遊郭について〜その6〜岡場所

吉原遊廓は政府公認の遊郭でした。しかし吉原以外の政府非公認の遊里(売春街)も多数存在していました。風紀が乱れることから幕府が吉原1箇所に集めて取り締まろうとしたようですが、実際には幕府の取り締まりは緩く、各所に「岡場所」と言われる遊里が存在していました。この「岡」は非公認という意味で、「岡っ引き」の岡も同様で非公認だったそうです。

ちょっと話は外れますが、普段から庶民に対する幕府の取り締まりは緩かったようで、幕府から何か法度が出ても「三日ぐらい守っていればいい」なんて言う、「三日法度」なんて言葉がありました。

吉原について〜その5〜吉原のしきたり」で詳しく説明していますが、吉原は遊女に階級があり、しきたりも多く、何よりも高級なので庶民はなかなか通えない場所でした。そうなると、街中にある岡場所が繁盛します。一晩を四つに区切るなどして多くの客を取っていたようです。枕代は五十文や百文で、現代だと数千円といったところでしょうか。吉原だと数十万は掛かりますから、庶民でもかなり気楽に通えた場所なのでしょう。

最盛期には200ヶ所、数千の遊女がいました。深川と、品川、新宿、板橋、千住の四宿が代表的ですが、四宿は江戸市外なので、江戸市中では深川が一番繁盛し、吉原のライバル的な存在でした。深川には10ヶ所点在して岡場所があり、宴会も開かれ、深川芸者(辰巳芸者)が有名になりました。(深川芸者については吉原芸者VS柳橋辰己芸者→深川芸者 をご覧ください。)

「深川樓」鈴木春重 江戸時代・18世紀 中判 錦絵
二人が遊女なのかちょっと分かりませんが深川の宴会に出向く美女。
宴会をしている男が障子の穴から覗いているのが、
この後の展開を暗示しているようです。
右の女性だけ草履を履いているのは何故でしょう??日本人だよね〜。
と思ったら、吉原でも花魁は室内用の草履を履いたそうです。
スリッパみたいな感じですね。ファッション的な意味でしょうか。

その他に、寺社地内は町奉行の取り締まり外になるので大きな寺社の門前水茶屋には遊女がいました。バチ当たりだな〜、と思いますが、寺と神社が同じ敷地にあるし、さらに門前に水茶屋があって、江戸の人って、、、。幕末に日本を訪れた外国人が日本は性に奔放だ、と言っていましたが、性がタブー視されるようになったのは明治以降にキリスト教的(西洋的)な考えが普及してからなので、本当、艶っぽい話題には事欠きません。

『実見録画』より「長家女郎に船饅頭」長谷川深造 幕末期 
長家女郎は下級の遊女のこと。岡場所は長屋風の作り。
昔の時代劇にあるように、「お兄さんちょっと寄って行きなさいよ」と声をかけていました。
船饅頭は船で客を取る遊女。
この絵では一つの船にたくさん遊女を乗せて、客が待っている船に出向く時の様子。
遊女の船に客を呼ぶこともある。
川と水路が張り巡らされた江戸で船は重要な乗り物ですが、こんな所でも活躍。

寛政年間には53ヶ所、天保年間には28ヶ所の岡場所がありましたが、寛政と天保の改革で厳しく取締りがあり、遊女は吉原に引き渡されて市内の岡場所はなくなりました。

岡場所以外に、街角で立って客を呼ぶ「夜鷹」や船に客を呼ぶ「船饅頭」、尼(比丘尼)の格好をした「比丘尼」(そのままの呼び名ですが、、、)などの私娼も多くいました。

遊郭について〜その3

今回は遊郭で働く人について。前回もお話ししましたが、遊郭には様々な人が働いています。

まずは遊女から。女衒(ぜげん=人買い)が全国を回り貧しい家の若い女性を集め、吉原に売ります。ですが、実は幕府は人身売買は禁止しているので、年季奉公、ということで10年間の奉公をする、って体裁になっていました。なので10年経てば自由の身になれるのです。まあ、幕府も実態は分かっていたので黙認ってことですね。吉原は政府公認ですからね。ちなみに、女衒で買われるのはまだマシで、誘拐されて連れてこられる人もいたとか、、、。

遊女は図のようにピラミッド型で、6段階にランク分けされました。

吉原に売られてから、すぐに花魁になれるわけではありません。吉原の遊女は厳格にランク付されていたので吉原に来てから、芸事やマナーを習い、ランクを上げます。遊郭について〜その1にも説明してありますのでご覧ください。

一番上の呼び出し昼三になると相当のセレブじゃないと会うことも叶いません。

また、吉原芸者の時に書いたように、芸事に秀でている人は芸者となりました。芸者は女芸者と男芸者がいて、三味線、唄、踊りなどで客を楽しませました。

男芸者の下のランクになりますが、幇間(ほうかん=太鼓持)という芸人がいました。いわゆるお笑い芸人みたいな人で歌舞伎役者のモノマネをしたり、話術や踊りなどで客を良い気持ちにさせました。

若い者、妓夫(ぎゆう)、喜助(きすけ)などと呼ばれる男の使用人もいました。見世番(張見世の脇で客の呼び込みをする)、二階番(遣手婆の手伝い)、不寝番(ねずのばん)油さし(行灯の油をさす)などの仕事をしていました。

宴会風景
花魁を買わずに宴会だけすることもできました。

客は遊女に対してだけで無く、こうした芸者や遣手、若い者へのチップなど払わなければ行けないのでその費用は巨額でした。なので吉原で豪遊できるのはほんのひと握り。なるべく上客を射止めたいので花魁も日々努力して美と知性を磨いていました。

遊郭について〜その2

遊郭について〜その2

今回は遊郭、江戸の吉原を例に図解で説明します。

参考文献・双葉社スーパームック「吉原遊廓」

遊郭は一つの町になっていました。周囲は幅3mの堀(おはぐろどぶ)(1)が掘られていて、出入口は大門(2)一つでした。遊女が逃げないように要塞のようになっていたんですね。大門を入って左には町奉行配下の面番所(3)で怪しい客を監視し、右の監視所(4)では吉原の自衛団が遊女の足抜け(脱走)を監視していました。

大門を入って真っ直ぐ伸びた中央の大通りが仲の町(なかのちょう)(5)。春には桜、秋には紅葉を植えたりと、季節に合わせて花木を植え華やかに演出しました。仲の町の左右には引手茶屋(6)が並びます。

引手茶屋とは遊客を妓楼(遊女屋)に案内する店で、客の送迎をしたり、吉原芸者を招いて宴会もしました。高級花魁はここで紹介してもらわないと会えません。

仲の町から木戸(7)を通って横道に入ると妓楼が並びます。横道も通りごとに名前がついていました。(8)

妓楼にはランクがあり、上位から大見世、中見世、小見世とあり、大見世では一晩で何十両も払える上客でないと遊べません。さらに、吉原の両端、おはぐろどぶに沿って並ぶ遊郭(9)は最下級でした。

吉原の端にある九郎助稲荷(10)は遊女からの信仰が厚かったそうです。吉原から逃れられない辛い現実を象徴しているようです。

妓楼1階

いよいよ妓楼の中へ。妓楼の入口には張見世(11)があり、この中で遊女が座って客を待っていました。この張見世は格子があり、この格子を籬(まがき)といい、大見世は大籬で天井まで全てを覆う格子、中見世は半籬で上部の1/4が無い格子、小見世は上半分が無い格子で、店のランクがひと目で分かりました。ここで花魁を選び妓楼に入ります。

入ってすぐ、入口を監視するような感じで楼主(店のオーナー)がいる内所(なっしょ)があります(12)。妓楼は全て2階建てで、1階は従業員の生活の場、営業は2階でしていました。内所は2階までの吹き抜けになっていて、1階から2階全ての様子を見れる構造になっています。

内所で周囲を見張る楼主
後ろには神棚、その横の鈴で人を呼びます
大見世の花魁
大籬から客が覗いているが、ほとんどは見物客
妓楼2階

2階へ上がるとすぐに監視するように遣手婆(やりてばば)の部屋(19)があり、周囲に花魁部屋(20)が並んでいました。中央の出格子(21)には花魁用の下駄やお歯黒の道具、水差しなどが置かれていました。その横(22)には掲示物などを貼るスペースもありました。中庭(23)もあり、豪華な作りになっていました。

階段を上がると出格子
周囲には花魁部屋が並びます

炭治郎たちが活躍する、遊郭の全体がなんとなく分かって頂けたでしょうか。どこに鬼が潜み、退治していくのか今後の展開が楽しみです。

遊郭について~その1

遊郭について~その1

「鬼滅の刃遊郭篇」の2回目放送がありました。今回はギャグ満載で面白かったですね。絶対女の子には見えないだろ、と突っ込みつつ爆笑しました。

ところで遊郭ってどんなところか分からないですよね。その存在の是非は横に置いておいて、システムや構造を語ってみたいと思います。遊郭は全国各地にありましたが、ここでは遊郭の代表、江戸吉原の一番栄えた江戸時代の話です。

花魁部屋/花魁と酒を飲んだり宴会したりもして、一晩で、現在のお金で数百万使う人も!

遊郭は、音柱宇髄天元が話した通り、貧しい女性が売られて身を売る場所でした。遊女は6つの階級に分かれていました。美しく着飾り、技術と教養を身につけて最上位の花魁になると上級武士や豪商、文人などの上客がつきました。読み書き、和歌、書道、琴、茶道、活け花などなど、高い教養は大奥に匹敵したそうで、だからこそ、上級武士などの相手も務められたのでしょう。ですので、庶民の間に、吉原遊女に対する蔑視は無かったそうです。

また、吉原では、観光をしたり(女性も観光に来たそうです!)、宴会だけすることもできたので、アニメにあった様に人が溢れ、大盛況を誇っていました。そのため、吉原で働く人は多く、遊女以外の女性や若い男性もいました。だから、炭治郎たちも潜り込むことが出来たのですね。女中やお針子、吉原芸者もいたので善逸のように三味線が得意なら重宝されたでしょう。善逸は現代なら天才ミュージシャンですよね〜。素晴らしい。

2階へ上がる階段/炭治郎達が活躍します!

アニメの中で、何度か「遣手婆(やりてばばあ)」が出てきました。宇髄がイケメンなのでうっとりして炭治郎達を雇ってしまいましたね、、、。この「遣手婆」は、花魁を引退した女性が大半で、遊女の全てを知っており、客のあしらい方の指導や躾、また客をあてがうなど、遊女達の管理をしていました。厳しくて遊女に恐れられていたそう。

遊郭2階/出窓のところに花魁用の下駄や遣手婆のお歯黒の道具がおいてあります。周囲には花魁部屋が並びます。

遊女の年季(契約期間)は最長10年27歳までと決まっていたそうです。年季が明けたあと、吉原を出て自由の身となり結婚したりする人もいますが、そのまま吉原で遣手婆になったり、吉原の関係者と結婚したりと、そのまま残る人もいましたが、年季を待たずに亡くなる遊女も沢山いました。

吉原と浮世絵

吉原は浮世絵にたくさん描かれています。みなさん美人は好きですからね〜。また気軽に通えない人にとっても、吉原の浮世絵は楽しみだったのでしょう。現代のプロマイドみたいな感じです。

その中でもちょっと異質な、こちらの「名所江戸百景・浅草田甫 酉の町詣」がお気に入りです。

名所江戸百景・浅草田甫 酉の町詣
歌川広重 安政4年(1857) 大判 錦絵
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

私は北斎が大好きです。なので広重はそんなに興味がなかったのです。全然タイプが違いますから。大胆で力強く茶目っ気もある北斎と、理路整然、真面目すぎない?といった印象の広重。変人と武士。と思っていたのですが、数年前に太田美術館で広重の絵を見た時に、ものすごく綺麗!と感激しました。なるほど、これは幅広く愛されるよね、美しいものをやっぱり人は欲するよね。

こちらの浅草田んぼ。シンプルで清々しい。吉原の格子の中から外を眺める猫。かわいい。でも本当は外に出て自由に歩き回りたい遊女の心情を代弁しているのでしょうか。

実は以前浅草に住んでいたのはこの辺りなんです。もちろん現在、浅草に田んぼなんかありません。なので風景は全くの別物です。ビルだらけで富士山も見えないし、、、。

鷲神社すぐ近く、11月の酉の市は楽しみでした。熊手を売るたくさんの屋台と威勢のいい掛け声を聞いて雰囲気を存分に味わいながら、小さい神社の熊手を買いに行きました。下町のお祭りは季節の風物詩。三社祭、朝顔市、ほおずき市、そしておとりさま。コロナが終息したら久しぶりに行きたいな。ちなみに今年は二の酉までだったんですね。

吉原もすぐ近くです。この絵は吉原からおとり様に行く人たちを眺めていますから、ほんとに近いんですよね。吉原は現在でもちょっと近寄れないのでほとんど行ったことはありませんが、徒歩五分以内ですが、遊女はそのおとり様にも行けなかったのでしょうか、、、。

『鬼滅の刃〜遊郭編』の吉原の風景

『鬼滅の刃〜遊郭編』の吉原の風景

とうとう、遊郭編始まりましたね!煉獄邸の話はちょっと、うるっときてしまいました、、、。火の神神楽の秘密や煉獄さんと炭治郎の父の秘密とかも知りたいですね〜。

最後に遊郭の映像が流れていましたが、CG作家中村宣夫は『鬼滅の刃』の第1話目からモデリング協力をしております。モデリング協力とは背景画の骨格となる形状データおよびレンダリングの際の素材を制作提供しています。いわゆる日本家屋のデータ協力ですので、お屋敷などが出てくると注目して見てしまいます。今回の遊郭編には多く登場するので楽しみです!

吉原張店内部

また、すごく綺麗にアニメ映像になっていて感激しました!スタッフの皆様、感謝です。これからどんな展開になるのか、楽しみになりました。炭治郎達が遊郭の中を走り回ったり、バトルしたりして破壊されちゃったりもするんだろうな〜。

前半はウルっと来て、後半はワクワク!来週が待ち遠しい!

ところで遊郭といえば、浮世絵にずいぶん描かれてきた題材ですが、その中でも異彩を放つ絵画が葛飾北斎の娘、栄、雅号「応為」の代表作、「吉原格子先之図」です。

葛飾応為『吉原格子先図』紙本著色一幅。26.3×39.8㎝ 文政~安政(1818~1860)頃。太田美術館蔵。出典wikipedia

美人画は俺以上だ、と北斎に言わしめた応為。一番近くで幼少の頃から北斎の絵を見続け、その才能を受け継ぎ、北斎の右腕として絵を描き続けました。北斎の工房で描いていたため、応為としての作品はほとんど残されていません。しかし「吉原格子先之図」の図中の提灯には隠し落款の「応為」「栄」の文字が見えます。この作品は「私の作品よ」と主張するようです。

まるで西洋画のような陰影と遠近法は、江戸時代の人の絵なの?と、驚きがあります。当時こういった表現方法をされていたということは、かなり勉強研究していた証だと思います。北斎は西洋画を集めていた、という説もあるので、一緒に研究していたのかもしれません。また、この作品を女性が江戸時代に描いていたという事が新鮮ですが、北斎とは違う色使いと繊細なタッチで、女性らしい濃厚さというか、艶かしい感じがします。

その「吉原格子先之図」からインスパイアして製作したのが吉原のCGです。妖しい光と影が吉原の色香を表しています。

吉原張店