国宝指定

7月16日に三の丸尚蔵館に収蔵されている作品5点が国宝指定されることになったそうです。

っていうか、国宝じゃなかったんだ!ってビックリするような名品ばかりです。

狩野永徳「唐獅子図」、伊藤若冲「動植綵絵」、教科書で見た元寇の様子を描いた「蒙古襲来絵詞」、鎌倉時代の絵巻「春日権現験記絵」、平安時代の書家小野道風の「屏風土代」。

伊藤若冲「動植綵絵」群鶏図 一幅絹本着色 宮内庁三の丸尚蔵館

これらの作品が国宝になっていなかったのは驚きですが、天皇家が継承し、現在は宮内庁によって確実に保護されたいたため、国宝や重要文化財の指定をしてこなかったそうです。へ〜、そうなんだ〜。

国宝や重要文化財って単に美術的、文化的価値を評価しているだけでなく、その保護、文化財の鑑賞機会の拡大なんかのために補助をしているので、宮内庁管轄の尚蔵館にあれば、国が補助しなくていい、って事だったんですね。国宝指定された後も、管理は変わらないそうですが、一般人にしてみたら、やはり「国宝」と言われると、ありがたく感じます。とりあえず1回は見ておこう、と思っちゃう。広く作品を鑑賞してもらう機会になるので国宝指定は良い事ですね。今後も尚蔵館に収蔵されている作品が国宝や重要文化財に大量に指定されて行きそうです。

きっとコロナがおさまったら、尚蔵館で国宝展が開かれる!のを信じて楽しみにしています!でも絶対激混みだろうな〜、、、。

自身番と木戸番

6月11日に投稿した「日本橋駿河町三井越後屋呉服店」にもちょろっと出てきた自身番と木戸番ですが、これはもっと近景のCGです。

右側の小屋が木戸番。その名の通り、町の入り口の木戸を開け閉めする人が詰めている場所でしたが、徐々に木戸を閉めることがなくなり、雑貨屋などを営んでいました。このCGにも木戸は無いですね。

左側の小屋は自身番。街の有力者が詰めて街の管理(自治)をしていましたが、その後、人を雇って管理させていました。

書役と定番という事務をする人、小間使いの番人(番太郎と言ったそうです)ら、通常3〜5人が詰めていて、非常時には6〜7人がいました。

番太郎はこの小さな木戸番小屋に住んでいました。昼夜、街の警備や火の用心に当たるほか、罪人を先ず自身番に繋いで罪状を問う取り調べなどもしていました。自身番の上には火の見櫓があり、火事が起こったときはその鐘を鳴らしてみんなに知らせました。

当然、給金も支払われていて、忙しい街では結構な金額がもらえたとか。

また、幕府から庶民へ通達があるときは、町奉行→町年寄→名主→自身番と伝わり、自身番の前に掲示して庶民へ伝えられました。

でも普段は平和な江戸。「自身番将棋」という言葉があって、自身番で暇潰しにやる将棋のことから転じて、「ヘボ将棋」の事を言ったそうです。町の騒動は滅多に起こらないから、呑気に将棋を指していたんでしょうね。

国芳の金魚

金魚づくし・さらいとんび
歌川国芳筆  江戸時代・19世紀  中判 錦絵
金魚づくし・玉や玉や
歌川国芳筆  江戸時代・19世紀  中判 錦絵
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

歌川国芳は江戸時代の後期、19世紀に活躍した浮世絵師です。人柄は北斎とは全く違うタイプで、チャキチャキの江戸っ子、親分肌だったようです。

国芳は動物の絵を多く描きました。猫好きで冬には懐に入れて暖をとっていたとか。猫の絵を沢山残していますが、私が好きなのは金魚の絵。擬人化されていて、金魚が子供おぶっていたりとか、シャボン玉吹いていたりと、鳥獣戯画を彷彿とさせる茶目っ気たっぷりの浮世絵は4コマ漫画のようで楽しい。

北斎の次の世代なだけあって、肩の力が抜けてる感じで自由さというか大らかさを感じます。

実は私のMACのデスクトップ3は国芳の金魚です。ちなみにデスクトップ1は北斎、2は白隠、サブディスプレイはこれも国芳の鯨退治。まあ、データ開くと見えなくなっちゃうんだけどね。

金魚づくし・百ものがたり
歌川国芳筆  江戸時代・19世紀  中判 錦絵

3つ目の金魚の絵は猫との共演ですね。完全にロックオンされちゃってます。棒で立ち向かおうとしている金魚が健気で可愛い。右の方にはパニックになって折り重なっている金魚もいますね。「百物語」だから猫は妖怪の役割?自身作の「相馬の古内裏」のパロディかな?

世界ふしぎ発見!

先週の土曜日6月19日放送の「世界ふしぎ発見!歴史を変えた名城スペシャル」で家康が作った江戸城の再現CGが放送されました!

江戸城の初代天守と五連続枡形虎口のCGです。番組でも紹介されていましたが、城の作りからその時代背景を窺い知ることができておもしろいですね。戦乱の世だからこそ作られた、大きな天守閣と敵を欺き攻撃するための仕組み。

五連続枡形虎口は5重に門を配置し、門と門の間に敵を閉じ込め攻撃します(これを「江戸返し」というそうです)。鉄壁の防御ですね。また、高さ約68m(推定)の大天守1つに小天守が2つある連立式天守は漆喰で真っ白に塗られ美しく、徳川の力の象徴でした。逆に泰平の世になってからは天守閣は再建されなかったことが、江戸時代の平和の象徴になりました。

家康の頃の大きな天守閣が現存していたら、どんな感じだったのかと想像を巡らさずにはいられませんよね。現在の丸の内ビル群の中にそびえていたら、堂々とした佇まいに威圧感を感じるのでしょうか。それとも高層ビルに埋れてしまっているのか、、、。

私は当時から残っている国宝の城は松本城しか見たことはありませんが、その重厚感と迫力、美しさは格別です。江戸城はその何倍ですので現代の大都会の真ん中でもきっと美しく威厳を持って鎮座していたでしょう。

洛中洛外図屏風(舟木本)

洛中洛外図屏風(舟木本) 岩佐又兵衛 17世紀前半 六曲一双 東京国立博物館 右隻

洛中洛外図屏風(舟木本) 岩佐又兵衛 17世紀前半 六曲一双 東京国立博物館 左隻 

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

安土桃山から江戸時代にかけて活躍した画家、「岩佐又兵衛」は別名「浮世又兵衛」と言われています。浮世絵の祖という説もある画家です。と言っても版画家ではなく肉筆画を描いていたのですが、その人物画が当時の風俗を生々しく描いていたから。

その人生は、大河ドラマにしたら面白いんじゃない?というほどドラマチック。戦国の世、信長の配下にあった有岡城主荒木村重(摂津国、現在の兵庫県)の子として生まれたのですが、村重は信長に反旗を翻した為、信長により有岡城攻めにあいます。しかしなんと、村重は側近とともに逃走、毛利の庇護下に。有岡城は陥落し、村重が信長の出頭命令に従わなかった見せしめとして、家臣ら500人が焼き殺され、さらに一族の者たち30名が京都へ護送され六条河原で処刑されました。産まれて間もない又兵衛は城から乳母の手によって救い出され西本願寺にかくまわれて命を取り留めました。その後どのように画家への道に進んだのかは不明ですが、京都、福井、江戸とパトロンを変えながら各地を転々としていたのはその生い立ちのせいかもしれません。また生々しいその表現にも影響しているのでは、と言われています。

この作品は大阪夏の陣の始まる前頃の作と思われるので、京都にいた時代の作品と思われます。洛中洛外図は京都の文化、賑わいが描かれ、地図の要素もあるのでその時代を知る手掛かりになります。右隻の右端に見える大きな寺院は方広寺の大仏殿(現在は大仏殿跡と石塁及び石塔が残されています)、左隻の左端のお屋敷は二条城です。

又兵衛の作品の魅力は人物描写です。たくさんの人々が描かれ、一人一人が躍動している。遊び、踊り、喧嘩をし、エネルギーを放出しています。当時の喧騒が聞こえてきそうです。

びっしりと描かれた細密描写はじっくり見ると宝探しのようで楽しいです。東京国立博物館で鑑賞した時はガラスケースの内側にあり、照明も保護のために暗めなので、目の悪い私は良く見えなくてがっかりでしたが、、、。

拡大してある図版は祇園祭の母衣武者行列の様子です。「母衣(ほろ)」とは竹籠などでふくらませた布のことで、騎馬武者が背負い、後方からの矢よけなどにした指物(さしもの)の一種です。戦国時代、母衣を着用して大将に近侍し、伝令などに戦場を駆け巡った“母衣(掛/懸)武者”は、軍団のエリート集団でした。また母衣武者行列は京都・祇園祭りをはじめ、全国の祭礼にも見られます。(高岡市立博物館HP参照)拡大してみると、一人ひとりの表情や動きも違くて、祭りに興じている様子が生き生きと描かれていて夢中で見ていられます。

日本橋駿河町三井越後屋呉服店

一日三千両の落ちどころ 昼の駿河町

駿河町(するがちょう)は現在の日本橋辺りです。現在その地名は失われ東京都中央区日本橋室町となっています。(少し話は江戸から逸れますが、古い地名をなぜ変えてしまうのでしょう。地名には歴史があるのに、再開発とかでその地名まで変えてしまうと、その土地に対する愛着というか思い入れが薄れてしまうのに、、、といつも思います。)この場所から富士山(駿河国)が美しく見えたことから駿河町となったようです。駿河国は徳川家ですね。ということは家康の住う江戸城からも当然見えたわけで、毎日故郷を眺めていたのでしょうか。

この作品の視点は現在の室町二丁目の交差点、千葉銀行がある場所から、三井住友信託銀行と三越百貨店を眺めています。左側が三井越後屋両替店、右側が三井越後屋呉服店です。現在とは位置が逆です。さすがの大店、今も当時も一等地に、大きな店構えです。

ご存知の通り三井越後屋は現在の三越百貨店です。当時の高級呉服店は客の屋敷に出向いて商売していましたが、三井呉服店は店で反物を選び、裏で職人がすぐに着物に仕立てました。江戸時代でも、スピード感があり、手軽に買い物できるのは喜ばれたんですね。また、当時はいわゆるツケでの支払いが主流だったのを現金で商売をしました。ツケで払うと金利がかかり、高値になるので、商品と交換に現金で支払えばその分安く済みます。また、反物は1本丸ごと売るのが当たり前でしたが、反物の切り売りを始めたのも越後屋。革命的な商売を始めてここまでの大店になったわけです。2階の窓の格子窓も手が込んでいますし、店の前に立っている看板も大きく、繁盛の証です。

越後屋の手前の小屋は右が木戸番、左が自身番です。木戸番はその名の通り、町の入り口の木戸を開け閉めする人が詰めている場所でしたが、徐々に木戸を閉めることがなくなり、雑貨屋などを営んでました。自身番は街の有力者が詰めて街の管理(自治)をしていましたが、その後、人を雇って管理させていました。交番の前身になりました。

左端にいる、樽を下に置いて何やらやっている男の人はべったら漬け売りです。べったら漬けは東京(江戸)の名産品です。大根の麹漬けで甘しょっぱくて、乳白色の柔らかい漬物です。周りに甘酒の麹が付いていて、それがベタベタするので「べったら」漬け。子供の頃大好きでした!思い出したら食べたくなってきちゃった。

北斎 諸国瀧廻り

諸国瀧廻り・木曽路ノ奥阿彌陀ヶ瀧
しょこくたきめぐ きそじ おくあみだがたき  大判錦絵 天保4年頃 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

葛飾北斎ってやっぱりすごいです。日本を代表する画家ですし、作品数も多いし、印象派に影響与えちゃってるし、ロシアのどこかのマンションの壁面一杯に神奈川沖浪裏とか描かれちゃったり、語っていいのか?というぐらいの巨匠ですよね。

これぞ芸術家、って感じの絵に対する執着心と変人伝説。本人に出会えても(たとえ尊敬してたとしても)凡人の私では友達にはなれなかったかも知れません。仏像背負ってブツブツ念仏唱えて歩いていた、とか、あれだけ売れっ子なの常に貧乏とか、名前もお金に困ると売っちゃうからコロコロ変えちゃうし、当時の芸術家名鑑に住所不定って記載されてる、、、。エピソードも超一流です。

北斎はとにかく作品が面白い。当たり前過ぎますが、北斎展に行って、作品数もものすごく多かったのですが、夢中で観ていて、疲れ切って仕方ないから出口に向かったのですが、気がついたら3時間ぐらい見ていました。でも全く飽きない。体力がもっとあったらずっと見ていたかった。北斎は面白い。楽しい。大好き。単なるミーハーです。

北斎の魅力の一つは構図の大胆さ。滝の上の丸い水の塊は何?こんな滝ないでしょ。その塊からドバーっと滝が流れてくる。落差約60m。滝のダイナミックさとか迫力とかちゃんと伝わってくる。そしてデザイン的。日本の絵画は写実性と抽象性が絶妙のバランスになっているんですね。

滝の前でお弁当広げてる人物もいい。こんなすごい滝の前で、きっとマイナスイオンを浴びながら滝を楽しみ、おしゃべりに興じている。北斎の人物は人生を謳歌しています。

阿弥陀ヶ滝は岐阜県郡上市にあり日本の滝100選に選ばれています。遊歩道が整備されていて、滝の近くまで行けるそうです。絵の中のお弁当食べてる崖は無さそうですが、、、­アフターコロナ に行きたい場所がまた増えてしまいました。

魚河岸

江戸の朝は早いです。夜明け前、というか深夜2〜3時から江戸前の魚を積んだ船が次々と魚河岸に到着し、商いが始まっていきます。江戸の漁師が運んだ魚を魚問屋が並べ、朝日が上がる頃には、魚売りが町で魚を売り始めます。

その一 朝の魚河岸「一日三千両の落ちどころ」

当時は現在の様なお店を構えた魚屋さんはありませんから、棒手振(ぼてぶり)と言われるタライを棒に付けた天秤棒を担いだ魚売りが売り歩きました。鮮度を保つために早足で売り歩いたそうです。私はどうしても棒手振の姿を見るとドリフのカトちゃんのコントを思い出してしまうのですが、、、すいません。

魚は庶民も毎日食していました。考えてみると、現在では旅行で行く海沿いの町や港町でしか食せない新鮮な魚介類が、江戸では普通に毎日水揚げされていたんですね。今の都会人よりも江戸人は毎日美味しい魚を食べていたのかも!と思うと羨ましいです。

初めは売るだけだった棒手振ですが井戸端で捌いてくれるサービスもしていました。また、海から遠い地方には塩漬けにして運んだそうです。夜明け前から働いて、お昼(現在の午前9時)に仕事はおしまい。

魚河岸は日本橋の南側にありました。現在、日本橋船着場のある辺りです。ですので魚河岸の背景に見える橋は日本橋。タイトルの「一日三千両の落ちどころ」は一日に魚河岸で3000両が動くという意味です。江戸の経済の中心地、江戸のど真ん中にあったんですね。関東大震災の時に被災し、築地に移転しました。現在は海とともに市場もどんどん追いやられて、豊洲へ、、、。

CGの魚河岸で魚を吟味している侍は魚奉行です。将軍へ献上する魚を選び格安で買って行ったそうです。「目黒のサンマ」という有名な落語がありますが、魚河岸と江戸城は目と鼻の先、魚河岸に美味しいサンマが上がるのを考えると、なるほど〜、座布団三枚!

鬼滅の刃

昨日、「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」の興行収入が400億円を突破!というニュースが流れてきました。とうとう400億円。日本国内での累計来場者数2896万6806人と多くの方々に鑑賞頂き、制作に携われた者として非常に感慨深いです。アニメに限らず、映画でもドラマでも漫画でも、制作者は人気が出て、いわゆるヒット作となる事を期待して制作していると思いますが、まさかまさかの大ヒットですね。正直ここまでのヒット、社会現象にまでなるとは思いませんでした。本当に皆様に感謝ですね。

え?鬼滅の関係者なの??と思われた方もいるかと思いますが、「モデリング協力」という立場で制作協力させていただいています。モデリング協力って何??ですよね。ちょっと分かりにくいですね。

モデリングとは3DCGの骨格と言いましょうか、対象物の形状を作る基本の部分です。自分は江戸時代の建造物をメインで制作しているので、アニメの背景になる建築物の製作協力をしています。鬼滅の世界は大正時代ですが、当時は一部の近代化された街以外は、ほとんど江戸時代と同じ家に住み、街並みもそんなに変わらなかったので、原作の時代に合わせた時代考証を、ということで依頼があり、制作となりました。

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感想(90件)

実は、制作会社のユーフォーテーブルさんとは「鬼滅の刃」の前の作品、「刀剣乱舞」からのお付き合いです。こちらは江戸時代が舞台なので、まさにピッタリな作品でした。初めて携わったアニメなので、自分の作品が火事になっていたり、瓦屋根の上で戦いのシーンがあったりと、こんな感じになるんだ〜と面白かったです。

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感想(0件)

キッカケは原田マハ

私(妻)は日本美術が大好きです。でも本当はつい数年前にハマったばかり、、、。元々芸術学とか専攻してたのに、仕事に結婚、育児に追われて、気付いたら美術からかけ離れた生活をしていました。その間、ピアノにハマったり(4歳からやってたので)編み物にハマったりしてたのですが、結局やっぱり美術の世界に戻ってきてしまいました。でも、本当は若い頃は日本美術に興味なくて、(授業で習った若冲は強烈に覚えてるけど)西洋画とか現代アートが好きでした。

美術に気持ちが戻ったきっかけは作家の原田マハさん。

フリーのデザイナーをしていると、結構自由な時間が増えまして、その間、図書館から大量に本を借りて毎日没頭して読んでいました。まあ、普通に人気の小説が中心だったのですが、今までで一番読書した時期。月10〜20冊くらい読んだかな。(強者はもっと読むと思いますが)2〜3年図書館に通っていました。図書館様様ですm(_ _)m コロナでちょっと足が遠退いているけどまたお世話になります。その中で一番好きだったのが原田マハさん。

MOMAでキュレーターも勤めた西洋美術のプロが書くアートな小説はどれも面白かった!実在する画家とフィクションで登場する人物の境界線が曖昧で、どこから事実か、フィクションなのか分からなくなってしまい、ネットで検索して調べたりすると、さらにその芸術家のことが知れたりして勉強になりました。

特に心に残っているのは戦後の沖縄の「ニシムイ美術村」の芸術家達と米軍の医師との交流を書いた「太陽の棘」。おハズかしながら彼らのことは全く知りませんでした。戦後の混乱と廃墟の中、作品を作り続ける姿に感動します。沖縄芸術復興の拠点となった彼らの作品を是非見てみたいです。

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他にもマハさんの作品はゴッホやモネがモチーフになっている話などなど惹き込まれます。作品数も多く、泣きながら読んだ作品も多く、ああ、原田マハさんの話になると止まらなくなってしまう。(ちなみに芸術の絡まない作品も面白いです!)

そこからもう一度美術を勉強しようかな〜と美術書コーナーに立ち入ってしまった!これがいけなかった(笑)西洋画ももちろん美しいですが、学生の時に学んだ事も多いので、全く知らない日本美術はどんなもんなんだろう?と思ったら、めちゃくちゃ面白かった!!!

印象派の画家達はこの何倍ものショックを受けたのかもしれませんが、西洋画の美しくバランスも取れて遠近法も完璧な絵画と比べると、大胆な構図や、デザイン性の高さ、細密な描写などなど全く違う世界が展開されていた!何故今まで出会おうとしなかったんだ〜!と自分を攻めてしまいました。そこから図書館で借りるのは美術書になり、ノート片手にメモを取り出したりして、気分は学生。美術館にもあちこち行くぞ〜!と展覧会とかチェックしてカレンダーに書いて息込んでいたらコロナ(泣)