出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム
安土桃山から江戸時代にかけて活躍した画家、「岩佐又兵衛」は別名「浮世又兵衛」と言われています。浮世絵の祖という説もある画家です。と言っても版画家ではなく肉筆画を描いていたのですが、その人物画が当時の風俗を生々しく描いていたから。
その人生は、大河ドラマにしたら面白いんじゃない?というほどドラマチック。戦国の世、信長の配下にあった有岡城主荒木村重(摂津国、現在の兵庫県)の子として生まれたのですが、村重は信長に反旗を翻した為、信長により有岡城攻めにあいます。しかしなんと、村重は側近とともに逃走、毛利の庇護下に。有岡城は陥落し、村重が信長の出頭命令に従わなかった見せしめとして、家臣ら500人が焼き殺され、さらに一族の者たち30名が京都へ護送され六条河原で処刑されました。産まれて間もない又兵衛は城から乳母の手によって救い出され西本願寺にかくまわれて命を取り留めました。その後どのように画家への道に進んだのかは不明ですが、京都、福井、江戸とパトロンを変えながら各地を転々としていたのはその生い立ちのせいかもしれません。また生々しいその表現にも影響しているのでは、と言われています。
この作品は大阪夏の陣の始まる前頃の作と思われるので、京都にいた時代の作品と思われます。洛中洛外図は京都の文化、賑わいが描かれ、地図の要素もあるのでその時代を知る手掛かりになります。右隻の右端に見える大きな寺院は方広寺の大仏殿(現在は大仏殿跡と石塁及び石塔が残されています)、左隻の左端のお屋敷は二条城です。
又兵衛の作品の魅力は人物描写です。たくさんの人々が描かれ、一人一人が躍動している。遊び、踊り、喧嘩をし、エネルギーを放出しています。当時の喧騒が聞こえてきそうです。
びっしりと描かれた細密描写はじっくり見ると宝探しのようで楽しいです。東京国立博物館で鑑賞した時はガラスケースの内側にあり、照明も保護のために暗めなので、目の悪い私は良く見えなくてがっかりでしたが、、、。
拡大してある図版は祇園祭の母衣武者行列の様子です。「母衣(ほろ)」とは竹籠などでふくらませた布のことで、騎馬武者が背負い、後方からの矢よけなどにした指物(さしもの)の一種です。戦国時代、母衣を着用して大将に近侍し、伝令などに戦場を駆け巡った“母衣(掛/懸)武者”は、軍団のエリート集団でした。また母衣武者行列は京都・祇園祭りをはじめ、全国の祭礼にも見られます。(高岡市立博物館HP参照)拡大してみると、一人ひとりの表情や動きも違くて、祭りに興じている様子が生き生きと描かれていて夢中で見ていられます。