広尾にある日本画の美術館〜山種美術館

広尾にある日本画の美術館〜山種美術館

先日山種美術館に行ってきました。渋谷区広尾にあるのですが、恵比寿に用事があったので恵比寿から徒歩で行きました。恵比寿駅からでも10分程度で行けますし、駒沢通り沿いなので迷うこともありません。アクセスは◎!


山種美術館は一見普通の企業が入っているビジネスビルのような建物の1〜B1階にあります。都内の私設美術館は、ここにあったんだ!という感じのビルの中にあることが多いですよね。

全国初、日本画専門の美術館として1966(昭和41)年に開館してから60年近く経ちます。山種証券(現SMBC日興証券)の創業者の山崎種二氏が設立してくれたそうです。公立の美術館・博物館は沢山ありますが、こういった個人や企業の美術館の役割も大きく、名品を沢山保護展示してくれるのは本当にありがたい限りです。


今回は「東山魁夷と日本の夏」展に行ってきました。じっくりと東山魁夷の作品を鑑賞したのは今回が初めてですが開催終了日の前日に行ったので混んでいました。

東山魁夷作「緑潤う」1976年 みずみずしく静謐な作品。青の霞がかったような表現が心に沁みます。

見たいと思っていた作品「年暮る」も見れて満足です。雪の日のシンとした静けさと美しさに魅了されました。
私は江戸時代の絵画が好きなので、明治以降の日本の絵画は無知です。西洋画からの影響が強く、西洋画としては未熟で、日本画としても何か欠けてる感じだと思っていたのですが、本当に私の無知のせいなのだと痛感しております。先日のTRIO展でも思ったのですが、大きく時代が動いた中で、作家がもがき苦悩しながら新しい表現を見つけ生み出された作品は素晴らしい物も多く、見応えがありました。

また、展示作品のほとんどが山種美術館の所蔵というのも素晴らしいですね。日本の名画を保護している重要な美術館の一つです。美術館の面積的にはあまり広くはありませんので、正直「もっと観たい!」という感じでした。

ほとんどの作品が写真撮影が禁止されていたので、写真で紹介できないのが残念ですが、現代の作家さんの作品も素晴らしかったです。京都絵美(みやこえみ)氏の「ゆめうつつ」(2016年Seed山種美術館日本画アワード大賞受賞作品)という、うたた寝をしていてまさに今、目が覚めたといったシーンの女性の絵画です。切なく美しく優しく、魅入られてしまいました。新しい作家さんを発見した感じで嬉しくなりましたが、家に帰ってから調べてみたらすごい人で、現在の日本画壇を担う御一人でした。東京で展覧会を開催されたら是非鑑賞に行きたいと思います!

京都絵美公式HP  HPで素敵な作品が見られます!

山種美術館公式HP 

奇想の絵師 岩佐又兵衛

江戸初期の画家、岩佐又兵衛勝以については3回目になります。(「岩佐又兵衛作「三十六歌仙額」を見に埼玉県立歴史と民族の博物館へ」と「激動の時代を生きた岩佐又兵衛の描いた「洛中洛外図屏風(舟木本)」)

9月に行った「日本美術をひも解く」展で又兵衛の絵巻「をぐり」を久しぶりに鑑賞したら、やはり素晴らしくて、国宝が居並ぶ中、ダントツ!と思い(主観です)その後又兵衛の絵巻の図版を数冊購入しました。

又兵衛の絵画は緻密かつ躍動感があります。その人物は表情豊かです。絵巻は当時、漫画のようなアニメのような存在で、詞書(ことばがき)で物語を語り、そのシーンが描かれています。又兵衛の絵巻には絵に勢いがあり、かつ、一つ一つのディテールは細かく、細密です。また陰を描いている箇所もあり、立体感もあるので、絵だけ見ていても次の展開がどうなるんだろうかと引き込まれます。このような、躍動感があり、かつ極彩色な絵巻は少ないのではないでしょうか。

牛若丸の母、山中常盤の息絶えるシーン。
母の瀕死の表情と、宿の主人夫婦の切ない表情。
山中常盤の牛若丸が盗賊を仇討ちするシーン。
戦国の世を生き抜いた又兵衛。血生臭い。

細密画といえば若冲ですが、若冲は「動物彩絵」に代表されるように動植物を好んで描いてましたが、又兵衛は人物。人に対する、愛なのか憎しみなのか、執念なのか、そのエネルギーをさまざまな人物のさまざまな表情、行為を描くことに向けている。人間臭い、ドロドロした感情も見える。又兵衛の最大の魅力がその人間の情感を描いているところだと思います。

先日、「川越仙波東照宮の特別公開」に行ってきました。仙波東照宮は重要文化財ですが、その拝殿には又兵衛の「三十六歌仙額」があります。この作品の裏書から半ば伝説的だった浮世又兵衛が岩佐又兵衛であり、勝以である事が証明され、又兵衛研究が進んだ重要な作品です。

今回の特別展では本殿と御神体(家康公)や拝殿内部と共に「三十六歌仙額」全作品も一緒に公開されました。普段は「埼玉県立歴史と民族の博物館」に収蔵されているのですが、仙波東照宮のものです。現存する作品数の少ない岩佐又兵衛の代表作の一つが川越にあると思うと嬉しいし市民としては誇りに思います。

「川越仙波東照宮の特別公開」なのでメインは東照宮そのものですし、博物館の展示のように見易く展示されているわけではなく額が掛かっていたのを再現しているので、高い位置に展示されているし、ライトも無いので鑑賞するにはちょっと見にくいのですが、本来の作品のあるべき姿を見られました。又兵衛も完成した時、同じように眺めたのかなと思うと感慨深いです。

本殿 内部と御神体が公開されました。
拝殿 内部に又兵衛の三十六歌仙額が飾られています。

ちなみにこの作品は寛永15年に火災で消失した仙波東照宮の復興のために依頼されたのですが、又兵衛の筆が遅いのか、忙しかったのか、まだ出来ないか、と督促状が残っているそうです。

そんな「三十六歌仙額」ですが、又兵衛の特徴の豊頬長頤(ほうきょうちょうい=頬がふっくらして、唇の下から顎にかけて長い)の姿で、細部まで緻密に描き込まれています。歌人の肖像画らしく静的で、絵巻や洛中洛外図屏風に比べると少々物足りない感じはしますが、毒々しさが抑えめで上品な作品です。

この作品は寛永17年(1640年)、又兵衛62歳の時の作品です。その10年後の72歳、江戸で亡くなっているので、晩年の作品ということになります。

江戸の小紋集『小紋雅話』

山東京伝作の「小紋雅話(こもんがわ)」という小紋の図案集のデータ化を試みました。

「小紋雅話」は寛政二年(1790年)蔦屋重三郎により出版された小紋模様見立絵本です。山東京伝の小紋集は好評だったようで、天明4年(1784年)「小紋栽ざい」、天明6年(1786年)「小紋新法」に続き3冊目に出版されたのがこの「小紋雅話」でした。

江戸の人は洒落好きだったので洒落の効いた風変わりな小紋です。実際にこの柄の着物が作られていたのかは分かりませんが手拭いや小物にするのは楽しそうです。

山東京伝(1761年〜1816年)は年齢的には葛飾北斎の1歳年下。浮世絵、読本、絵本の全盛期に戯作者、浮世絵師として活躍しました。浮世絵師としての名は北尾政演。寛政の改革のため、小紋雅話が出版された翌年の寛政三年には洒落本が禁令を犯した罪で手鎖50日の処分を受けています。しかし、その後も蔦屋重三郎と組み、多くの作品を残しました。

小紋雅話は江戸人の豊かな発想力と笑いを求める明るさ、大らかさが詰まった図案が156案描かれています。その図案を全てベクターデータ化しました。資料が古く鮮明では無いため、私の解釈でのデータとなりますのでご了承ください。順次illustACにて無料配布致しますので是非、風変わりな江戸小紋をお楽しみください。

『天竺にてはかんなクズを見て字を作し、オランダにては牛の涎を見て字をなす。唐の蒼頡(そうけつ)は鶏の足跡を見て、字を作りたると聞ゆ。われはまた犬の足跡を見て梅の花と見たて、書なるか、字なるか。いっこう分からざる物数十を作し、名付けて小紋雅話という。これももんがぁの類いにして、いずれ怪しかるべし。』〜小紋雅話叙

参考資料:「滑稽本集」日本名著全集刊行会刊

ダウンロードはこちらから  → illustAC

江戸時代の日本橋絵巻「熈代勝覧」

「熈代勝覧(きだいしょうらん)」複製絵巻を見に行ってきました文化2年(1805年)神田今川橋から日本橋までのおよそ七町(760m)を描いた絵巻物です。ベルリン国立アジア美術館収蔵の作品ですが、東京メトロ銀座線、半蔵門線「三越前」駅、地下コンコース内に約1.4倍に拡大した複製画を展示しています。

東京メトロ銀座線、半蔵門線「三越前」駅 地下コンコース内
(日本橋三越本店本館 地下中央口付近)
全体サイズ 長さ16.8m×幅1.53m原画(長さ12.3m、幅0.43m)の絵画部分(長さ10.55m)を約1.4倍に拡大
地下通路ですので誰でも気軽に見れます。

こちらは洛中洛外図のように詳細に江戸の様子が描かれています。作者は不明ですが、浮世絵師のタッチなので、当時の有名な浮世絵師の作品のようです。浮世絵と言ってもパースも比較的しっかりとしていて人物描写も漫画のようで現代人でも見易いです。

画質が悪く見にくくて申し訳ないです(>_<)
地上に上がると現在の日本橋なので、是非見に行ってみてください。

文化2年当時の1軒1軒の商店の様子や、さまざまな仕事をしている職人、町人、武士、屋台、ボテ振り、籠屋などなど、犬もたくさん描かれ、江戸の繁栄期の歴史的資料としての価値とともに、風景は精密に、人物は一人一人が生き生きと描かれていて絵画としても素晴らしい作品です。

江戸は女性が男性の半分しかいなかったそうですが、こちらの絵画も圧倒的に男性が多いですね。大勢の人が集まり、日本橋のたもとの魚河岸はラッシュ並みの混雑です。これは喧嘩も起こるかも、ってしっかり喧嘩してる男の人も描かれています。

小学館から熈代勝覧の本が出版されています。
詳しく説明されているので鑑賞用としても楽しいですし、
江戸文化を簡単に学ぶことも出来ます。

『熈代勝覧』の日本橋 (アートセレクション) [ 小澤 弘 ]

価格:2,090円
(2022/5/6 13:34時点)
感想(5件)

表通りの2階建ての瓦屋根の商店がズラっと並んだ街並みはきっと美しかったんだろうな〜と想像します。現在川越にも明治時代の建物ではありますが、蔵造の街並みが残っていますが、駅からだんだんと近いてビルの先に蔵造の建物が見えてくると、良い意味での違和感があり、ワクワクします。元々はそのような風景が江戸の町だった訳ですね。

ヨーロッパの古い街並みで、同じ色の壁と屋根の、お伽話に出てくるような可愛らしく美しい街が残っておますが、それと同じように、江戸も美しかったに違いないと思います。

こちらの作品は「熈代勝覧 天」とあるので、「地」もしくは「地・人」と、2巻ないしは3巻の作品だと思われていますが、残念ながらまだ発見されていません。ドイツでこの作品が見つかった時も始めは中国美術だと誤解されたそうなので、ヨーロッパにあった場合、よくわからない絵画としてどこかの個人宅の倉庫に眠っているかもしれませんね。でも日本にあったら空襲などで焼けてしまった可能性もあるので、ヨーロッパにあったほうが、見つかる可能性は高いような気がします。

江戸の浮世絵師・鍬形蕙斎の描いた越後屋とcgで製作した越後屋を比較してみた

先日の飛鳥山のブログを書いたときに鍬形蕙斎(くわがたけいさい)の飛鳥山の絵を紹介しましたが、あのときに、鍬形蕙斎の作風ってこんなだったっけ?と改めて調べてみました。鍬形蕙斎は意外と資料が残っていなくて謎の絵師のようです。残念ながら鍬形蕙斎研究の著作物も少ないです。

鍬形蕙斎(明和元年1764年〜文政7年1824年)はもともと浮世絵師で北尾政美(きたおまさよし)と名乗っていました。紹真(つぐざね)という名前もあります。江戸の畳屋に生まれ北尾重政に弟子入りしました。同じ重政の弟子には北尾政演(きたおまさのぶ)=山東京伝がいます。狩野派や大和絵、西洋の解剖学も学び、あらゆる画法を駆使して描き、「江戸の工夫者」と称されました。寛政8年に津山藩八代藩主松平越後守津山候康哉(やすちか)の家臣となり、さらに狩野派の門人となり、鍬形蕙斎と名乗りました。この後は浮世絵ではなく、肉筆画の制作に専念しました。

鍬形蕙斎=北尾政美の代表作は鳥獣略画式と人物略画式、そして「近世職人尽絵詞」です。略画はその通り、シンプルで簡単に描かれたものですが、とても可愛らしく、最近流行った、『かわいい浮世絵』の代表です。

鍬形蕙斎 略画式 寛政7年(1795年)
出典:Smithsonian free gallery of art 
 略画式シリーズの最初の本で人物、草花樹木などが描かれている。
脱力系のかわいいキャラがたくさん。
最近、雑貨のイラストにも使われていますね。

「近世職人尽絵詞」は江戸の職人と庶民の生活が描かれているのですが、柔らかい筆遣いで、軽やかに当時の人々を描いています。職人の絵だけなのかと思っていたのですが、越後屋や寺子屋、様々な商店の中の様子が分かる絵も多く当時の風俗もよく分かり、歴史資料的な価値もあります。

近世職人尽絵詞 鍬形蕙斎筆 江戸時代・19世紀紙本 3巻 淡彩
大工の仕事の様子。真ん中の人が、背中の日焼けまで描かれています。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
国立文化財機構所蔵品統合検索システム
近世職人尽絵詞 鍬形蕙斎筆江戸時代・19世紀紙本 3巻 淡彩
右の文字に駿河町越後屋と読めます。越後屋の内部です。繁盛している様子がわかりますね。
活気があって楽しそうな雰囲気が伝わります。会話や笑い声が聞こえてきそう。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
国立文化財機構所蔵品統合検索システム
越後屋内部のCG再現
CGになると日本家屋の重厚感があります。
広さとか建物の作りはCGだと分かりやすい。

葛飾北斎(1760年〜1849年)と鍬形蕙斎は同時代の人で「北斎嫌いの蕙斎好き」という言葉もあるぐらい評価も高く、比較されました。それは鍬形蕙斎が評判になると、北斎が同じ画題で絵を描き、それ以上に売りまくる、といった事が実際にあったようで、北斎は俗っぽい、鍬形蕙斎の方が、品が良くて好き、という蕙斎ファンがいたようです。実際に2人の絵を比べてみると、鍬形蕙斎は柔らかく暖かく、確かに品が良いとも言えます。北斎は力強くてパワーがあり、自己主張が強いように思います。確かに俗っぽい。でも私はそんな北斎の俗っぽくて、自分は絵を描くしかないんだよ、っていう芸術家の叫びが好きです。

江戸時代から愛される飛鳥山の桜

東京北区王子にある飛鳥山は三代将軍吉宗が桜を植えたのをきっかけに桜の名所になりました。ここに植えられたソメイヨシノは、飛鳥山からも程近い、染井で誕生しました。桜の季節には大勢の人々で賑わい、お酒に弁当に団子に、歌ったり踊ったり、仲間で、家族で楽しい時を過ごしました。

歌川広重筆 東都名所・飛鳥山花見 19世紀 横大判 錦絵
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

そんな様子がわかる歌川広重の浮世絵です。踊っている人が見えますね。宴もたけなわになると上半身脱ぐのが江戸の人なのでしょうか??楽しそうですね。宴会の様子を覗き見てみたいです。

鍬形蕙斎筆 飛鳥山図 江戸時代・19世紀 絹本着色
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

また、鍬形蕙斎(北尾政美)の「飛鳥山図」を見ると全く違う飛鳥山です。遠景から眺めると自然豊かで静謐な、まさに「山」だったんですね。今は道路と線路に囲まれて、山の雰囲気はありませんが、急な坂になっているのは山だった地形そのままなのでしょうか。広重の絵にも描かれていますが、松もたくさん植えられていたんですね。おめでたい感じ?

実は私、この近くで子供時代過ごしていまして、この辺りは地元、愛着があります。子供の頃にお弁当を持って花見に行って、両親は花見酒を楽しんでいるので、姉とSLのある広場に行って大きい滑り台で遊んだりしたのを思い出します。

こちらの写真は2019年、数年ぶりにJR駒込駅から、母校に寄って、古河庭園、平塚神社を通って王子の飛鳥山まで散策した時の写真です。JR上中里駅の近くにある平塚亭でおにぎりとかお団子とか買って、飛鳥山でお花見しました。

平塚亭は、ドラマのロケ地になって最近有名ですが、私にとってはフツーに子供の頃からあるお団子屋さんで、ここ近年の人気ぶりにビックリです。混んでいて、並んで購入しました!確かに平塚神社の鳥居の横の小さいお店でレトロな雰囲気がいいかも。美味しいし。ちなみに平塚神社も私の遊び場でした。小学校の写生大会も平塚神社の本殿描いて賞をもらったな〜、なんて色々思い出します。

花見に話を戻しますが、コロナ前はとても大勢の人で賑わい、座る場所を確保するのも大変でした!いつの時代も楽しみ方は同じなんですね。公園も綺麗に整備されて、「渋沢史料館」(渋沢栄一の資料館)も公園内にできていてびっくりしました。昔は飛鳥山公園の隣に渋沢邸があったと記憶していますが、現在は公園の一部になっているんですね。私は、渋沢邸が王子にあるので、ずっと、渋沢栄一は王子の人だと思っていました、、、。

祖母が生前、話していましたが、昔(多分、戦前)は、今の飛鳥山公園だけではなく、本郷通りまで桜が植っていて美しく、花見の人が大勢行列をなしていてもっと賑やかだったそうです。子供の頃に聞いた話なので、あやふやではありますが、ずっと桜の並木道だったら、さぞかし美しかったんだろうな〜と、想像するとワクワクします。

北斎の描いた江戸の日常

最近、戦争のニュースが連日報道されています。

平和な世の中でなければ人々の生活は豊かにならないし、文化も発達しません。でも人間の歴史は戦争とともにあります。こんなにも人間という生き物は戦うことが好きなのか、と絶望的になってしまう時もあります。

日本の歴史の中で、世界的に稀な事のようですが、戦争が起こらない平和な時代が2回あります。平安時代は約400年間続きました。江戸時代は265年間。長い戦国時代を経て泰平の世を、と願い、徳川幕府ができました。その泰平の時代に日本の独自の文化は華開きました。豊かになりたい、幸せになりたい、自分を認めて欲しい。そのための手段は戦争では無い。そのことに早く気がついて欲しいと切に願います。

新板大道図彙・石町 葛飾北斎筆 文政8年(1825)頃 横四つ切判 錦絵 
平和で豊かな江戸の町の日常の一コマ。大好きな絵です。
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北斎漫画〜その1〜

先日、古本ですが「北斎漫画」を全編購入しました!江戸時代に刷られたものが欲しいですが、そんな財力は無いので、昭和に発売された、浮世絵研究で有名な永田生慈先生が監修の本を購入しました。

言わずと知れた「北斎漫画」。文化11年(1814年)から明治11年(1873年)まで全編15編出版されました。ちなみに北斎は嘉永2年(1849年)4月18日に90歳で亡くなっています。生前に出版されたのは十二篇まで、それ以降は没後、と言うことになります。

十五篇合計で4000近い図があり、動植物、岩、水、風、空想上の動物人間、波、お墓、村、歴史上の人物や高僧、庶民の生活、武士、魚、犬猫、虫、トカゲ、神仏、風景、コマ絵の相撲や踊り、剣術や槍の稽古風景、幽霊、バケモノ、文様、野菜、おもちゃや生活道具、騎馬武者、龍、樹木、草などなど、、、。購入した本も分厚いハードカバーで3巻分です。

ART INSTITVTE CHICAGO – Hokusai manga
The New York Public library digitalcollections

北斎の絵を見るといつもそのデッサン力に、つい「うまいよな〜」と呟いてしまいます。そして必ず北斎の個性が光っている。凄い人です。

「ホクサイスケッチ」として欧米でも有名になり、浮世絵ブームの火付け役になりました。印象派のマネやポスト印象派のゴーギャンもスケッチを真似しています。エミール・ガレのガラス器のデザインにもなりました。

「北斎漫画」初編は名古屋で描かれました。名古屋永楽屋と江戸の角丸屋の出版になっています。その時の広告のコピーには、名古屋永楽屋「先生の物に感じ興に乗じ折にふれ心に任せてさまざまの妙図を写たる編〜」江戸角丸屋「興に乗じて心にまかせてさまざまの図(かたち)を写す編〜」とあります。まさに北斎の心に写った万物を描いているようです。しかし、当初は増え続ける各地にいる北斎の弟子やファンの絵手本としての目的が大きかったようです。ですが、大衆に大人気となり、続編が次々出版されて一大ブームになってしまいました。いまだに「北斎漫画」が出版されていますから、200年に渡る大ベストセラーです。

The New York Public library digitalcollections
The New York Public library digitalcollections

「マンガ」という言葉の語源といわれていますが、タイトルを考えたのは北斎だそうで、たくさんの物を気の向くままに写した、というような意味合いだったようです。でも内容が滑稽なものやパロディな絵が多かったので、言葉が現在の「マンガ」の意味に変化していったのでしょう。そういう意味では確かに現在の代表的日本文化のマンガに多大な影響を与えていると言えると思います。

私なんかが北斎漫画を語っていいのか?と思いつつ、楽しいし、発見もたくさんあるので、また次回。

江戸の着物

鬼滅の刃の遊郭でのバトルも佳境ですね。今週は良いところで終わってしまった!堕姫の攻撃が帯、って凄いな、武器になるんだ〜。確かに重いし動きが制約されちゃうからある意味武器、、、。でも当時の人は着物が普段着だったわけで、もっと緩い感じで来てたそうです。そんな江戸の人の着物はどんなだったのか見てみたいと思います。

「美人と水売り」 歌川豊国筆 18世紀 大判錦絵
街で評判の娘さんがモデルでしょうか。モデル並みのスタイルですね。
水売りは、夏に冷たい水に白玉と砂糖を入れて売っていました。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
国立文化財機構所蔵品統合検索システム

着物の原型はすでに縄文時代からあったようですが、平安時代には百人一首の姫の絵のような十二単があり、かなり今の着物に近づいています。室町時代には現在の着物の形の小袖(袖幅がやや狭く、袖丈が短い)ができました。昔は位や身分によって衣服が決められていました。一目見てその人がどんな人なのか分かるようにしていたんです。

江戸時代も男性の着物は身分で決められていました。武士は小袖に裃(かみしも)か羽織、袴。商家の主人は紋付、小袖、絽(ろ=夏の薄い透ける着物)、郡内紬(ぐんないつむぎ=山梨県の郡内地方の織物)、縮緬(ちりめん=強くよった糸で表面をデモボコに織った織物)が許されていましたが、贅沢をすると罰せられました。丁稚は麻か木綿のお仕着(主人から支給される着物)。手代や番頭になると前掛けを許されました。前掛けできるようになると出世したってことです。大工や左官などの職人はふんどしに半纏でしたが、のち紺の木綿半纏に股引、腹掛けになりました。この半纏の藍染を見た外国人が「ジャパンブルー」と称賛し、現在でも日本のイメージになっています。海に囲まれた島国だけれども南国のように明るい青ではなく、深い藍。良い色ですね〜。このように服装が差別化されていたので、時代劇を見ても一目でどんな身分かわかります。鬼滅のお館様も羽織袴で明らかに武士ですね。

では女性はどうだったのでしょう。女性の場合は身分よりも立場によって服装が違いました。結婚しているかどうか、年齢がどうか、ってことです。女性は小袖を着ています。娘時代は振袖を、結婚したら留袖(短い袖)を着ました。19歳で元服なので、それを過ぎたら結婚していなくても留袖を着たようですが、いつの時代も女性は若く見られたいもので、二十歳を過ぎても振袖の人もいたそうです。現代の成人式に振袖、というのは本当は違うんですね。十代までの着物だったんです。

「山東京伝の見世」 歌川豊国筆 横大判錦絵
この店は戯作者、現在の京橋にあった山東京伝の店で紙製のキセル入れやタバコ入れを売っていて当時評判でした。
中央に立っている女性は振袖なので娘さん、座っているのは留袖なのでお母さんでしょうか。
相手をしているのは前掛をしているので番頭か手代。
立っている男性は袴は履いていませんが、刀を持っているので武士の着流し(袴を履かない、カジュアルなスタイル)。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

堕姫が武器にする着物の帯ですが、江戸の初期は細帯でした。着物にお端折り(帯の位置で折り返して長さを調整する部分)もなくて、この方が断然楽ちんだったと思います。泰平な世の中になったからでしょうか、お端折りもでき、帯も太くなって色々な結き方が生まれました。おしゃれを楽しんだんですね。

さて、堕姫は遊女です。遊女の着物の帯、遊女だけが帯を前で結んだんですね。脱ぎ着しやすく、仕事上この方が都合が良かったってことです。当時の花魁はファッションリーダーでしたが、いくら花魁が評判で美しくても、堅気の女は必ず後ろ帯です。美人画などの浮世絵を見る時も帯を見れば遊女かどうか判別ができます。

「雛形若菜初模様・玉や内しら玉」礒田湖龍斎筆 18世紀 大判錦絵
当時の有名な花魁。帯は前です。
当時の美人画は若女性のためのファッション誌的な役割もありました。
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結構可愛い!風景画に出てくる浮世絵の人の顔を比べてみた

浮世絵って同じような絵ばっかり、と思っている人って結構多いような気がします。江戸時代は長いので、版画の技術や流行で絵も変化しますし、また、たくさんの作家がいるので、似ているようでも絵のタッチも構図も個々に個性があります。

今回は風景画の中の人物の顔の違いを比較してみたいと思います。浮世絵の風景画が人気になったのは、北斎の富嶽三十六景からです。江戸の人は旅好きでしたが、現代のように交通手段があるわけではありませんから、実際にはそう簡単に旅行に行けないので、風景画を眺めて思いを馳せたんですね。今、私たちが旅行に行けないから、ネットで世界の観光地をリモート旅行するのと同じ気持ちです。

風景画にはガイドや絵はがき的な要素だけでなく庶民の生活も描かれていて、その表情も様々です。美人画や役者絵の様に気合が入っていなくて、決まったポーズも無いですし、素朴な4コマ漫画のイラスト的な絵が多く、興味深いです。また、当時の風俗も分かり、史料にもなりますね。

まずは歌川広重。広重は細かく一人一人丁寧に表情が描かれていて、まるで会話が聞こえてきそう。生真面目な広重の人間愛を感じます。東海道五十三次から3つ紹介します。

「東海道五十三次 関」から
大名行列のお供がホッと一息ついている様子が表情からわかります
 「東海道五十三次 草津」から 
かご屋がもめているのか、先頭の人が間違えちゃったのか、
怒鳴り声が聞こえてきそうです。
一番前の人が困った顔ですね。今にも泣きそう。同情しますよ、、、。
「東海道五十三次 御油」から 
宿場町で宿屋の女中がお客の旅人の争奪戦!
おじさんの悲鳴が聞こえてきます
「東海道五十三次 御油」から 
またやってるよ、って感じでしょうか。
呆れ顔だけど楽しそう。

葛飾北斎は風景画では、あえて顔を描かない作品が多いですね。傘で隠れているとか。やはり全体の構図で勝負です。ですが、北斎に出てくるおじさんは愛らしい。「神奈川沖浪裏」の船にしがみついてる人もちょんまげ頭しか見えないのに可愛い。北斎の顔、といえば北斎漫画ですが、それは今度、いつか。

「冨嶽三十六景・尾州不二見」から
職人さんの楽しげな表情が可愛らしい。
北斎も絵を描いてる時はこんな顔だったのかな
「冨嶽三十六景・甲州三嶌越」から
旅人が大きな木を見つけて子供のようにみんなで手を広げて木の太さを測っています。この北斎おじさん、よく出てきます。
諸国瀧廻り・木曽路ノ奥阿彌陀ヶ瀧から
崖の上で宴会ですか?2人は滝の美しさとマイナスイオンのせいか、表情は穏やかそのもの。

次は渓斎英泉。英泉は若干、人のバランスが悪いなと思ってましたが、よく考えてみたら、日本人体型、、、、。庶民はこんな感じだよね。リアルかも。表情もよく描き込まれてます。歌川広重と渓斎英泉の合作の「木曽海道六十九次」から紹介します。


「岐阻街道 桶川宿 曠原之景」渓斎英泉作
旅人が農家の女将さんに道を聞いているのか二人ともにこやかに話をしていますね。
その奥では旦那さんがキセルを手にひと休みといったところでしょうか。ほのぼの故郷を感じる絵です。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム
旦那さんがキセルを手にひと休み
脱穀中でしょうか。優しそうな女将さんです。
いいひとに会えて良かったね。

歌川国芳は武者絵や戯画などが中心ですが、やはりこの時代は風景画が人気なので国芳も描いています。江戸っ子の国芳っぽい、賑わいを感じます。

東都名所・両国の涼 19世紀 横大判錦絵
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
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両国の花火を船で見物する客に食べ物を売っているところです。商人は売れて愛想笑い、客は酔ってるからちょっとめんどくさそう。

喜多川歌麿は少し前の世代なので残念ながら風景画は見つからなかったのですが、美人画の背景に江ノ島の風景と観光客が丁寧に描かれていて、珍しいと思います。江ノ島は江戸から気軽に行けるし、人気の観光地だったんですね。

「江ノ島岩屋の釣遊び」 喜多川歌麿 18世紀 大判錦絵
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
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何か見つけたのでしょうか。熱心に海を覗いています。

改めて風景画をじっくりと見てみましたが、色々な発見があって面白いですね。当時の人の間で風景画がヒットしたのが分かる気がします。