吉原と浮世絵

吉原は浮世絵にたくさん描かれています。みなさん美人は好きですからね〜。また気軽に通えない人にとっても、吉原の浮世絵は楽しみだったのでしょう。現代のプロマイドみたいな感じです。

その中でもちょっと異質な、こちらの「名所江戸百景・浅草田甫 酉の町詣」がお気に入りです。

名所江戸百景・浅草田甫 酉の町詣
歌川広重 安政4年(1857) 大判 錦絵
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

私は北斎が大好きです。なので広重はそんなに興味がなかったのです。全然タイプが違いますから。大胆で力強く茶目っ気もある北斎と、理路整然、真面目すぎない?といった印象の広重。変人と武士。と思っていたのですが、数年前に太田美術館で広重の絵を見た時に、ものすごく綺麗!と感激しました。なるほど、これは幅広く愛されるよね、美しいものをやっぱり人は欲するよね。

こちらの浅草田んぼ。シンプルで清々しい。吉原の格子の中から外を眺める猫。かわいい。でも本当は外に出て自由に歩き回りたい遊女の心情を代弁しているのでしょうか。

実は以前浅草に住んでいたのはこの辺りなんです。もちろん現在、浅草に田んぼなんかありません。なので風景は全くの別物です。ビルだらけで富士山も見えないし、、、。

鷲神社すぐ近く、11月の酉の市は楽しみでした。熊手を売るたくさんの屋台と威勢のいい掛け声を聞いて雰囲気を存分に味わいながら、小さい神社の熊手を買いに行きました。下町のお祭りは季節の風物詩。三社祭、朝顔市、ほおずき市、そしておとりさま。コロナが終息したら久しぶりに行きたいな。ちなみに今年は二の酉までだったんですね。

吉原もすぐ近くです。この絵は吉原からおとり様に行く人たちを眺めていますから、ほんとに近いんですよね。吉原は現在でもちょっと近寄れないのでほとんど行ったことはありませんが、徒歩五分以内ですが、遊女はそのおとり様にも行けなかったのでしょうか、、、。

鬼滅「遊郭編」始まる

鬼滅「遊郭編」始まる

とうとう、遊郭編始まりましたね!煉獄邸の話はちょっと、うるっときてしまいました、、、。火の神神楽の秘密や煉獄さんと炭治郎の父の秘密とかも知りたいですね〜。

最後に遊郭の映像が流れていましたが、鬼滅の刃の1話目からモデリング協力をしております。モデリング協力とは背景画の骨格となる形状データおよびレンダリングの際の素材を制作提供しています。いわゆる日本家屋のデータ協力ですので、お屋敷などが出てくると注目して見てしまいます。今回の遊郭編には多く登場するので楽しみです!

また、すごく綺麗にアニメ映像になっていて感激しました!スタッフの皆様、感謝です。これからどんな展開になるのか、楽しみになりました。炭治郎達が遊郭の中を走り回ったり、バトルしたりして破壊されちゃったりもするんだろうな〜。

前半はウルっと来て、後半はワクワク!来週が待ち遠しい!

ところで遊郭といえば、浮世絵にずいぶん描かれてきた題材ですが、その中でも異彩を放つ絵画が葛飾北斎の娘、栄、雅号「応為」の代表作、「吉原格子先之図」です。

葛飾応為『吉原格子先図』紙本著色一幅。26.3×39.8㎝ 文政~安政(1818~1860)頃。太田美術館蔵。出典wikipedia

美人画は俺以上だ、と北斎に言わしめた応為。一番近くで幼少の頃から北斎の絵を見続け、その才能を受け継ぎ、北斎の右腕として絵を描き続けました。北斎の工房で描いていたため、応為としての作品はほとんど残されていません。しかし「吉原格子先之図」の図中の提灯には隠し落款の「応為」「栄」の文字が見えます。この作品は「私の作品よ」と主張するようです。

まるで西洋画のような陰影と遠近法は、江戸時代の人の絵なの?と、驚きがあります。当時こういった表現方法をされていたということは、かなり勉強研究していた証だと思います。北斎は西洋画を集めていた、という説もあるので、一緒に研究していたのかもしれません。また、この作品を女性が江戸時代に描いていたという事が新鮮ですが、北斎とは違う色使いと繊細なタッチで、女性らしい濃厚さというか、艶かしい感じがします。

その「吉原格子先之図」からインスパイアして製作したのが吉原のCGです。妖しい光と影が吉原の色香を表しています。

吉原張店

吉原張店内部

北斎とドビュッシー

先日、友人がさいたま市音楽家協会の演奏会に出演していたので久しぶりにクラシックのコンサートに行ってきました。綺麗な音楽に癒されて、全ての芸術は音楽的であるべきだ、というショーペンハウアーの言葉を思い出しました。(古い記憶なので間違えていたらごめんなさい)

クラシック音楽を聴きながら、日本文化の関わりあるかな、と考えていて、その時に思い出したのがドビュッシー。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

フランスの作曲家ドビュッシーの交響詩「海」(「海」管弦楽のための3つの交響的素描/1905年)は北斎の「神奈川沖浪裏」に影響されて作られたと言われている管弦楽曲です。美しく、壮大な曲です。キラキラと輝く凪いだ海と北斎の絵のように激しく迫ってくる波を感じます。東洋テイストもありますが、やはりドビュッシーが見ていたフランスの海を思い浮かべてしまいます。

ドビュッシーはカミーユ・クローデル(彫刻家)と交流があり、彼女から浮世絵を見せられて影響されたのではないかと言われています。1905年に楽譜が出版された時の表紙は「神奈川沖浪裏」をデザインしたものです。ちなみにこちらの波の絵は優等生的な綺麗な波ですね。北斎のgreate waveのように大胆にするのは気が引けたかな?

北斎を始めとした浮世絵がヨーロッパの印象派の絵画に多大な影響を与えたことは有名ですが、画家だけでなく作曲家にも影響を与えていた、ということですね。

遠い大陸の西と東の端っこで文化的に交流がされていたなんてロマンがあります。お互い出会うことは無かったけれど、もし出会っていたら、どんな芸術が生まれたのでしょう。当時北斎は出島に来ていたオランダ人からの依頼も受けていたようですが、まさかヨーロッパで画家たちに大きな影響を与え、その発展を促し、さらに音楽にまでなってるなんて思いもしなかったでしょう、、、。

浮世絵に影響された作家といえばゴッホ。浮世絵が不用品として日本製の陶器のクッション材として使われていたのは有名な話ですが、ヨーロッパの人が日本の浮世絵を評価してくれなければ、浮世絵は現在まで残っていなかったかもしれません。ヨーロッパの方に感謝です。

ジャポネズリー:雨の橋(広重を模して)1887年油彩 カンヴァス
ジャポネズリー:梅の開花(広重を模して)1887年油彩 カンヴァス
ジャポネズリーおいらん渓斎英泉を模して)1887年油彩 カンヴァス

ファン・ゴッホ美術館蔵©Van Gogh Museum, Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation)

とらやの羊羹

老舗の和菓子といえば、の虎屋さんの羊羹を先日頂いたので数年ぶりに食べました。さすが、美味しいですね。甘すぎず、でもしっかりとした餡子の味がして、飽きが来ない味でした。最近羊羹は非常食としても注目されていますが、賞味期限が1年間もあってビックリです。まあ、虎屋の羊羹を非常食にする人はいないと思いますけど、、、。

虎屋の創業、室町時代後期、ってかっこいい!色々な文献に虎屋のことは書かれているようですが、浮世絵として残っていないのかな〜と思いましたが、なかなか見つけるのは大変なようですね、、、。

せめてお菓子を食べている浮世絵はないものかと探してみました!

「江戸流行菓子話船橋」天保11年 渓斎英泉(江戸商売図会(中公文庫)より)

こちらの浮世絵は深川の船橋屋織江です。江戸に京菓子の羊羹が入ってきたのは寛政年間(1789〜1801年)頃で、京菓子の羊羹を江戸っ子好みの味にして大ヒットしたそうです。絵からもその繁盛ぶりが伺えます。

北斎の作品も見つけました! 

「母子と梅の花餅」2019年新・北斎展のカタログより

母子と梅の花餅 宗理画 寛政9年(1797年)津和野藩伝来摺物 大小暦狂歌摺物

摺物は私的に出版されたもので一般の人が購入するものではなく、何らかの目的のために配布するために作られたものです。津和野藩の藩主、亀井家に残されていたものなので、藩主からの依頼で作られたのでしょう。右下の四角い重箱に入っているのは花餅です。お正月などのお祝いに食べられる、餅でできたお菓子です。そこに数字が書いてありますが、それと、周りの赤い花が暦を表しています。狂歌も上に書かれていますね。

梅の花の形をしたお菓子に数字が書いてあります

お母さんが子供をあやし、楽しそうな赤ん坊。子供の成長を願う優しい絵です。北斎30代後半の宗理時代は琳派に傾倒し浮世絵から離れていた時期で画風が繊細でこの絵のテーマにぴったりとマッチしています。

江コ時代

10年前に江戸時代のリサイクルをPRしたくて作った画像です。

江戸時代は捨てるゴミは無く、全てリサイクルする循環型社会でした。現代人が必死に目指そうとしていることが、100年以上前に実現されていたんですね。

新聞広告風に作ってみました!

現在ドバイ万博で上映されている映像も江戸の循環をテーマにしています。

EDO Renaissance. Let’s return to Japan at that time

200 years ago, the people of Edo knew how to live in harmony with nature.

It means living in the same rhythm as the earth and making the same circulation as the earth.

I spent the day in line with the movement of the sun, and the things around me were made with gifts from nature such as trees, grass, and soil.

A system that cherishes everything and can recycle not only unneeded items but also ash and human excrement was created by the common people and has taken root firmly.

In order for the earth to be healthy, it is essential to have a healthy circulation in which the water that falls on the mountains as rain flows through the river and reaches the sea, becoming clouds and raining on the mountains again.

What is necessary for earthlings is to regain a circulating life.

郷乃誉から、「見せ物小屋」まで

先日の剣菱から、老舗酒蔵のお酒に興味が湧いたので他にどんな老舗酒蔵があるんだろうと、ちょっとネット検索したら、流石に沢山あるんですね〜。世界一の老舗大国。100年ぐらいじゃ、まだ新しい、って感じですよね。

色々飲み比べしたい、と思い、まずは茨城県の笠間市にある須藤本家の「郷乃誉(さとのほまれ)」取り寄せました!800年以上の歴史を持つ蔵って、すごい!平安時代か〜。実感が湧かない。「良い酒は良い米から、良い米は良い土から、良い土は良い水から、良い水は良い木から、良い木は良い酒へ。」と代々こだわって作り続けられた日本酒は世界でも賞賛されています。「生酒」、「冷やおろし」を初めて作った蔵でもあります。

何はともあれ。その歴史を絶やさなかったのは美味しいからに違いない!と言うことで試飲。

なるほど、これがフルーティーってことなんだ!日本酒のフルーティーってこれなのね、と初めて知りました!これは海外でも愛されるわよね〜、と言うか、ワインに近い感じで飲みやすかったです。日本酒苦手な人でもいけると思います。酒蔵見学もできるみたいで、いつか行ってみたいな〜〜。

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感想(2件)

飲んでばかりいないで、、、。

お酒は江戸の人の生活の一部。毎日大量に江戸にお酒が運ばれて来ます。江戸にお酒が運ばれて来る時の、酒樽を包んでいる、菰(こも)は、その後見世物小屋の建材として使用されていました。見世物小屋はいわゆるテント的に簡易に作られていたので、その壁面に、この酒樽の菰を使用していたのです。なので、所々に色々な酒蔵のマークが入っています。

「両国の見世物小屋」 
背の高い四角い建物が見世物小屋。茶色の四角いの、1つ1つが酒樽の菰。よく見ると黒いマークが入ってます。これが酒蔵のマーク

この菰は、ボロボロになったら、タワシに生まれ変わり、このタワシがボロボロになったら、カマドで燃料にされ、そこで出た灰は「灰買屋」が買って、酒の中和剤や染め物、焼き物などの制作に使われました。そしてまた美味しいお酒ができる!と言うことでこんなところでもリサイクル。江戸はリサイクル大国だったのです。

ちなみに酒樽は一升瓶40本分だそうです。酒樽の歴史は古く、鎌倉時代くらいから、板を立てかけて竹のたがで締め付けた「結桶」が始まりだそう。その酒樽を船で江戸まで運ぶときに樽同士がぶつかって破損しないよう、藁を巻いたのが酒樽の「菰」の始まりで、徐々に宣伝を兼ねて見栄えを良くして、現在ではお祝い事の鏡開きに使われていますね。

冨嶽三十六景 尾州不二見原

冨嶽三十六景 尾州不二見原

北斎は大好きですが、その中でも、この大樽の間から微かに見える富士山を描いた「尾州不二見原」はマイベストの1つです。

当時、高い建物が無かったのでかなりの広い地域から富士山が見えました。どこにいても何をしていても富士山が静かに鎮座して庶民の生活を見下ろしている。富士山は不思議なパワーがあります。富士山が見れた日はちょっとラッキーな感じがして、富士信仰をしていた江戸の人たちに共感します。

尾州は尾張なので現在の愛知県名古屋市辺りから富士山を眺めた景色のようですが、実際名古屋からどのように見えるのか、、、。私は関東からしか富士山を眺めたことがないので分かりませんが、北斎が実際にこの地で描いたわけでは無いようなので、実際見れる風景と同じだったかは甚だ疑問です。

ですが、ここは北斎の絵画の世界です。

北斎の絵画の魅力の一つは構図の面白さ。こんな大きな樽本当にあるの?ってサイズの樽からちょこんと見える富士山。望遠鏡のレンズを覗いたみたいな、でもそこだけクッキリと切り取られて富士山が主役と分かります。また遠景と近景のコントラスト。神の山である富士山と真剣に樽を作る職人。その職人の表情は穏やかで職に対する愛情とプライドが感じられます。それは北斎が職人を尊敬している証にも思えます。穏やかな日常の1コマなのにどこか躍動感も感じられるのは北斎絵画の構図によるものだと思います。

CG制作の裏話(?)小江戸川越

古い街並みを制作するのに参考になるのは当然古い街並みです。

川越に住んでおりますので、素材が身近にあるのはラッキー!というか歴史のある街だから引越して来た、というか。いくら綺麗で整備されていても、新しい家や店ばかり並んでいるのはどうも落ち着かないのです。ごちゃごちゃしていても昔からの人の営みを感じられる文化のある土地が好き。

川越に引越してかなり経ちますけれども、以前は浅草に住んでいました。浅草、大好きで、今でも時々浅草に行きたくなります。でも、浅草と同じくらい川越も好き。なんといっても江戸より古い歴史があり、当時の物が残されているのは最大の魅力です。残念ながら浅草は東京大空襲で焼け野原になってしまったので、古い建造物が遺されているは浅草神社の社殿くらいでしょうか、、、。

蔵造りの街並み

川越のメインストリート、有名な明治時代の蔵作りの商店が並ぶ街並みは壮観です。ちょっと裏道に入っても古い醤油蔵があったりと、歴史と文化が残されています。(ご近所でミニ観光ができるのも楽しい)日本建築だけで無く、かわいい洋館も味わい深いです。

メインストリートから数分歩いたところ、平安時代に創建された喜多院には江戸城の一部が移築されています。あまり知られていないのでは無いかと思いますが、ここでは本物の江戸城紅葉山にあった「徳川家光公 誕生の間」「春日局化粧の間」が見ることができます。皇居に行っても見れないのに、、、。江戸好きの人には是非ぜひ、喜多院に来て本物を観て欲しいです!さすが小江戸です。

また、川越城は嘉永元年(1848年)に建てられた本丸御殿の玄関・大広間・家老詰所が残っています。どこぞのコンクリートで再建された天守閣よりも余程、当時の城の規模や風格が伝わります。喜多院もそうですが、本物の廊下の広さとか木の太さとか板戸の大きさとか、やはり本物観ないと分からないことは多いですよね。

先日行ったときは、緊急事態も終わって、蔵造りの街は混んできましたが、喜多院や本丸御殿は比較的空いていました。もったいない!本当に見て欲しい。食べ歩きも楽しいけどね。

埼玉県指定文化財 川越城本丸御殿 (東日本唯一の本丸御殿遺構)
本丸御殿内部の廊下

こういった建造物は本物の質感、空気感も含めて全てCGの素材になります。また有名な重要文化財だけでなく、古い木造の民家なども多く残っているので、川越に越してきた頃は、あちこちに残る素材集めのために川越を奔走していました。ということで、江戸時代のCG作品には密かに川越の町が含まれているのです。

剣菱

最近次男と晩酌をしておりまして、、、日本酒が飲みたいというので「剣菱」買ってきました。

お酒は好きですが、今まで日本酒は苦手で、あまり飲んで来なかったのでどの銘柄が美味しいか、とか分からなかったのですが、流石に「剣菱」は有名なので聞いたことがあるし、一度飲んでみよう、と購入しました。

500年もの歴史を持つ「剣菱」。浮世絵にも描かれていて、江戸の人にも愛飲されていたようですね。そのお味は、美味し〜!やっぱり美味しくなきゃ、500年も続かないよな〜、間違いない。意外に飲みやすくて日本酒って美味しいんだ〜と実感。甘すぎず、辛すぎず、ちょどう良い感じ?(語彙力が、、、ソムリエにはなれないな、、、。)日本酒って甘いのから辛いのまで味に幅がありますが、剣菱はバランスがよかったです。(単なる好みかもしれませんが)

江戸の人たちも美味しいもの飲んで、江戸前の新鮮で美味しい魚を食べて、、、羨ましい〜!

現在は兵庫県神戸市に剣菱酒造の蔵元がありますが、江戸時代には、伊丹で作られていたそうです。そこから江戸まで運ばれたんですね。当時の流通が発達していた証でもあります。歌川広重や渓斎英泉の浮世絵に剣菱の酒樽を担いで日本橋を渡る様子が日本橋の風景として描かれています。その酒樽は小売りの酒屋に運ばれ、徳利や角樽などに移して売っていました。江戸ではそう言った酒屋を「枡酒屋」と呼んでいました。当時の酒屋を描いた読本にも剣菱のマークの入った樽が描かれています。

喜多川歌麿「名取酒六家選 兵庫屋華妻 坂上の剣菱」(メトロポリタン美術館蔵)

歌麿の浮世絵には名酒として描かれているので、やはり当時から愛されていたんですね。