遊郭について〜その2〜吉原の構造を3DCGによる図解で解説します

遊郭について〜その2〜吉原の構造を3DCGによる図解で解説します

Introducing the structure of the Edo period red-light district with CG

今回は遊郭、江戸の吉原を例に図解で説明します遊郭は一つの町になっていました。周囲は幅3mの堀(おはぐろどぶ)(1)が掘られていて、出入口は大門(2)一つでした。遊女が逃げないように要塞のようになっていたんですね。大門を入って左には町奉行配下の面番所(3)で怪しい客を監視し、右の監視所(4)では吉原の自衛団が遊女の足抜け(脱走)を監視していました。

参考文献・双葉社スーパームック「吉原遊廓」

大門を入って真っ直ぐ伸びた中央の大通りが仲の町(なかのちょう)(5)。春には桜、秋には紅葉を植えたりと、季節に合わせて花木を植え華やかに演出しました。仲の町の左右には引手茶屋(6)が並びます。
引手茶屋とは遊客を妓楼(遊女屋)に案内する店で、客の送迎をしたり、吉原芸者を招いて宴会もしました。高級花魁はここで紹介してもらわないと会えません。
仲の町から木戸(7)を通って横道に入ると妓楼が並びます。横道も通りごとに名前がついていました。(8)

妓楼にはランクがあり、上位から大見世、中見世、小見世とあり、大見世では一晩で何十両も払える上客でないと遊べません。さらに、吉原の両端、おはぐろどぶに沿って並ぶ遊郭(9)は最下級でした。
吉原の端にある九郎助稲荷(10)は遊女からの信仰が厚かったそうです。吉原から逃れられない辛い現実を象徴しているようです。

妓楼1階

いよいよ妓楼の中へ。妓楼の入口には張見世(11)があり、この中で遊女が座って客を待っていました。この張見世は格子があり、この格子を(まがき)といい、大見世は大籬で天井まで全てを覆う格子中見世は半籬で上部の1/4が無い格子、小見世は上半分が無い格子で、店のランクがひと目で分かりました。ここで花魁を選び妓楼に入ります。

内所で周囲を見張る楼主
後ろには神棚、その横の鈴で人を呼びます
大見世の花魁
大籬から客が覗いているが、ほとんどは見物客

入ってすぐ、入口を監視するような感じで楼主(店のオーナー)がいる内所(なっしょ)があります(12)。妓楼は全て2階建てで、1階は従業員の生活の場、営業は2階でしていました。内所は2階までの吹き抜けになっていて、1階から2階全ての様子を見れる構造になっています。

妓楼2階

2階へ上がるとすぐに監視するように遣手婆(やりてばば)の部屋(19)があり、周囲に花魁部屋(20)が並んでいました。中央の出格子(21)には花魁用の下駄やお歯黒の道具、水差しなどが置かれていました。その横(22)には掲示物などを貼るスペースもありました。中庭(23)もあり、豪華な作りになっていました。

階段を上がると出格子
周囲には花魁部屋が並びます

炭治郎たちが活躍する、遊郭の全体がなんとなく分かって頂けたでしょうか。どこに鬼が潜み、退治していくのか今後の展開が楽しみです。

吉原のはなしはこちらから
遊郭の成り立ち、構造から花魁の生活、そこで働く人などなどCGと共に紹介します。

遊郭について~その1

遊郭について~その1

「鬼滅の刃遊郭篇」の2回目放送がありました。今回はギャグ満載で面白かったですね。絶対女の子には見えないだろ、と突っ込みつつ爆笑しました。

ところで遊郭ってどんなところか分からないですよね。その存在の是非は横に置いておいて、システムや構造を語ってみたいと思います。遊郭は全国各地にありましたが、ここでは遊郭の代表、江戸吉原の一番栄えた江戸時代の話です。

花魁部屋/花魁と酒を飲んだり宴会したりもして、一晩で、現在のお金で数百万使う人も!

遊郭は、音柱宇髄天元が話した通り、貧しい女性が売られて身を売る場所でした。遊女は6つの階級に分かれていました。美しく着飾り、技術と教養を身につけて最上位の花魁になると上級武士や豪商、文人などの上客がつきました。読み書き、和歌、書道、琴、茶道、活け花などなど、高い教養は大奥に匹敵したそうで、だからこそ、上級武士などの相手も務められたのでしょう。ですので、庶民の間に、吉原遊女に対する蔑視は無かったそうです。

また、吉原では、観光をしたり(女性も観光に来たそうです!)宴会だけすることもできたので、アニメにあった様に人が溢れ、大盛況を誇っていました。そのため、吉原で働く人は多く、遊女以外の女性や若い男性もいました。だから、炭治郎たちも潜り込むことが出来たのですね。女中やお針子、吉原芸者もいたので善逸のように三味線が得意なら重宝されたでしょう。善逸は現代なら天才ミュージシャンですよね〜。素晴らしい。

2階へ上がる階段/炭治郎達が活躍します!

アニメの中で、何度か「遣手婆(やりてばばあ)」が出てきました。宇髄がイケメンなのでうっとりして炭治郎達を雇ってしまいましたね、、、。この「遣手婆」は、花魁を引退した女性が大半で、遊女の全てを知っており、客のあしらい方の指導や躾、また客をあてがうなど、遊女達の管理をしていました。厳しくて遊女に恐れられていたそう。

遊郭2階/出窓のところに花魁用の下駄や遣手婆のお歯黒の道具がおいてあります。周囲には花魁部屋が並びます。

遊女の年季(契約期間)は最長10年27歳までと決まっていたそうです。年季が明けたあと、吉原を出て自由の身となり結婚したりする人もいますが、そのまま吉原で遣手婆になったり、吉原の関係者と結婚したりと、そのまま残る人もいましたが、年季を待たずに亡くなる遊女も沢山いました。

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吉原と浮世絵

吉原と浮世絵

吉原は浮世絵にたくさん描かれています。みなさん美人は好きですからね〜。また気軽に通えない人にとっても、吉原の浮世絵は楽しみだったのでしょう。現代のプロマイドみたいな感じです。その中でもちょっと異質な、こちらの「名所江戸百景・浅草田甫 酉の町詣」がお気に入りです。

名所江戸百景・浅草田甫 酉の町詣
歌川広重 安政4年(1857) 大判 錦絵
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

私は北斎が大好きです。なので広重はそんなに興味がなかったのです。全然タイプが違いますから。大胆で力強く茶目っ気もある北斎と、理路整然、真面目すぎない?といった印象の広重。変人と武士。と思っていたのですが、数年前に太田美術館で広重の絵を見た時に、ものすごく綺麗!と感激しました。なるほど、これは幅広く愛されるよね、美しいものをやっぱり人は欲するよね。

こちらの吉原から見える浅草田んぼ。シンプルで清々しい。そこに吉原の格子の中から外を眺める猫かわいい。でも本当は外に出て自由に歩き回りたい遊女の心情を代弁しているようで切ない。

実は以前浅草に住んでいたのはこの辺りなんです。もちろん現在、浅草に田んぼなんかありません。なので風景は全くの別物です。ビルだらけで富士山も見えないし、、、。鷲神社すぐ近く、11月の酉の市は楽しみでした。熊手を売るたくさんの屋台と威勢のいい掛け声を聞いて雰囲気を存分に味わいながら、小さい神社の熊手を買いに行きました。下町のお祭りは季節の風物詩。三社祭、朝顔市、ほおずき市、そしておとりさま

吉原もすぐ近くです。この絵は吉原からおとり様に行く人たちを眺めていますから、ほんとに近いんですよね。吉原は現在でもちょっと近寄れないのでほとんど行ったことはありませんが、遊女は近所にあるおとり様にも行けなかったんですね。

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『鬼滅の刃〜遊郭編』の吉原の風景

『鬼滅の刃〜遊郭編』の吉原の風景

とうとう、遊郭編始まりましたね!煉獄邸の話はちょっと、うるっときてしまいました、、、。火の神神楽の秘密や煉獄さんと炭治郎の父の秘密とかも知りたいですね〜。

最後に遊郭の映像が流れていましたが、CG作家中村宣夫は『鬼滅の刃』第1話目からモデリング協力をしております。モデリング協力とは背景画の骨格となる形状データおよびレンダリングの際の素材を制作提供しています。いわゆる日本家屋のデータ協力ですので、お屋敷などが出てくると注目して見てしまいます。今回の遊郭編には多く登場するので楽しみです!

吉原張店内部

また、すごく綺麗にアニメ映像になっていて感激しました!スタッフの皆様、感謝です。これからどんな展開になるのか、楽しみになりました。炭治郎達が遊郭の中を走り回ったり、バトルしたりして破壊されちゃったりもするんだろうな〜。前半はウルっと来て、後半はワクワク!来週が待ち遠しい!

ところで遊郭といえば、浮世絵にずいぶん描かれてきた題材ですが、その中でも異彩を放つ絵画が葛飾北斎の娘、栄、雅号「応為」の代表作、「吉原格子先之図」です。

葛飾応為『吉原格子先図』紙本著色一幅。26.3×39.8㎝ 文政~安政(1818~1860)頃。太田美術館蔵。出典wikipedia

美人画は俺以上だ、と北斎に言わしめた応為。一番近くで幼少の頃から北斎の絵を見続け、その才能を受け継ぎ、北斎の右腕として絵を描き続けました。北斎の工房で描いていたため、応為としての作品はほとんど残されていません。しかし「吉原格子先之図」の図中の提灯には隠し落款の「応為」「栄」の文字が見えます。この作品は「私の作品よ」と主張するようです。

まるで西洋画のような陰影と遠近法は、江戸時代の人の絵なの?と、驚きがあります。当時こういった表現方法をされていたということは、かなり勉強研究していた証だと思います。北斎は西洋画を集めていた、という説もあるので、一緒に研究していたのかもしれません。また、この作品を女性が江戸時代に描いていたという事が新鮮ですが、北斎とは違う色使いと繊細なタッチで、女性らしい濃厚さというか、艶かしい感じがします。

その「吉原格子先之図」からインスパイアして製作したのが吉原のCGです。妖しい光と影が吉原の色香を表しています。

吉原張店

歴史CG作家中村宣夫HP
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江戸城、日本橋、長屋、吉原などなどご覧いただけます。

フランスの作曲家ドビュッシーが浮世絵から影響を受けていた

フランスの作曲家ドビュッシーが浮世絵から影響を受けていた

The French composer Debussy was influenced by ukiyo-e

先日、友人がさいたま市音楽家協会の演奏会に出演していたので久しぶりにクラシックのコンサートに行ってきました。綺麗な音楽に癒されて、全ての芸術は音楽的であるべきだ、というショーペンハウアーの言葉を思い出しました。(古い記憶なので間違えていたらごめんなさい)

クラシック音楽を聴きながら、日本文化の関わりあるかな、と考えていて、その時に思い出したのがドビュッシー。

フランスの作曲家ドビュッシーの交響詩「海」(「海」管弦楽のための3つの交響的素描/1905年)北斎の「神奈川沖浪裏」に影響されて作られたと言われている管弦楽曲です。美しく、壮大な曲です。キラキラと輝く凪いだ海と北斎の絵のように激しく迫ってくる波を感じます。東洋テイストもありますが、やはりドビュッシーが見ていたフランスの海を思い浮かべてしまいます。

出典:国立博物館所蔵品統合検索システム ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

ドビュッシーはカミーユ・クローデル(彫刻家)と交流があり、彼女から浮世絵を見せられて影響されたのではないかと言われています。1905年に楽譜が出版された時の表紙は「神奈川沖浪裏」をデザインしたものです。ちなみにこちらの波の絵は優等生的な綺麗な波ですね。北斎のgreate waveのように大胆にするのは気が引けたかな?

北斎を始めとした浮世絵がヨーロッパの印象派の絵画に多大な影響を与えたことは有名ですが、画家だけでなく作曲家にも影響を与えていた、ということですね。

ゴッホ ジャポネズリー:雨の橋(広重を模して)1887年油彩 カンヴァス
ファン・ゴッホ美術館蔵©Van Gogh Museum, Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation)

遠い大陸の西と東の端っこで文化的に交流がされていたなんてロマンがあります。お互い出会うことは無かったけれど、もし出会っていたら、どんな芸術が生まれたのでしょう。当時北斎は出島に来ていたオランダ人からの依頼も受けていたようですが、まさかヨーロッパで画家たちに大きな影響を与え、その発展を促し、さらに音楽にまでなってるなんて思いもしなかったでしょう、、、。

浮世絵に影響された作家といえばゴッホ。浮世絵が不用品として日本製の陶器のクッション材として使われていたのは有名な話ですが、ヨーロッパの人が日本の浮世絵を評価してくれなければ、浮世絵は現在まで残っていなかったかもしれません。ヨーロッパの方に感謝です。

ゴッホ ジャポネズリー:梅の開花(広重を模して)1887年油彩 カンヴァス
ファン・ゴッホ美術館蔵©Van Gogh Museum, Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation)
ゴッホ ジャポネズリーおいらん渓斎英泉を模して)1887年油彩 カンヴァス
ファン・ゴッホ美術館蔵©Van Gogh Museum, Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation)
とらやの羊羹と浮世絵に描かれたお菓子

とらやの羊羹と浮世絵に描かれたお菓子

Yokan from the long-established Japanese confectionery shop “Toraya” and sweets depicted in ukiyo-e prints

老舗の和菓子といえば、『虎屋』の羊羹を先日頂いたので数年ぶりに食べました。さすが、美味しいですね。甘すぎず、でもしっかりとした餡子の味がして、飽きが来ない味でした。最近羊羹は非常食としても注目されていますが、賞味期限が1年間もあってビックリです。まあ、虎屋の羊羹を非常食にする人はいないと思いますけど、、、。

虎屋の創業、室町時代後期、ってかっこいい!色々な文献に虎屋のことは書かれているようですが、浮世絵として残っていないのかな〜と思いましたが、なかなか見つけるのは大変なようですね、、、。

せめてお菓子を食べている浮世絵はないものかと探してみました!

「江戸流行菓子話船橋」天保11年 渓斎英泉(江戸商売図会(中公文庫)より)

こちらの浮世絵は深川の船橋屋織江です。江戸に京菓子の羊羹が入ってきたのは寛政年間(1789〜1801年)頃で、京菓子の羊羹を江戸っ子好みの味にして大ヒットしたそうです。絵からもその繁盛ぶりが伺えます。

北斎の作品も見つけました! 

母子と梅の花餅 宗理画 寛政9年(1797年)津和野藩伝来摺物 大小暦狂歌摺物
2019年新・北斎展のカタログより

摺物に描かれていますが、こちらは私的に出版されたもので一般の人が購入するものではなく、何らかの目的のために配布するために作られたものです。津和野藩の藩主、亀井家に残されていたものなので、藩主からの依頼で作られたのでしょう。右下の四角い重箱に入っているのは花餅です。お正月などのお祝いに食べられる、餅でできたお菓子です。そこに数字が書いてありますが、それと、周りの赤い花が暦を表しています。狂歌も上に書かれていますね。

梅の花の形をしたお菓子に数字が書いてあります

お母さんが子供をあやし、楽しそうな赤ん坊。子供の成長を願う優しい絵です。北斎30代後半の宗理時代は琳派に傾倒し浮世絵から離れていた時期で画風が繊細でこの絵のテーマにぴったりとマッチしています。

江戸時代は「江コ時代」だった

江戸時代は「江コ時代」だった

10年前に江戸時代のリサイクルをPRしたくて作った画像です。江戸時代は捨てるゴミは無く、全てリサイクルする循環型社会でした。現代人が必死に目指そうとしていることが、100年以上前に実現されていたんですね。

新聞広告風に作ってみました!

現在ドバイ万博で上映されている映像も江戸の循環をテーマにしています。

EDO Renaissance. Let’s return to Japan at that time
200 years ago, the people of Edo knew how to live in harmony with nature.
It means living in the same rhythm as the earth and making the same circulation as the earth.
I spent the day in line with the movement of the sun, and the things around me were made with gifts from nature such as trees, grass, and soil.
A system that cherishes everything and can recycle not only unneeded items but also ash and human excrement was created by the common people and has taken root firmly.
In order for the earth to be healthy, it is essential to have a healthy circulation in which the water that falls on the mountains as rain flows through the river and reaches the sea, becoming clouds and raining on the mountains again.
What is necessary for earthlings is to regain a circulating life.

歴史CG作家中村宣夫HP
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老舗酒造「郷乃誉」と江戸の「見せ物小屋」

老舗酒造「郷乃誉」と江戸の「見せ物小屋」

The long-established sake brewery “Gono Homare” and the Edo “freak show”

先日の剣菱から、老舗酒蔵のお酒に興味が湧いたので他にどんな老舗酒蔵があるんだろうと、ちょっとネット検索したら、流石に沢山あるんですね〜。世界一の老舗大国。100年ぐらいじゃ、まだ新しい、って感じですよね。

色々飲み比べしたい、と思い、まずは茨城県の笠間市にある須藤本家の「郷乃誉(さとのほまれ)」取り寄せました!「良い酒は良い米から、良い米は良い土から、良い土は良い水から、良い水は良い木から、良い木は良い酒へ。」とこだわって作り続けられた日本酒は世界でも賞賛されています。「生酒」、「冷やおろし」を初めて作った蔵でもあります。

なるほど、これがフルーティーってことなんだ!日本酒のフルーティーってこれなのね、と初めて知りました!これは海外でも愛されるわよね〜、と言うか、ワインに近い感じで飲みやすかったです。日本酒苦手な人でもいけると思います。酒蔵見学もできるみたいで、いつか行ってみたいな〜〜。

【蔵元直送】呑みくらべ 山桜桃セット(郷乃譽・霞山・山桜桃 各純米大吟醸酒生々300ml 1本ずつ)

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感想(2件)

お酒は江戸の人の生活の一部。毎日大量に江戸にお酒が運ばれて来ます。江戸にお酒が運ばれて来る時の、酒樽を包んでいる、菰(こも)は、その後見世物小屋の建材として使用されていました。見世物小屋はいわゆるテント的に簡易に作られていたので、その壁面に、この酒樽の菰を使用していたのです。なので、所々に色々な酒蔵のマークが入っています。

「両国の見世物小屋」 
背の高い四角い建物が見世物小屋。茶色の四角いの、1つ1つが酒樽の菰。よく見ると黒いマークが入ってます。これが酒蔵のマーク

この菰は、ボロボロになったら、タワシに生まれ変わり、このタワシがボロボロになったら、カマドで燃料にされ、そこで出た灰は「灰買屋」が買って、酒の中和剤や染め物、焼き物などの制作に使われました。そしてまた美味しいお酒ができる!と言うことでこんなところでもリサイクル。江戸はリサイクル大国だったのです。

ちなみに酒樽は一升瓶40本分だそうです。酒樽の歴史は古く、鎌倉時代くらいから、板を立てかけて竹のたがで締め付けた「結桶」が始まりだそう。その酒樽を船で江戸まで運ぶときに樽同士がぶつかって破損しないよう、藁を巻いたのが酒樽の「菰」の始まりで、徐々に宣伝を兼ねて見栄えを良くして、現在ではお祝い事の鏡開きに使われていますね。

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葛飾北斎 冨嶽三十六景 『尾州不二見原』

葛飾北斎 冨嶽三十六景 『尾州不二見原』

Katsushika Hokusai, Thirty-six Views of Mount Fuji, “Fujimihara in Bishu”

北斎は大好きですが、その中でも、この大樽の間から微かに見える富士山を描いた「尾州不二見原」はマイベストの1つです。

冨嶽三十六景 尾州不二見原

当時、高い建物が無かったのでかなりの広い地域から富士山が見えました。どこにいても何をしていても富士山が静かに鎮座して庶民の生活を見下ろしている。富士山は不思議なパワーがあります。富士山が見れた日はちょっとラッキーな感じがして、富士信仰をしていた江戸の人たちに共感します。

尾州は尾張なので現在の愛知県名古屋市辺りから富士山を眺めた景色のようですが、実際名古屋からどのように見えるのか、、、。私は関東からしか富士山を眺めたことがないので分かりませんが、北斎が実際にこの地で描いたわけでは無いようなので、実際見れる風景と同じだったかは甚だ疑問です。

ですが、ここは北斎の絵画の世界です。

北斎の絵画の魅力の一つは構図の面白さ。こんな大きな樽本当にあるの?ってサイズの樽からちょこんと見える富士山。望遠鏡のレンズを覗いたみたいな、でもそこだけクッキリと切り取られて富士山が主役と分かります。また遠景と近景のコントラスト。神の山である富士山と真剣に樽を作る職人。その職人の表情は穏やかで職に対する愛情とプライドが感じられます。それは北斎が職人を尊敬している証にも思えます。穏やかな日常の1コマなのにどこか躍動感も感じられるのは北斎絵画の構図によるものだと思います。

CG制作の裏話(?)小江戸川越

CG制作の裏話(?)小江戸川越

3DCG古い街並みを制作するのに参考になるのは当然古い街並みです。川越に住んでおりますので、素材が身近にあるのはラッキー!というか歴史のある街だから引越して来た、というか。いくら綺麗で整備されていても、新しい家や店ばかり並んでいるのはどうも落ち着かないのです。ごちゃごちゃしていても昔からの人の営みを感じられる文化のある土地が好き。

川越に引越してかなり経ちますけれども、以前は浅草に住んでいました。浅草、大好きで、今でも時々浅草に行きたくなります。でも、浅草と同じくらい川越も好き。なんといっても江戸より古い歴史があり、当時の物が残されているのは最大の魅力です。残念ながら浅草は東京大空襲で焼け野原になってしまったので、古い建造物が遺されているは浅草神社の社殿くらいでしょうか、、、。

蔵造りの街並み

川越のメインストリート、有名な明治時代の蔵作りの商店が並ぶ街並みは壮観です。ちょっと裏道に入っても古い醤油蔵があったりと、歴史と文化が残されています。(ご近所でミニ観光ができるのも楽しい)日本建築だけで無く、かわいい洋館も味わい深いです。

メインストリートから数分歩いたところ、平安時代に創建された喜多院には江戸城の一部が移築されています。あまり知られていないのでは無いかと思いますが、ここでは本物の江戸城紅葉山にあった「徳川家光公 誕生の間」「春日局化粧の間」が見ることができます。皇居に行っても見れないのに、、、。江戸好きの人には是非ぜひ、喜多院に来て本物を観て欲しいです!さすが小江戸です。

また、川越城は嘉永元年(1848年)に建てられた本丸御殿の玄関・大広間・家老詰所が残っています。どこぞのコンクリートで再建された天守閣よりも余程、当時の城の規模や風格が伝わります。喜多院もそうですが、本物の廊下の広さとか木の太さとか板戸の大きさとか、やはり本物観ないと分からないことは多いですよね。

先日行ったときは、緊急事態も終わって、蔵造りの街は混んできましたが、喜多院や本丸御殿は比較的空いていました。もったいない!本当に見て欲しい。食べ歩きも楽しいけどね。

埼玉県指定文化財 川越城本丸御殿 (東日本唯一の本丸御殿遺構)
本丸御殿内部の廊下

こういった建造物は本物の質感、空気感も含めて全てCGの素材になります。また有名な重要文化財だけでなく、古い木造の民家なども多く残っているので、川越に越してきた頃は、あちこちに残る素材集めのために川越を奔走していました。ということで、江戸時代のCG作品には密かに川越の町が含まれているのです。