3DCGで再現した 江戸城

歴史に詳しくない、私のような人は「江戸城どこにあるの??」と思う方も多いのではないでしょうか。私は東京出身なのですが、若い頃は東京に城があったの??っていう感じでした。東京の中心にあるのは天皇陛下が住んでいる皇居でしょ、みたいな、、、。最近の若い人は知っているのかな。皇居は江戸城跡だという事を。「江戸城址公園」とかだったらわかりやすいですよね。名前が変わっちゃっているのが最大の原因だと思いますが、もし現在の皇居に江戸城がそのまま残っていたら東京の景色は違うものだったでしょう。

東京のど真ん中にあったら、、、。かっこいいな。

城と言えばそのシンボル「天守」が無いのも城感が無い要因の一つ。姫路城のように堂々と天守がそびえていると「城」って感じがします。江戸城の天守は徳川家康、秀忠、家光の頃に建てられましたが、明暦の大火で焼失し、江戸の復興を優先したため天守は再建されませんでした。再建の計画はされたようですが、泰平の世に天守は必要ないと判断した、当時の首脳陣は賢いですね。
そもそも「天守」は戦の時に必要なものです。遠くまで見渡す見張りの役割をし、そこから攻撃、籠城もできる。力を誇示し、領地の支配者のシンボルとなる。でも戦国の世が終わった江戸時代には必要ありません。もちろん建立には莫大な費用がかかりますから、江戸の庶民が大火で困っている時には単なる贅沢品にしかならない、という判断だったのでしょう。
でも正直、今、天守があったら、東京の最大の観光地で経済効果もあっただろうな、と思います。見てみたい!もちろん日本最大で、高さ約45m、姫路城よりも10m以上大きかったそうです。

ちなみに、「天守閣」という言葉もあります。私もよく「天守閣」と言って、主人に「天守だよ」、と指摘されておりますが、正式名称は「天守」で、「天守閣」は俗称だそうです。豪華な建造物に「閣」という言葉をくっつけるそうで、庶民が「天守閣」と呼んだのが広まったそうです。

また、城=天守ではありません。将軍が政務を行い、居住する、広大な「御殿」がありました。こちらが本来の城の役割です。今の国会議事堂と首相官邸と各省庁を兼ねた建物になります。江戸城にはこの御殿も残されていません、、、、。大名達と謁見する広間や執務を行う中奥、将軍の妻と子が住む大奥など、迷路のように広大な屋敷がありました。広大な御殿に慣れない大名は迷ってしまうので案内役もいました。

Kindle本 江戸城より

そんな江戸城を3DCGで再現しています。制作には約10年。初めは外観だけでしたが、現在は御殿内部まで製作しています。現存していたら是非みてみたい江戸城、残念ながら叶わないので是非CGでご覧ください。

Kindle本では歴代三つの天守と再建されなかった四つ目の天守、御殿の内部、将軍の生活、大奥の内部をHPよりもさらに高画質な3DCGでご覧いただけます。

Kindle本  江戸城 歴史CG作家中村宣夫作品集

国立西洋美術館 写本展

2024年7月現在開催中の『写本 いとも優雅なる中世の小宇宙展』を観てきました!

ルネサンスの以前、印刷技術が無い時代の本は一冊一冊書き写していました。それが写本。

私はデザイナーですが、Macでカタカタ打てば同じ書体がズラっと並びどんなに大きい文字も小さーい文字も綺麗に揃って打てます。挿絵も素敵なイラストをタダで探して来る事も出来る時代。でもこの頃は1文字1文字美しく綺麗に揃えて書き、美しい挿絵や装飾を描く。物凄く手が混んでいて、写本の職人、凄すぎます!素晴らしい!書いてみたい!文庫本のような小さいサイズの本もありました。すごい忍耐力と集中力が必要な作業ですね。

日本にも写経があり、そちらも美しいですよね。洋の東西を問わず、同じような文化が全く異なるカタチで表現されるのは面白いですね。

また、私個人的に西洋美術の中でも、中世絵画は大好きな時代です。ルネサンス以降やギリシャ彫刻のように完璧なバランス、美しさではないけれど、様々なデザインが施されていて、面白い!人物の絵もどこかデッサンがズレていたりするけど、それを上回る魅力があります!

中世らしい金を多用し、華やかで美しく、何故か文字に人物の顔が装飾されていたりして、楽しいデザイン。

中世はほぼ全ての作品がキリスト教に根付いています。ミサ用にミサ曲の楽譜が書かれているのも多く、4本線の楽譜の実物は初めて見ました!これは読めない…c(゚^ ゚ ;)ウーン

随分前ですが、イタリアの古都ボローニャに行った時に、中世の作品を集めた美術館に行ったのを思い出しました。中世絵画はマイナーで、私達以外に見に来ている人がいなかったような記憶がありますが、西洋中世絵画は素晴らしい!

写本を堪能した後、常設展も行きました。西洋美術館に行ったのは実は何十年振り?久しぶりにモネとかマネとか見ました。やはり美しかった。松方コレクションは点数も多く、改めて素晴らしいコレクションだと実感しました。中世以降の西洋美術史の流れを勉強するのにピッタリですね。

ジャクソン・ポロックも!

美術館はパワースポット!この夏はまだまだ行きます!

東京国立博物館 表慶館 カルティエと日本半世紀のあゆみ『結 MUSUB I』展

2024年7月開催中のカルティエ展に行って来ました!と言っても明日で終わりです、、、。なので急遽行って来ました。

カルティエが日本に初めてブティックを開いてから50年を記念して開催されました。カルティエの美しいジュエリーと日本人アーティストの作品が展示されました。

キラキラすぎて綺麗に撮れませんでした、、、。

カルティエは超高級店なので、普段おいそれとは入れません。でもここなら食い入る様に見ても咎められず、店員さんも来ない!じっくりカルティエの世界を堪能出来ました!日本文化にインスパイアされた作品が多数ある事も知らなかったので、日本の文様や桜などのモチーフがジュエリー作品として作られていて、誇らしく感じました。そしてやはり美しい!

日本人アーティストの作品は、まず横尾忠則の肖像画が出迎えてくれて、やっぱり横尾忠則だよね、とか思い、大好きな三宅一生のファッションを超えた作品に心打たれ、久しぶりに現代アーティストの作品を堪能しました!

そしてせっかく国立博物館に行ったんだから国宝見たいと!と、常設展も見て来ました!

今日の国宝の部屋は平安時代の絵画でした。これ平安時代なの?近代絵画っぽい感じ!当時斬新な作品だったのではないでしょうか。

その他もさすが国立博物館、見応えありました!今回浮世絵は大好きな歌川国芳!武者絵から金魚まで見れて満足!

今日は西洋美術館も行く予定なので、ミュージアムショップは今日は寄らず、、、。埴輪のぬいぐるみ欲しい、、、。

銭湯の歴史

最近、また銭湯が見直されてきました。各家庭の内風呂が普及した昭和40年代から銭湯は徐々に減少してピーク時の1/10にまで減ってしまったようですが、若者が行きやすい造りにしたり経営を工夫したりとまた銭湯が注目されています。スーパー銭湯や温泉は相変わらずの人気ですし、ただ単に汚れを落とすだけではなくて、日本人にとって『銭湯』や『公衆浴場』は大切な一つの文化なのだと実感します。数年前になりますが、都内の子供の頃に通っていた銭湯(家に内風呂があったのですが、時々行っていました)の前を通ったら破風造りの入り口が残っていて、感動しました。その時は残念ながら時間が無く、写真を撮って帰ってきただけなのですが、今度入りに行こう!と思って調べたら、もう無くなっていたようです、、、。ショック(泣)。

そんな大好きなお風呂屋さんの歴史についてです。

日本の大衆浴場の起源は奈良時代、奈良の大きな寺院です。僧侶は修行の一環として心身を清めるために沐浴をします。大勢の僧侶を抱える大寺院では僧侶たちが一度に入れる大きな浴場が必要となり、寺院の一角に大浴場を設置したのが始まりと言われています。それが中小寺院にも広まり、さらに僧侶以外の一般の人々にも開放され、それが銭湯となり、庶民に大衆浴場の文化ができました。

江戸の湯屋の始まりについては三浦浄心の『そぞろ物語』(寛永18年=1641年)に、天正19年(1591年)伊勢與一という人が銭瓶橋(ぜにかめばし)のほとりに風呂を立てた、との記載があります。現在、銭瓶橋は現在無くなってしまいましたが、日本橋の辺りにありました。全国から江戸城築城の建材が日本橋川を上って運ばれ、銭瓶橋周辺で陸揚げされたので周囲には町屋敷や商店、遊女屋も出来、多くの人々で賑わっていました。一仕事終えた人々が風呂に入りたくなるのは人情。ここに風呂屋ができたのは当然のことだったのでしょう。この湯屋、風呂の中は「息がつまる」「目も開けられない」と記されているので、蒸し風呂だったようです。風呂代は永楽一銭(永楽銭は寛永通宝が作られる以前、明より輸入した通貨)と記されています。

元々湯屋は混浴でしたが、寛政3年(1791年)寛政の改革で混浴禁止令が発令されたので、文化文政期の湯屋は男湯女湯に分かれています。男女二つの浴槽を持つことが出来ない小さい湯屋では昼間は女湯に、夜からは男湯にと時間で分ける湯屋や、女湯専門、男湯専門の湯屋もありました。また近くの湯屋同士で相談し、女湯にする日を決めるなど工夫して営業していました。

でもきっちり男女で分かれているのは江戸市中ばかり。江戸市中を出ると「入り込み湯」といって混浴の湯屋がほとんどでした。また、大坂では湯船だけ男女に分かれていて、入り口から洗い場までは男女一緒の湯屋もありました。

CGでは江戸時代後期の湯屋を再現していますが、この時代に現在の銭湯の原型がほぼ出来上がっています。

江戸時代の湯屋についてkindle版「浮世風呂」に美しい高画質3DCGとともに詳しく紹介しています。

桂三木助師匠の独演会

7月11日に落語家、五代目桂三木助師匠の独演会に行ってきました!師匠の独演会ではオープニング映像を流す演出を以前からやられていて、今回、中村のCGを使用して頂きました。伝統芸能とのコラボが実現しました!!

伝統的な落語なのになぜCGなのか?というと、伝統的であるが故に、時代背景が古くて噺を聞いても状況が良くわからない方が年々増えていっているので、より分かりやすく、落語の話からその世界をイメージし易くするために江戸の映像を流したい、という事でした。特に若い方は、昔のように時代劇をテレビで見る機会も少ないので、余計に落語の世界を理解するのが難しくなっているのを師匠が実感しているそうで、映像を活用し、より落語を楽しめるよう、演出されています。

そして今回、よりリアルな江戸の町を求めて、師匠から直接ご連絡頂き中村の作品を使用していただきました。
内幸町ホールでの公演で、ホールにある機材が古いのであまり綺麗に上映できないかもしれません、とおっしゃっていたのですが、拝見しましたら、舞台いっぱいの大きなスクリーンに想像以上に綺麗に投影していただき感激しました!映像制作会社の方々とホールのスタッフの方々、師匠のこだわりのお陰です。感謝感謝です。


上映内容は日本橋、長屋、吉原のcgを映像制作会社の方にいい感じに編集して頂き、オープニング映像として上映していただきました。またこの日の演目「紺屋高尾」に合わせ、花魁高尾の姿を幼少期から花魁に変化するシーンをメインに吉原での出会いの様子をエンディングに上映して頂きました。

この日の師匠の演目は1本目が「だくだく」と2本目が「紺屋高尾」でした。「だくだく」は長屋が舞台のおちゃめな長屋の住人と泥棒の爆笑のやり取りで、初心者の私にも分かりやすく、大笑いさせて頂きました。
2本目は上記にも書いた映像を使用した演目です。吉原を舞台にした「紺屋高尾」は1番人気の花魁高尾と職人の若者の3年にわたる恋の物語で、しっとりとして深いお噺で、落語=笑い、という認識しかなかった初心者の私は目からウロコ!なるほど、こういう世界があるんだと、その世界観に引き込まれました。


前座の金風亭杏寿さんの落語も現代の話題も入れてアレンジされて面白かったですし、米粒写経さんの漫才も爆笑でした!漫才もライブは初めてなので迫力があって楽しかったです!!次回も楽しみ!!

師匠の今後の講演などは公式ページからご覧下さい。次回の独演会でもCG映像が流れますので落語と共に映像もお楽しみください。

五代目桂三木助公式ホームページ