寛永行幸をCG化〜その参〜完成!Completion of the 3DCG Reconstruction of the Kan’ei Imperial Visit to Kyoto

2026年は『寛永行幸』400年目です。それに向けて制作していたCGが完成致しました。制作開始から早2年。京都御所から二条城までの道のりは長かった。制作は歴史CG作家中村宣夫と息子の中村生の共同制作です。

中立売通。

寛永行幸」とは寛永3年(1626年)9月6日天皇が徳川将軍の京都での居城二条城に行幸したことで、5日間にわたる一大行事となりました。招いた将軍は大御所徳川秀忠三代将軍徳川家光です。招かれたのは後水尾天皇、中宮和子(ちゅうぐうまさこ)と天皇一族です。※「行幸」とは天皇の外出を敬っていう語

中立売通。奥に見えるのが御所の禁裏。

武家に対する行幸は豊臣秀吉の聚楽第行幸以来約40年ぶりで、天皇家と徳川家の親密さをアピールしました。二条城では贅を尽くしたもてなしがなされ、京都市中では長い戦国時代の後、平和を享受する民衆が行幸に歓喜しました。残念ながら翌年に幕府の朝廷支配を告げる「紫衣事件」が起こり朝廷と幕府との軋轢が起こり、蜜月は終わりを告げてしまいます、、、。

堀川通。現在も市内の6車線もある大通りですが当時から広かった。

寛永3年(1626年)は江戸時代の初期なので、普段制作している江戸中期〜後期の町並みとかなり違います。瓦屋根の家は少なく、簡素な作りです。100年以上の時代の差があり、日本橋のCGとはかなり違います。※日本橋のCGはこちらから

堀川通。二条城が見えてきた

行列は長く見物人も沢山いて庶民にとってはお祭りでした。

堀川通。二条城近くの行列
二条城天守。到着です。

寛永行幸をcg化〜その弍〜二条城天守』 はこちらから

『寛永行幸を3DCG化〜その壱』 はこちらから

歴史CG作家中村宣夫HP
たくさん作品をご覧になりたい方はこちらから。
江戸城、日本橋、長屋、吉原などなどご覧いただけます。

寛永行幸をcg化〜その弍〜二条城天守

寛永行幸をcg化〜その弍〜二条城天守

2026年に寛永行幸400年になります。寛永行幸が行われた京都には昔の建築物が多く残っています。歴史CG作家中村は、現物が残っている建造物は本物を見れば良いのでCG化する必要があるのか?という考えなので、今まで京都の町を再現することには消極的でした。しかし、今回、寛永行幸400年というメモリアルイヤーが近いというので、CGで行幸の様子の制作を始めました。

寛永行幸について詳しくはこちらのページをご覧ください→『寛永行幸を3DCG化〜その壱』

こちらは二条城の天守です。1750年に落雷により焼失してしまいましたが、寛永行幸の時代には天守がありました。結構大きな天守で、石垣の下から見上げると迫力があります。京都は寺院と公家のまち、といったイメージで、武士のイメージがありませんが、京都に武士の象徴である天守があったら全く違うイメージだったかもしれません。

大きく美しい天守です

二条城を制作するにあたって二条城の図面と洛中洛外図屏風を参考に制作しました。出来てみると絵で見るのと全く違う印象です。特に日本画はそのままのものをそっくり映しとる、という絵画では無いので、CGにすると、なるほど、実物はこういう感じだったんだ〜とちょっと感心します。ちなみに塀の奥には御殿がありますが、人の目線からは見えません。そのための城壁ですね、、、。

こちらは天守と反対側の通り、堀川通から見た二条城。中央に天守が見えます。

寛永行幸は京都御所を出て中立売通を通り、堀川通を南下して二条城に入りました。3枚目のCGがその堀川通です。ここを絢爛豪華な公家と武家の行列が続いていたわけですね。

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