遊郭について〜その5〜 吉原のしきたり

「夕もやが柳をほのかにぼかし、黄昏燈(たそやあんどう)に火をつける頃になると、各楼の美しいともしびは星のように輝き、絃声(すががき=三味線の音)が聞こえてくる。」と寺門静軒の『江戸繁盛記』にあります。イルミネーションが無かった江戸の夜に、行燈の火で明るく輝き、三味線の音が流れ、妖しい雰囲気を醸し出す吉原が目の前に広がるようです。

張見世・妖しい光に引き寄せられます

そんな吉原には色々なしきたりがありました。吉原は疑似恋愛をする場所なので、廓のしきたりに則って手順通りに進めねばなりません。当然費用も嵩んで行きますし、そんなに簡単に遊べる場所では無かったのです。

まずは遊郭に行って一般の客は直接妓楼の張見世でお気に入りの花魁を見つけますが、お金持ちの上客は引き手茶屋を通します。この引き手茶屋は予算や好みを聞いて、お客にあった花魁を紹介してくれる茶屋ですが、話を聞いてすぐ紹介、という訳には行きません。茶屋ですのでここで酒宴をあげ、花魁が迎えにきてくれます。

茶屋を通しても通してなくても、花魁を一目で気に入ったからと言ってすぐに床を共にはできません。なんと、3回通わないといけないのです。まず1回めは「初会(しょかい)」です。「引付座敷」というところに通され、酒宴で花魁に出会います。上座は花魁。初めて会ったのですから、床入りしても触れることも叶わない。でもこの酒宴代ももちろん客持ちです。

2回目は「うら」と言われ、1回目と同じように酒宴となりますが、少し親しさを見せてくれます。3回目でようやく馴染みの客となり、床入りできますが、今度は「床花(とこばな)」と言われるチップをはずまなかればなりません。

馴染み客

さらにその後も他の花魁と遊ぶことは厳禁。吉原では花魁が最上位ですから、花魁の機嫌を損ねてはいけません。また年中行事が多く、正月松の内をはじめとして花見や月見など毎月、吉原独特の祝い日などの「紋日(もんび)」を設けていました。いわゆるイベントデーでこの日は揚代が倍になりました。この日にお客がいないのは花魁の恥になるので、馴染みの客は足を運びます。というとまた費用が、、、。その他もろもろ、上位の花魁だと一回の揚代(1日の全ての料金)で職人の日当数ヶ月分になるそうなので、だいたい、百万円ってところでしょうか。これでは身代を潰す者が出てきても不思議ではありません。それでもハマってしまう人がいるのですから魅力的だったのでしょう。もちろん花魁も上客が離れないように努力は惜しみません。芸を磨いたり知性やテクニックを磨いたり。さらにお客の名前を刺青したり、小指を落として送ったり、、、。やはり色々別世界。

北廓月の夜桜 歌川国貞(三代豊国)筆 19世紀 横大判錦絵
北廓(ほっかく)とは、吉原のこと。旧暦3月の紋日の様子です。
中の町にはこの時期に合わせて桜が植えられました。大変な賑わいです。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

Veuve Clicquot(ヴーヴ・クリコ)

珍しく今回は久しぶりに飲んだシャンパンを紹介します!20代前半の頃に友人に教えられて(生意気だな)それ以来大ファンのヴーヴ・クリコ。息子の誕生日に久しぶりに飲みました♪( ´▽`)

超有名シャンパンですし、某有名三つ星フレンチレストランでも採用されてるイエローラベルですが簡単に説明を。1772年創業の老舗ワインメーカーです。ここに嫁いだマダム・クリコが亡き夫に代わり、事業を引き継ぎ1810年にシャンパーニュ地方初となるヴィンテージシャンパンの醸造に成功しました。212年前ですね。

このマダム・クリコが凄い人でした。当時はまだ女性がビジネスで活躍できる時代ではありません。早くに夫を亡くしたという不遇がきっかけではありますが、バイタリティとアイデアのある女性で、高品質のシャンパンを作り、そして売り込み、ビジネスとして成功しました。キャリアウーマンの先駆けですね。19世紀のキャリアウーマンといえばココ・シャネルですが、彼女が1883年生まれ。きっとシャネルもイエローラベルを飲みながらマダム・クリコを尊敬していたのではないでしょうか。

そしてクリコの代表的なイエローラベルは1877年に誕生しました!今も世界中で愛されていますね。やはり特別な日にしか飲めませんが、特別感を盛り上げてくれるのはシャンパンです!美味しくいただきました!

おまけですが。ヴィンテージシャンパンってなに?と言うことで調べてみました。ヴィンテージシャンパンは出来が良い同じ年の葡萄のみを使って製造し、最低熟成期間3年のシャンパンのことです。全てのシャンパンの2割程度しか製造されていないそうです。ノンヴィンテージは葡萄の収穫年が限定されず、15ヶ月以上の熟成期間があるものになります。なので庶民が飲めるのはノンヴィンテージですね、、、。なるほど、だからラベルに製造年が記載されていないのか、、、。それでも十分美味しいです!

川越観光(穴場情報)

最近急に暖かく(暑く?)なってきましたね。連休も近いのでお出かけしたくなります。ここ数年、東京近くの観光地、川越が人気です。週末はコロナの影響も薄まってるのか、人が多く、ちょっとびっくり。そんなことで、おすすめ穴場情報です。

時の鐘近く、人通りがちょっと少ない裏道を行くと「旧山崎家別邸」があります。こちら、国指定の重要文化財で、川越の老舗和菓子店「亀屋」の五代目の隠居所として大正14年(1925年)に建てられた和洋折衷のお屋敷ですが、まさに穴場です。休日の午後3時頃行ったのですが、私たちの前に1組、帰る時に1組、と人が少なくゆっくり見学できます。特に午後の方が人が少ないようですね。しかも、入館料大人100円、学生50円、中学生以下無料! 

小さめの邸宅ではありますが、まさに大正ロマン風情のある建物で、ステンドグラスが所々あしらわれていて可愛い。木と畳の和の空間は落ち着くので、人も少ないこともあって、縁側でちょっとのんびりしちゃいます。小さめなので、あともう1か所どこか寄りたい、っていう場合にもおすすめです。でも、こんな素敵な文化財を見てもらえないなんてもったいない!

蔵の街からちょっと距離はありますが、「川越城本丸御殿」です。東日本唯一現存の本丸御殿で、県指定有形文化財です。なのに、ここも混んでないですね〜。入館料大人100円、学生50円、中学生以下無料ですよ!お城の広間ってこんな感じだったのか、とか、廊下広いな、とか、実体験できます。全国各地に城がありますが、城の象徴である天守閣は戦国時代に必要だったもので、平和な江戸時代には、この本丸御殿での日常の業務が城の重要な役割だったわけで、この本丸御殿の中を役人が行き交い職務に励んでいたのかな、とか想像を巡らせてしまいます。

本丸御殿の向かいにあるのは「三芳野神社」。わらべうた『とおりゃんせ』発祥の地です。もともと川越城内にあったため、一般の人の参拝がなかなかできなかったため、このように歌われたと伝えられています。こちらも県指定文化財です。数年前に修復工事がされたようで、綺麗でした。森林浴をしてホッと一息。鳥居の近くにはなんと猫ちゃんがお出迎えしてくれます!人懐っこくって、猫好きには絶対オススメです!

穴場ではないですが、、、。

本丸御殿と合わせて喜多院の江戸城紅葉山の別殿を移築した客殿も見ていただきたいです。三代将軍家光の「誕生の間」もあり、皇居では見れない、江戸城の一部がここに残っています。ただ、こちらは穴場とは言い難いです、、、。庭園もあり、のんびりしたいけど、混んでる可能性もあります。喜多院の奥には仙波東照宮があります。岩佐又兵衛の三十六歌仙が見つかったところですね!(ちなみに三十六歌仙は「埼玉県立歴史と民俗の博物館」にあるのでこちらでは見れません。詳しくは「三十六歌仙額」のページをご覧ください)こちらは小さくコジンマリしているので、気が付かない人も多いのか、人が少なく、穴場です!

中村は城のCGを製作するのに、この江戸城本丸御殿と喜多院の客殿を参考にしています。本物ですからね、、、。身近に本物に出会える幸せ。

アクセスや開園時間等は川越市観光スポットページからご確認ください。https://www.city.kawagoe.saitama.jp/welcome/kankospot/index.html

福島の地酒

先日福島の地酒飲み比べセットを購入しました!福島20%OFFセールに惹かれて6本セットをお得に購入してみました!福島県は親戚がいることもあり、子供の頃は何度も訪れ、お米もとても美味しいので楽しみにしておりました。

福島県にもたくさん日本酒の蔵元があるんですね。飲み比べセットは初めてですが、全て老舗の商品で、さらに6本中4本は江戸時代の蔵元で、老舗探索をしている私としてはいろいろお得でした!

開当男山酒造(南会津町)「開当男山」享保元年1716年創業。剣菱に近い、これぞ日本酒。王道で美味しい。ちなみに「男山」というお酒は全国にたくさんあるそうで、江戸時代に飲まれていた「男山」はどれかははっきりとわからないようです。このお酒かもしれないし、もう無くなってしまっているのかもしれません。「酒=男山」のイメージがあり、競って同じ名前で作ったからのようです。昔は今のように特許とかないですからね、、、。でも以前から開当男山が飲んでみたかったので、このセット買ってみました。アタリでした!

笹の川酒造(郡山市)「笹の川」明和二年1765年創業。新しい挑戦を続けている企業でウイスキーも製造しているそうです。老舗なのに新しいものに挑戦する姿勢、尊敬します。

大和川酒造店(喜多方市)「弥右衛門」寛政2年1790年創業。大和川ファームという自社農場で自社栽培米での米作りをしているそうです。辛口でスッキリ飲めます。

末廣酒造(会津若松市)「末廣」嘉永3年創業1850年創業。明治に建てられた酒蔵が重要文化財に指定されています。見学に行きたい!会津に行きたい!甘口でしっかりした味わいです。

檜物屋酒造店(二本松市)「千功成」創業は明治7年1874年。さっぱりとしていて、アキが来ない飲み口がいいですね。

名倉山酒造(会津若松市)「名倉山」大正7年1918年創業。飲み口が良くてグイグイいけます。飲み過ぎ注意です。

どのお酒もとても美味しかったです!またそれぞれ個別に購入したいと思います。

読み本

最近、江戸の本を読んでおります。当時の本はもちろん持っていないし、もし持っていても、昔の仮名遣いは読めないので、再出版された本ですが、言葉はそのままなので、半分理解できていないところもあって読むのに時間もかかりますが、結構、わかります。学生の時に習った古文よりも江戸の言葉の方が現代語に近いですね。さらに現代語訳が併記されている本だとかなり楽です。ちなみに漢文で書かれている作品は完全にお手上げです。学生時代にしっかりと漢文の勉強をしておけば良かった、、、。でも漢文で書かれた本は完璧に現代語訳されているものがほとんどだと思います。

内容的には、ライトノベル的な感覚で読めます。ただ、江戸の人との感性の違いや知識、流行も違うので意味が分からない事も多々ありますが、200年以上前の人も同じ様なことを言って、同じ様なことで笑って怒っていたんだな、と思うと、江戸を身近に感じます。

まだ数冊しかトライしていませんが、初心者に楽しく読めたのは妖怪の話です。絵も面白いし、妖怪とかお化けとかは時代を超えて人気ですね。

中村が初めて作ったCGは式亭三馬(安永5年1776年〜文政5年1822年)の『浮世風呂』(文化6年1809年に前編が出版)からインスパイアされた作品だったので、『浮世風呂』を読みました。

溢れそうな本棚。図書館みたいな本棚に憧れますが、、、。
中央の右の黒い本が式亭三馬の浮世風呂と浮世床。
昭和5年出版の本です。最近の出版じゃあ無いですね、、。
でも句読点や改行があるので読み易い。

こちらのハードカバーは昭和初期に出版されたのですが、句読点もあり、改行してくれているので読みやすいです。現代語訳はないのですが、本文の上に注釈があるので大体理解できます。それでも、所々意味不明ですが、英語の本を読む時も、分からないところは飛ばしていいから、量を読め、って聞いたことがあるので、あまり気にせず読むことに。

賑やかな湯屋の様子を描いた挿絵です。男湯のはずなのに中央に女の人がいますね。
混浴禁止だったはずですが、江戸以外はほとんど混浴だった様で、
子供をあやすお母さんが脱衣所にいても周囲の人は誰も意に介さず。
話の中でもお父さんやご主人を呼びに男湯に女の人が平気で入ってきます。
ちょっとびっくり。今では考えられない。初めは私の理解力不足かと思いました、、、。

『浮世風呂』は江戸の湯屋(お風呂屋さん)でのごく日常の出来事を会話形式で短編の話にしていて、江戸の人たちの生活が垣間見れる作品です。どこの家に子供が産まれた、とか、子供連れのお父さんが熱い湯を嫌がる子供をあやしながら一緒に湯に浸かっている様子、とか、女湯では、化粧の濃いのは良くない、薄化粧の方がいいよね、なんて会話していて、今と変わらないよな〜ってしみじみ思います。お風呂で起こる出来事はちょっとした喧嘩や湯当たりで倒れちゃう、といったほのぼのとしたエピソードばかりです。江戸時代は現代と違う不条理もあったと思いますが、のんびりした時間を過ごしていて憧れます。

二階建ての湯屋の構造が分かるCG。左側が男湯、右が女湯。
男湯からのみ2階へ上がれました。2階は庶民の社交の場。

温泉でなく、スーパー銭湯でもなく、普通の銭湯に行ったのはいつでしょう、、、。もう少しコロナが収まったら浅草あたりの昔ながらの銭湯に行きたいものです。

鍬形蕙斎から越後屋

先日の飛鳥山のブログを書いたときに鍬形蕙斎(くわがたけいさい)の飛鳥山の絵を紹介しましたが、あのときに、鍬形蕙斎の作風ってこんなだったっけ?と改めて調べてみました。鍬形蕙斎は意外と資料が残っていなくて謎の絵師のようです。残念ながら鍬形蕙斎研究の著作物も少ないです。

鍬形蕙斎(明和元年1764年〜文政7年1824年)はもともと浮世絵師で北尾政美(きたおまさよし)と名乗っていました。紹真(つぐざね)という名前もあります。江戸の畳屋に生まれ北尾重政に弟子入りしました。同じ重政の弟子には北尾政演(きたおまさのぶ)=山東京伝がいます。狩野派や大和絵、西洋の解剖学も学び、あらゆる画法を駆使して描き、「江戸の工夫者」と称されました。寛政8年に津山藩八代藩主松平越後守津山候康哉(やすちか)の家臣となり、さらに狩野派の門人となり、鍬形蕙斎と名乗りました。この後は浮世絵ではなく、肉筆画の制作に専念しました。

鍬形蕙斎=北尾政美の代表作は鳥獣略画式と人物略画式、そして「近世職人尽絵詞」です。略画はその通り、シンプルで簡単に描かれたものですが、とても可愛らしく、最近流行った、『かわいい浮世絵』の代表です。

鍬形蕙斎 略画式 寛政7年(1795年)
出典:Smithsonian free gallery of art 
 略画式シリーズの最初の本で人物、草花樹木などが描かれている。
脱力系のかわいいキャラがたくさん。
最近、雑貨のイラストにも使われていますね。

「近世職人尽絵詞」は江戸の職人と庶民の生活が描かれているのですが、柔らかい筆遣いで、軽やかに当時の人々を描いています。職人の絵だけなのかと思っていたのですが、越後屋や寺子屋、様々な商店の中の様子が分かる絵も多く当時の風俗もよく分かり、歴史資料的な価値もあります。

近世職人尽絵詞 鍬形蕙斎筆 江戸時代・19世紀紙本 3巻 淡彩
大工の仕事の様子。真ん中の人が、背中の日焼けまで描かれています。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
国立文化財機構所蔵品統合検索システム
近世職人尽絵詞 鍬形蕙斎筆江戸時代・19世紀紙本 3巻 淡彩
右の文字に駿河町越後屋と読めます。越後屋の内部です。繁盛している様子がわかりますね。
活気があって楽しそうな雰囲気が伝わります。会話や笑い声が聞こえてきそう。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
国立文化財機構所蔵品統合検索システム
越後屋内部のCG再現
CGになると日本家屋の重厚感があります。
広さとか建物の作りはCGだと分かりやすい。

葛飾北斎(1760年〜1849年)と鍬形蕙斎は同時代の人で「北斎嫌いの蕙斎好き」という言葉もあるぐらい評価も高く、比較されました。それは鍬形蕙斎が評判になると、北斎が同じ画題で絵を描き、それ以上に売りまくる、といった事が実際にあったようで、北斎は俗っぽい、鍬形蕙斎の方が、品が良くて好き、という蕙斎ファンがいたようです。実際に2人の絵を比べてみると、鍬形蕙斎は柔らかく暖かく、確かに品が良いとも言えます。北斎は力強くてパワーがあり、自己主張が強いように思います。確かに俗っぽい。でも私はそんな北斎の俗っぽくて、自分は絵を描くしかないんだよ、っていう芸術家の叫びが好きです。

飛鳥山

東京北区王子にある飛鳥山は三代将軍吉宗が桜を植えたのをきっかけに桜の名所になりました。ここに植えられたソメイヨシノは、飛鳥山からも程近い、染井で誕生しました。桜の季節には大勢の人々で賑わい、お酒に弁当に団子に、歌ったり踊ったり、仲間で、家族で楽しい時を過ごしました。

歌川広重筆 東都名所・飛鳥山花見 19世紀 横大判 錦絵
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

そんな様子がわかる歌川広重の浮世絵です。踊っている人が見えますね。宴もたけなわになると上半身脱ぐのが江戸の人なのでしょうか??楽しそうですね。宴会の様子を覗き見てみたいです。

鍬形蕙斎筆 飛鳥山図 江戸時代・19世紀 絹本着色
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

また、鍬形蕙斎(北尾政美)の「飛鳥山図」を見ると全く違う飛鳥山です。遠景から眺めると自然豊かで静謐な、まさに「山」だったんですね。今は道路と線路に囲まれて、山の雰囲気はありませんが、急な坂になっているのは山だった地形そのままなのでしょうか。広重の絵にも描かれていますが、松もたくさん植えられていたんですね。おめでたい感じ?

実は私、この近くで子供時代過ごしていまして、この辺りは地元、愛着があります。子供の頃にお弁当を持って花見に行って、両親は花見酒を楽しんでいるので、姉とSLのある広場に行って大きい滑り台で遊んだりしたのを思い出します。

こちらの写真は2019年、数年ぶりにJR駒込駅から、母校に寄って、古河庭園、平塚神社を通って王子の飛鳥山まで散策した時の写真です。平塚亭でおにぎりとかお団子とか買って、飛鳥山でお花見しました。

平塚亭は、ドラマのロケ地になって最近有名ですが、私にとってはフツーに子供の頃からあるお団子屋さんで、ここ近年の人気ぶりにビックリです。混んでいて、並んで購入しました!確かに平塚神社の鳥居の横に小さいお店があってレトロな雰囲気がいいかも。美味しいし。ちなみに平塚神社も私の遊び場でした。小学校の写生大会も平塚神社の本殿描いて賞をもらったな〜、なんて色々思い出します。

花見に話を戻しますが、コロナ前はとても大勢の人で賑わい、座る場所を確保するのも大変でした!いつの時代も楽しみ方は同じなんですね。公園も綺麗に整備されて、「渋沢史料館」(渋沢栄一の資料館)も公園内にできていてびっくりしました。昔は飛鳥山公園の隣に渋沢邸があったと記憶していますが、現在は公園の一部になっているんですね。私は、渋沢邸が王子にあるので、ずっと、渋沢栄一は王子の人だと思っていました、、、。

祖母が生前、話していましたが、昔(多分、戦前)は、今の飛鳥山公園だけではなく、本郷通りまで桜が植っていて美しく、花見の人が大勢行列をなしていてもっと賑やかだったそうです。子供の頃に聞いた話なので、あやふやではありますが、ずっと桜の並木道だったら、さぞかし美しかったんだろうな〜と、想像するとワクワクします。

江戸の日常

最近、戦争のニュースが連日報道されています。

平和な世の中でなければ人々の生活は豊かにならないし、文化も発達しません。でも人間の歴史は戦争とともにあります。こんなにも人間という生き物は戦うことが好きなのか、と絶望的になってしまう時もあります。

日本の歴史の中で、世界的に稀な事のようですが、戦争が起こらない平和な時代が2回あります。平安時代は約400年間続きました。江戸時代は265年間。長い戦国時代を経て泰平の世を、と願い、徳川幕府ができました。その泰平の時代に日本の独自の文化は華開きました。豊かになりたい、幸せになりたい、自分を認めて欲しい。そのための手段は戦争では無い。そのことに早く気がついて欲しいと切に願います。

新板大道図彙・石町 葛飾北斎筆 文政8年(1825)頃 横四つ切判 錦絵 
平和で豊かな江戸の町の日常の一コマ。大好きな絵です。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

ひな祭り

今日はひな祭りですね。我が家でも小さなお雛様を飾っていますが、お雛様の歴史は古く、平安時代に無病息災を祈り人形(ヒトガタ)を川や海に流した行事が起源です。その後、上流階級の少女の「ひいな遊び」という人形を使ったおままごとが流行たのが合体した形で、今のひな祭りになりました。3月3日と日にちが決まったのは室町時代だそうです。この頃はまだ公家や武家などのお祭りでしたが、平和な江戸時代に、財力のある町人から庶民にも広がりました。

十軒店の雛市

江戸の十軒店(じっけんだな)、今の日本橋室町辺りには2月から3月に雛市がありました。ちなみに雛人形市が終わった4〜5月には武者人形市、12月には羽子板市がありました。これは人形町、浅草などでもありましたが、ここ十軒店が一番賑やかでした。屋台がずらっと並んで、お雛様、お内裏様などの人形はもちろん、屏風やぼんぼり、花瓶に白酒など全て売られていました。親に連れて行ってもらった女の子はあれもこれも欲しくなってしまいそうです。今の羽子板市の様に、値段はあってない様な物、お店の人と交渉して買い手がつくと、手締めをする、ずいぶん賑やかな市でした。そのせいか、倹約令の対象になることもあり、八寸(約24cm)以上の人形や華美な装飾は禁止される事がありましたが、そこは江戸の人のこと、禁制を守りつつも上手く祭りを楽しんでいました。

現在は「ひな祭り」と言っても自宅でそっとお祝いするだけですが、江戸時代はまさに「お祭り」と言った感じです。なんだか、ドイツのクリスマスマーケットを思い起こさせます。雛市も今でも残っていたなら、日本の素敵な文化なのに、と残念に思います。

ビアズリーと北斎

ここ1ヶ月確定申告の書類作りとかして忙しかったのですが、それだけではなく、勉強しておりまして、と言っても本を読んでいるだけですが、、、。ブログを書く際に、色々調べながら書いていると、これはどうよ?これってどうなの?と次々と疑問とか発見とかあるせいで、それを調べるため、図書館で本を借りたり、買ったまま読んでいなかった本を読んだりしていたら、あっという間に1ヶ月が経ってしまいました、、、。読みかけの本や、資料としてチェックしている本など、macがのっている小さい机に溢れています(本当は周りのクッションや床にまで、、、)。片付けても次の本を出してくるのでエンドレス、、、。これは諦めた方がいいな。

今回、何を調べていたかと言いますと、北斎とビアズリーの関係です。北斎の図版を見ていたときに、ビアズリーのサロメの絵を思い出しまして、絶対に北斎の影響がある!と調べてみました。浮世絵が印象派に多大な影響を与えたのは有名ですが、やはり、イギリスの芸術家にも影響を与えていました。正直、イギリス美術は日本ではフランス美術ほど人気ではないので、あまり知られていないんですよね。

オーブリー・ビアズリー(1872〜1898年)はイギリスのイラストレーター、挿絵画家として有名です。日本で一番有名なのはオスカー・ワイルドの「サロメ」の挿絵。26歳の若さで亡くなるまで、黒のペン画でグロテスクでエロチックな独自の世界観を表現しました。

Aubrey Vincent Beardsley 
サロメより「お前の口に口づけしたよ」

浮世絵は芸術家仲間から教えてもらったようで、春画を壁にはり、母と姉から嫌がられていたそうです、、、。ビアズリーのエロチシズムは春画に刺激されたのでしょうか。

特に影響を受けたのは「北斎漫画」だろうと言われていますが、私が見つけた北斎の絵は「勢田橋竜女本地」(文化8年1811年)です。サロメは戯曲ですが、この「勢田橋竜女本地」は浄瑠璃本でその挿絵という共通点と、首を差し出す、という似たシーン。また、サロメの絵は挿絵として描いた訳ではなく、イギリス版が出る前のフランス語版の「サロメ」にインスパイアされて描いた絵なので、北斎の絵を思い出して、自由に、似たようなシーンを描きたくなった、なんて事が合ったのではないかと思います。あくまでも私の推測ですが、、、。後に正式にイギリス版の挿絵を依頼されますが、作者のワイルドは「日本的すぎる」と、あまり気に入らなかったそうです。

葛飾北斎「勢田橋竜女本地」文化8年(1811年)
新・北斎展カタログより
話の内容は調べたのですが分からなかったです。残念。
うっすらと亡霊のように女性の首や煙のようなもの、狐と思われる動物が描かれているのがおどろおどろしい。