泉は相変わらずの人気ですし、ただ単に汚れを落とすだけではなくて、日本人にとって『銭湯』や『公衆浴場』は大切な一つの文化なのだと実感します。数年前になりますが、都内の子供の頃に通っていた銭湯(家に内風呂があったのですが、時々行っていました)の前を通ったら破風造りの入り口が残っていて、感動しました。その時は残念ながら時間が無く、写真を撮って帰ってきただけなのですが、今度入りに行こう!と思って調べたら、もう無くなっていたようです、、、。ショック(泣)。

そんな大好きなお風呂屋さんの歴史についてです。

日本の大衆浴場の起源は奈良時代、奈良の大きな寺院です。僧侶は修行の一環として心身を清めるために沐浴をします。大勢の僧侶を抱える大寺院では僧侶たちが一度に入れる大きな浴場が必要となり、寺院の一角に大浴場を設置したのが始まりと言われています。それが中小寺院にも広まり、さらに僧侶以外の一般の人々にも開放され、それが銭湯となり、庶民に大衆浴場の文化ができました。

江戸の湯屋の始まりについては三浦浄心の『そぞろ物語』(寛永18年=1641年)に、天正19年(1591年)伊勢與一という人が銭瓶橋(ぜにかめばし)のほとりに風呂を立てた、との記載があります。現在、銭瓶橋は現在無くなってしまいましたが、日本橋の辺りにありました。全国から江戸城築城の建材が日本橋川を上って運ばれ、銭瓶橋周辺で陸揚げされたので周囲には町屋敷や商店、遊女屋も出来、多くの人々で賑わっていました。一仕事終えた人々が風呂に入りたくなるのは人情。ここに風呂屋ができたのは当然のことだったのでしょう。この湯屋、風呂の中は「息がつまる」「目も開けられない」と記されているので、蒸し風呂だったようです。風呂代は永楽一銭(永楽銭は寛永通宝が作られる以前、明より輸入した通貨)と記されています。

元々湯屋は混浴でしたが、寛政3年(1791年)寛政の改革で混浴禁止令が発令されたので、文化文政期の湯屋は男湯女湯に分かれています。男女二つの浴槽を持つことが出来ない小さい湯屋では昼間は女湯に、夜からは男湯にと時間で分ける湯屋や、女湯専門、男湯専門の湯屋もありました。また近くの湯屋同士で相談し、女湯にする日を決めるなど工夫して営業していました。

でもきっちり男女で分かれているのは江戸市中ばかり。江戸市中を出ると「入り込み湯」といって混浴の湯屋がほとんどでした。また、大坂では湯船だけ男女に分かれていて、入り口から洗い場までは男女一緒の湯屋もありました。

CGでは江戸時代後期の湯屋を再現していますが、この時代に現在の銭湯の原型がほぼ出来上がっています。

江戸時代の湯屋についてkindle版「浮世風呂」に美しい高画質3DCGとともに詳しく紹介しています。

写真で愉しむ三越アーカイブス

1月17日から日本橋三越本館1階中央ホールにて「写真で愉しむ三越アーカイブス」を開催しています。

こちらのイベントでVR江戸時空「日本橋編」を上映していただきました。1月17日〜19日までの3日間でしたがたくさんの方にご覧頂き、ありがとうございました。また、まさにここ、越後屋で上映して頂き感激です!日本橋の方々に見て頂けて本当に嬉しい限りです。

「VRのポップ作る」と言われていたので、え?そんなしょぼいの?って思っていたら、こんな上品なデザインのパネルでした!これはポップじゃ無い、、、。
VRでイベントの様子が見れます!まりんちゃんの振袖姿が可愛い💕

今回の上映会は株式会社EJE様にお任せだったので、VRゴーグルで2席設けている、ということ以外分からず、どのようなイベントでどのように展示されているのか、会場に行くまで知らなかったので、ちょっとドキドキでした。2席だし隅っこの方で地味な展示なんだろう、と思っていたら、中央ホールってあの有名な三越の階段のあるスペースだったんですね。流石の三越!上品で格式高く、驚き、というか感激しました!

越後屋の看板。「現金」ではなく「現銀」なんですね!庶民は銀を使っていた、ってことですね。

メインの展示は三越の歴史を語る浮世絵やポスターなどで、浮世絵好きの私は、まさかここで浮世絵鑑賞ができると思っていなかったのでラッキーでした!さらにテンションを上げながら越後屋の貸傘のレプリカに感激し、明治〜昭和のポスターや雑誌など、貴著な作品を見れて展示会として大満足でした。

越後屋の貸傘。これをお得意様に貸してたんですね。お客にとってはステイタスシンボルです。有名ブランドの紙袋を持つのと同じですね。
江戸時代の浮世絵に描かれた越後屋。
三越百貨店のポスター。一番左の「全館落成」に描かれている場所がまさにここ。歴史を感じます。
「みつこしタイムス」という三越の小冊子です。可愛い!
日本橋三越の建物は重要文化財になっています。大理石には巨大なアンモナイトが!!

明日から展示内容が変わるようですが、とても見応えがあって、良いイベントでした。さすが、本物は違うな。そんなところでVRを上映して頂き本当に感謝です!

謹賀新年

新しい年になりました。今年もよろしくお願いします。

昨年開催致しましたVRイベント江戸時空「日本橋編」の再上映が決まりました。

開催場所:日本橋三越本店 本館1階 中央ホール

開催日:1月17日~19日(サポート時間:11時~17時or18時)

参加費:無料  座席数:2席

当時の江戸の街並みから越後屋の散策をお楽しみください(約8分)

江戸を精密再現したイベント開催

VRで江戸時代にタイムトラベルできるイベント「江戸時空」が9月1日からカレッタ汐留にて開催します

歴史CG作家・中村宣夫と先進映像TECH共創ラボ- EJEVAR(エジェバル)がコラボレーション。精密再現された寛永時代の江戸城本丸御殿と日本橋、裏長屋、吉原を先端VR技術でタイムトラベル体験。

東京ではなく江戸と呼ばれていた時代。わずか150年前のことなのに、その時代の人たちがどんな町でどんな生活をしていたのか知りません。

もっと江戸を身近に感じて欲しいから。3DCGで町を蘇らせました。

日本橋の町の美しさや、長屋の狭さ、吉原の妖艶さ、そして江戸城の壮大さ。全て視覚から理解できます。

EJEVARの5つのコンテンツ「DOME ROOM」「CUBE ROOM」「SURFACE」「HEAD MOUNTED DISPLAY」「LANTERNA」で江戸の町を旅してみませんか?

「DOME ROOM」「HEAD MOUNTED DISPLAY」では江戸城御殿内部、日本橋、裏長屋は当時の生活の様子をナレーション付きで詳しく上映致します。

「CUBE ROOM」では3面に投影される美しい映像をお楽しみください。

「SURFACE」では中村宣夫の過去の作品をスライドショーとして上映。ドームやキューブでご覧頂けない、江戸各所や江戸城4天守を上映します。

「LANTERNA」はカフェや生活の一部に江戸を感じられるディスプレイです。江戸時代の日本人にとってアートは生活の一部。そんな生活を現代の最新技術で再現します。

歴史好きの方だけでなく、歴史が苦手な方にも江戸を身近に感じていただけるイベントです。

庶民の味 江戸時代の「江戸前寿司」

私は昭和生まれですが、当時の小学生の好きな食べ物といえば、カレーやハンバーグ、コロッケなどが上位を占めていました。平成生まれの子供たちはお寿司が1〜2位になっているそうですね。今時の子は味が分かるんだな〜と思いましたが、それ以上に昭和の時代は寿司は高級品。回らない寿司屋しかなかったので、特別な日にしか食べさせてもらえなかったけれど、今はファミレスと同じ感覚で回転寿司に行けるし、回転寿司でも十分美味しいお寿司が食べれるようになりました。

昭和からさらに時代を遡って、江戸時代はお寿司ってどんなだったのでしょう。

元々は関西の鮒寿司が「すし」でした。魚とご飯を樽に交互に入れて、半年から1年置いて熟成させると酸味が出ます。その発酵した酸っぱい、「酸し」が原型です。今は「寿司」「鮨」「鮓」などと表記しますね。江戸では文化文政頃(1800年頃)、深川の「松すし」や両国の「与兵衛鮨」が出来て、この頃に江戸前の握り寿司が出来たようです。

握り寿司の屋台。
大通りの真ん中や十字路にはこうやって屋台を設置しても大丈夫だったそうです!
車の無い、のんびりした時代ですね。

にぎり寿司の立ち位置は今の回転寿司に近いかもしれません。屋台で売られている、庶民の味でした。シャリは今よりも多く、1貫がおにぎりサイズ。2〜3貫食べたら満腹になりそうなくらい大きかったそうです。シャリが多いのはなんだかな〜って感じですが、魚はアジやコハダなどの近海の魚、もちろん採れたて江戸前!美味しかったんだろうな〜。港町で食べる魚介類は新鮮で美味しいですが、江戸ではそれが毎日食べられたわけですね。

ちなみに、現在一番人気のマグロの寿司は昭和の戦後からの話で、江戸時代には寿司としては食べられていませんでした。マグロは一番下等な安い魚とされていたようですが、普通のおかずとしては食べられていて、おかず番付には「マグロから汁」「マグロきじ焼き」などが載っています。当時は加熱調理して食べていた様です。どんな味だったのでしょうか。マグロは刺身じゃ無くても美味しいですからね。さらに、安くて庶民の味方。美味しそう。食べてみたい!

一口に寿司と言っても、色々あって、稲荷鮨や、鯖を背開きにして酢飯を詰めた鯖鮓、海苔巻き、コハダの鮓売りもいて、日本人は粗食と言われていますが、意外と豊かな食生活を送っていました。

江戸の浮世絵師・鍬形蕙斎の描いた越後屋とcgで製作した越後屋を比較してみた

先日の飛鳥山のブログを書いたときに鍬形蕙斎(くわがたけいさい)の飛鳥山の絵を紹介しましたが、あのときに、鍬形蕙斎の作風ってこんなだったっけ?と改めて調べてみました。鍬形蕙斎は意外と資料が残っていなくて謎の絵師のようです。残念ながら鍬形蕙斎研究の著作物も少ないです。

鍬形蕙斎(明和元年1764年〜文政7年1824年)はもともと浮世絵師で北尾政美(きたおまさよし)と名乗っていました。紹真(つぐざね)という名前もあります。江戸の畳屋に生まれ北尾重政に弟子入りしました。同じ重政の弟子には北尾政演(きたおまさのぶ)=山東京伝がいます。狩野派や大和絵、西洋の解剖学も学び、あらゆる画法を駆使して描き、「江戸の工夫者」と称されました。寛政8年に津山藩八代藩主松平越後守津山候康哉(やすちか)の家臣となり、さらに狩野派の門人となり、鍬形蕙斎と名乗りました。この後は浮世絵ではなく、肉筆画の制作に専念しました。

鍬形蕙斎=北尾政美の代表作は鳥獣略画式と人物略画式、そして「近世職人尽絵詞」です。略画はその通り、シンプルで簡単に描かれたものですが、とても可愛らしく、最近流行った、『かわいい浮世絵』の代表です。

鍬形蕙斎 略画式 寛政7年(1795年)
出典:Smithsonian free gallery of art 
 略画式シリーズの最初の本で人物、草花樹木などが描かれている。
脱力系のかわいいキャラがたくさん。
最近、雑貨のイラストにも使われていますね。

「近世職人尽絵詞」は江戸の職人と庶民の生活が描かれているのですが、柔らかい筆遣いで、軽やかに当時の人々を描いています。職人の絵だけなのかと思っていたのですが、越後屋や寺子屋、様々な商店の中の様子が分かる絵も多く当時の風俗もよく分かり、歴史資料的な価値もあります。

近世職人尽絵詞 鍬形蕙斎筆 江戸時代・19世紀紙本 3巻 淡彩
大工の仕事の様子。真ん中の人が、背中の日焼けまで描かれています。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
国立文化財機構所蔵品統合検索システム
近世職人尽絵詞 鍬形蕙斎筆江戸時代・19世紀紙本 3巻 淡彩
右の文字に駿河町越後屋と読めます。越後屋の内部です。繁盛している様子がわかりますね。
活気があって楽しそうな雰囲気が伝わります。会話や笑い声が聞こえてきそう。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
国立文化財機構所蔵品統合検索システム
越後屋内部のCG再現
CGになると日本家屋の重厚感があります。
広さとか建物の作りはCGだと分かりやすい。

葛飾北斎(1760年〜1849年)と鍬形蕙斎は同時代の人で「北斎嫌いの蕙斎好き」という言葉もあるぐらい評価も高く、比較されました。それは鍬形蕙斎が評判になると、北斎が同じ画題で絵を描き、それ以上に売りまくる、といった事が実際にあったようで、北斎は俗っぽい、鍬形蕙斎の方が、品が良くて好き、という蕙斎ファンがいたようです。実際に2人の絵を比べてみると、鍬形蕙斎は柔らかく暖かく、確かに品が良いとも言えます。北斎は力強くてパワーがあり、自己主張が強いように思います。確かに俗っぽい。でも私はそんな北斎の俗っぽくて、自分は絵を描くしかないんだよ、っていう芸術家の叫びが好きです。

日本橋通りの真ん中で開かれた「雛人形市」

今日はひな祭りですね。我が家でも小さなお雛様を飾っていますが、お雛様の歴史は古く、平安時代に無病息災を祈り人形(ヒトガタ)を川や海に流した行事が起源です。その後、上流階級の少女の「ひいな遊び」という人形を使ったおままごとが流行たのが合体した形で、今のひな祭りになりました。3月3日と日にちが決まったのは室町時代だそうです。この頃はまだ公家や武家などのお祭りでしたが、平和な江戸時代に、財力のある町人から庶民にも広がりました。

十軒店の雛市。昔は自動車はいないので道の真ん中に屋台がずらっと並んでいました。

江戸の十軒店(じっけんだな)、今の日本橋室町辺りには2月から3月に雛市がありました。ちなみに雛人形市が終わった4〜5月には武者人形市、12月には羽子板市がありました。これは人形町、浅草などでもありましたが、ここ十軒店が一番賑やかでした。屋台がずらっと並んで、お雛様、お内裏様などの人形はもちろん、屏風やぼんぼり、花瓶に白酒など全て売られていました。親に連れて行ってもらった女の子はあれもこれも欲しくなってしまいそうです。今の羽子板市の様に、値段はあってない様な物、お店の人と交渉して買い手がつくと、手締めをする、ずいぶん賑やかな市でした。そのせいか、倹約令の対象になることもあり、八寸(約24cm)以上の人形や華美な装飾は禁止される事がありましたが、そこは江戸の人のこと、禁制を守りつつも上手く祭りを楽しんでいました。

現在は「ひな祭り」と言っても自宅でそっとお祝いするだけですが、江戸時代はまさに「お祭り」と言った感じです。なんだか、ドイツのクリスマスマーケットを思い起こさせます。雛市も今でも残っていたなら、日本の素敵な文化なのに、と残念に思います。