世界ふしぎ発見!でCG江戸城が放送されました。

世界ふしぎ発見!でCG江戸城が放送されました。

先週の土曜日6月19日放送の「世界ふしぎ発見!歴史を変えた名城スペシャル」で家康が作った江戸城の再現CGが放送されました!

江戸城の初代天守と五連続枡形虎口のCGです。番組でも紹介されていましたが、城の作りからその時代背景を窺い知ることができておもしろいですね。戦乱の世だからこそ作られた、大きな天守閣と敵を欺き攻撃するための仕組み。

五連続枡形虎口は5重に門を配置し、門と門の間に敵を閉じ込め攻撃します(これを「江戸返し」というそうです)。鉄壁の防御ですね。また、高さ約68m(推定)の大天守1つに小天守が2つある連立式天守は漆喰で真っ白に塗られ美しく、徳川の力の象徴でした。逆に泰平の世になってからは天守閣は再建されなかったことが、江戸時代の平和の象徴になりました。

家康の頃の大きな天守が現存していたら、どんな感じだったのかと想像を巡らさずにはいられませんよね。現在の丸の内ビル群の中にそびえていたら、堂々とした佇まいに威圧感を感じるのでしょうか。それとも高層ビルに埋れてしまっているのか、、、。

私は当時から残っている国宝の城は松本城しか見たことはありませんが、その重厚感と迫力、美しさは格別です。江戸城はその何倍ですので現代の大都会の真ん中でもきっと美しく威厳を持って鎮座していたでしょう。

歴史CG作家中村宣夫HP
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激動の時代を生きた岩佐又兵衛の描いた「洛中洛外図屏風(舟木本)」

激動の時代を生きた岩佐又兵衛の描いた「洛中洛外図屏風(舟木本)」

“Rakuchu Rakugaizu byobu (Funaki version)” painted by Iwasa Matabei, who lived in a turbulent era

安土桃山から江戸時代にかけて活躍した画家、「岩佐又兵衛」は別名「浮世又兵衛」と言われています。浮世絵の祖という説もある画家です。と言っても版画家ではなく肉筆画を描いていたのですが、その人物画が当時の風俗を生々しく描いていたからその様に言われています。

洛中洛外図屏風(舟木本) 岩佐又兵衛 17世紀前半 六曲一双 東京国立博物館 右隻

その人生は、大河ドラマにしたら面白いんじゃない?というほどドラマチック。戦国の世、信長の配下にあった有岡城主荒木村重(摂津国、現在の兵庫県)の子として生まれたのですが、村重は信長に反旗を翻した為、信長により有岡城攻めにあいます。しかしなんと、村重は側近とともに逃走、毛利の庇護下に。有岡城は陥落し、村重が信長の出頭命令に従わなかった見せしめとして、家臣ら500人が焼き殺され、さらに一族の者たち30名が京都へ護送され六条河原で処刑されました。産まれて間もない又兵衛は城から乳母の手によって救い出され西本願寺にかくまわれて命を取り留めました。その後どのように画家への道に進んだのかは不明ですが、京都、福井、江戸とパトロンを変えながら各地を転々としていたのはその生い立ちのせいかもしれません。また表現の生々しさにも影響しているのでは、と言われています。


洛中洛外図屏風(舟木本) 岩佐又兵衛 17世紀前半 六曲一双 東京国立博物館 左隻 
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

この作品は大阪夏の陣の始まる前頃の作と思われるので、京都にいた時代の作品と思われます。洛中洛外図は京都の文化、賑わいが描かれ、地図の要素もあるのでその時代を知る手掛かりになります。右隻の右端に見える大きな寺院は方広寺の大仏殿(現在は大仏殿跡と石塁及び石塔が残されています)、左隻の左端のお屋敷は二条城です。

又兵衛の作品の魅力は人物描写です。たくさんの人々が描かれ、一人一人が躍動している。遊び、踊り、喧嘩をし、エネルギーを放出しています。当時の喧騒が聞こえてきそうです。

びっしりと描かれた細密描写はじっくり見ると宝探しのようで楽しいです。東京国立博物館で鑑賞した時はガラスケースの内側にあり、照明も保護のために暗めなので、目の悪い私は良く見えなくてがっかりでしたが、、、。

拡大してある図版は祇園祭の母衣武者行列の様子です。「母衣(ほろ)」とは竹籠などでふくらませた布のことで、騎馬武者が背負い、後方からの矢よけなどにした指物(さしもの)の一種です。戦国時代、母衣を着用して大将に近侍し、伝令などに戦場を駆け巡った“母衣(掛/懸)武者”は、軍団のエリート集団でした。また母衣武者行列は京都・祇園祭りをはじめ、全国の祭礼にも見られます。(高岡市立博物館HP参照)拡大してみると、一人ひとりの表情や動きも違くて、祭りに興じている様子が生き生きと描かれていて夢中で見ていられます。

CGで見る日本橋駿河町三井越後屋呉服店

CGで見る日本橋駿河町三井越後屋呉服店

駿河町(するがちょう)は現在の日本橋辺りです。現在その地名は失われ東京都中央区日本橋室町となっています。(少し話は江戸から逸れますが、古い地名をなぜ変えてしまうのでしょう。地名には歴史があるのに、再開発とかでその地名まで変えてしまうと、その土地に対する愛着というか思い入れが薄れてしまうのに、、、といつも思います。)この場所から富士山(駿河国)が美しく見えたことから駿河町となったようです。駿河国は徳川家ですね。ということは家康の住う江戸城からも当然見えたわけで、毎日故郷を眺めていたのでしょうか。

一日三千両の落ちどころ 昼の駿河町

この作品の視点は現在の室町二丁目の交差点、千葉銀行がある場所から、三井住友信託銀行と三越百貨店を眺めています。左側が三井越後屋両替店、右側が三井越後屋呉服店です。現在とは位置が逆です。さすがの大店、今も当時も一等地に、大きな店構えです。

ご存知の通り三井越後屋は現在の三越百貨店です。当時の高級呉服店は客の屋敷に出向いて商売していましたが、三井呉服店は店で反物を選び、裏で職人がすぐに着物に仕立てました。江戸時代でも、スピード感があり、手軽に買い物できるのは喜ばれたんですね。また、当時はいわゆるツケでの支払いが主流だったのを現金で商売をしました。ツケで払うと金利がかかり、高値になるので、商品と交換に現金で支払えばその分安く済みます。また、反物は1本丸ごと売るのが当たり前でしたが、反物の切り売りを始めたのも越後屋。革命的な商売を始めてここまでの大店になったわけです。2階の窓の格子窓も手が込んでいますし、店の前に立っている看板も大きく、繁盛の証です。

越後屋の手前の小屋は右が木戸番、左が自身番です。木戸番はその名の通り、町の入り口の木戸を開け閉めする人が詰めている場所でしたが、徐々に木戸を閉めることがなくなり、雑貨屋などを営んでました。自身番は街の有力者が詰めて街の管理(自治)をしていましたが、その後、人を雇って管理させていました。交番の前身になりました。

左端にいる、樽を下に置いて何やらやっている男の人はべったら漬け売りです。べったら漬けは東京(江戸)の名産品です。大根の麹漬けで甘しょっぱくて、乳白色の柔らかい漬物です。周りに甘酒の麹が付いていて、それがベタベタするので「べったら」漬け。子供の頃大好きでした!思い出したら食べたくなってきちゃった。

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北斎 諸国瀧廻り

北斎 諸国瀧廻り

Hokusai: Visiting Waterfalls in Various Provinces

葛飾北斎ってやっぱりすごいです。日本を代表する画家ですし、作品数も多いし、印象派に影響与えちゃってるし、ロシアのどこかのマンションの壁面一杯に神奈川沖浪裏とか描かれちゃったり、簡単に語っちゃっていいのか?というぐらいの巨匠ですよね。

北斎の魅力の一つは構図の大胆さ。『諸国瀧廻り・木曽路ノ奥阿彌陀ヶ瀧』はその代表的な例です。滝の上の丸い水の塊は何?こんな滝ないでしょ。その塊からドバーっと滝が流れてくる。落差約60m。滝のダイナミックさとか迫力とかちゃんと伝わってくる。そしてデザイン的。日本の絵画は写実性と抽象性が絶妙のバランスになっているんですね。

諸国瀧廻り・木曽路ノ奥阿彌陀ヶ瀧
しょこくたきめぐ きそじ おくあみだがたき  大判錦絵 天保4年頃 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

滝の前でお弁当広げてる人物もいい。こんなすごい滝の前で、きっとマイナスイオンを浴びながら滝を楽しみ、おしゃべりに興じている。北斎の人物はいつも人生を謳歌しています。

北斎はとにかく作品が面白い。当たり前過ぎますが、北斎展に行って、作品数もものすごく多かったのですが、夢中で観ていて、疲れ切って仕方ないから出口に向かったのですが、気がついたら3時間ぐらい見ていました。でも全く飽きない。体力がもっとあったらずっと見ていたかった。北斎は面白い。楽しい。大好き。単なるミーハーです。

北斎の絵に対する執着心と変人伝説これぞ芸術家!本人に出会えても(たとえ尊敬してたとしても)凡人の私では友達にはなれなかったかも知れません。仏像背負ってブツブツ念仏唱えて歩いていた、とか、あれだけ売れっ子なの常に貧乏とか、名前もお金に困ると売っちゃうからコロコロ変えちゃうし、当時の芸術家名鑑に住所不定って記載されてる、、、。エピソードも超一流です。

こちらの作品に描かれた阿弥陀ヶ滝岐阜県郡上市にあり日本の滝100選に選ばれています。遊歩道が整備されていて、滝の近くまで行けるそうです。絵の中のお弁当食べてる崖は無さそうですが、、、­アフターコロナ に行きたい場所がまた増えてしまいました。

実際の阿弥陀ヶ滝。美しい滝です。

江戸時代 日本橋にあった魚河岸をcgで見てみる

江戸時代 日本橋にあった魚河岸をcgで見てみる

魚河岸は日本橋の南側にありました。現在、日本橋船着場のある辺りです。ですので魚河岸の背景に見える橋は日本橋。タイトルの「一日三千両の落ちどころ」は一日に魚河岸で3000両が動くという意味です。江戸の経済の中心地、江戸のど真ん中にあったんですね。関東大震災の時に被災し、築地に移転しました。現在は海とともに市場もどんどん追いやられて、豊洲へ、、、。

江戸の朝は早いです。夜明け前、というか深夜2〜3時から江戸前の魚を積んだ船が次々と魚河岸に到着し水揚げします。それを魚問屋が並べ、商いが始まっていきます。CGの魚河岸で魚を吟味している侍は魚奉行です。最初に魚奉行将軍へ献上する魚を選び格安で買って行ったそうです。その後魚売りが買います。朝日が上がる頃には、魚売りが町で魚を売り始めます。

その一 朝の魚河岸「一日三千両の落ちどころ」

当時は現在の様なお店を構えた魚屋さんはありませんから、棒手振(ぼてぶり)と言われるタライを棒に付けた天秤棒を担いだ魚売りが売り歩きました。鮮度を保つために早足で売り歩いたそうです。私はどうしても棒手振の姿を見るとドリフのカトちゃんのコントを思い出してしまうのですが、、、すいません。

魚は庶民も毎日食していました。考えてみると、現在では旅行で行く海沿いの町や港町でしか食せない新鮮な魚介類が、江戸では普通に毎日水揚げされていたんですね。今の都会人よりも江戸人は毎日美味しい魚を食べていたのかも!と思うと羨ましいです。

初めは売るだけだった棒手振ですが井戸端で捌いてくれるサービスもしていました。また、海から遠い地方には塩漬けにして運んだそうです。夜明け前から働いて、お昼(現在の午前9時)に仕事はおしまい

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江戸の町並みを動画にしました!長屋から表通りまでリアルに再現!

江戸の町並みを動画にしました!長屋から表通りまでリアルに再現!

We’ve made a video of the streets of Edo! From tenement houses to main streets, it’s realistically recreated!

歴史CG作家中村宣夫が制作した江戸の町を動画で紹介します。

自身番から日本橋通りを進んでいきます。両側には漆喰造りの大店が並び、奥には火の見櫓が見えます。火災が発生した時に、裏長屋に広がらないよう、表には漆喰造りの建物を並べていました。しっかりとした都市設計がされていたんですね。

通りには屋台が出ています。寿司屋、天婦羅屋、二八そば、だんごや、お汁粉屋。江戸時代のグルメですね。今は寿司も天ぷらもA級グルメですが、当時は庶民の味です。なんといっても屋台ですから。どれも食してみたいのもばかりです。絶対に美味しかった!と思います。

水滝の小さな屋台が見えます。こちらは甘いお水、砂糖水を飲料水として販売していました。今のジュースといったところでしょうか。疲れた時に飲む水滝は疲れを癒してくれたのでしょう。

水滝屋から裏長屋に入っていきます。小さな長屋がびっしりと並んでいます。部屋の内部に入ると、そこは大工の部屋4畳半に2畳の台所。狭い室内ですが、今の様に物に溢れた生活をしていないので、それなりに快適に暮らせたようです。電気はありませんからちょっと薄暗いですね。

井戸の前を通り、裏通りに出ます。裏通りは庶民の生活用品などを売るお店が並んでいます。床屋(浮世床)、酒屋、足袋屋、古着屋、八百屋、米屋、小間物屋などが並びます。

最後は江戸の楽しみ、隅田川の花火で動画は終了です。隅田川の右側に見える不思議な建物は両国広小路の見せ物小屋です。

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松林図 右隻

美しく引き込まれそうな松林 国宝・長谷川等伯『松林図』

A beautiful and enchanting pine forest: National Treasure Hasegawa Tohaku’s “Pine Forest Screen”

ブログを始めたばかりだし、とりあえず有名どころで大好きな絵画を紹介します。16世紀末、桃山時代に描かれた長谷川等伯の『松林図』です。国の宝というにふさわしい、美しく静謐でどこか寂しく、不思議世界に引き込まれてしまいそうな靄にたたずむ松林の絵です。 東京国立博物館に収蔵されています。

長谷川等伯 松林図 屏風絵 六曲一双 紙本墨画  右隻 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

2年か3年前に東京国立博物館国宝の間に展示されていたので観に行って来ました。いわゆる水墨画なのですが、西洋絵画に親しんできた私には抽象画のような、印象派のようなイメージがあり、これを16世紀の日本人が描いたのかと衝撃的でした。実物の方が図版や写真で見るよりも水墨画らしく、筆の勢いなどを感じます。見る位置によって松林に入ったような感じが味わえます。

長谷川等伯  松林図 屏風絵 六曲一双 紙本墨画  左隻 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

この作品の成り立ちは不明で、実は習作または草案ではないかとの説もあるようですが、松しか描いていないにもかかわらず、林の中の空気が見事に描かれ、見ていると胸が締め付けられるような、等伯のメッセージが感じられます。桃山時代といえば、戦乱の時代です。等伯はこの絵の中に宗教的なメッセージを込めたのかもしれません。

3DCGで江戸橋から望む日本橋と江戸城

3DCGで江戸橋から望む日本橋と江戸城

歴史CG作家中村宣夫の作品江戸橋から見た日本橋です。奥の橋は一石橋。橋のさらに奥には江戸城が見えます。日本橋を右に行くと越後屋(現在の三越百貨店)、左に行くと銀座方面です。

江戸城の背後には富士山が望めますね。富士山バックの江戸城なんて、当時は美しい風景が見られたのでしょう。残念ながら現在の日本橋からは高速道路と銀座のビル群しか見えません、、、。
美しい木造の日本橋。当時の大工さんの技術の高さがうかがえますね。江戸東京博物館で実物大で再現展示されていますが、これが東京のど真ん中に掛っている姿を見てみたいものです。
日本橋は五街道の起点で、ここから東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道が伸びていました。現在も東京の中心ですが、5つもの街道の始まる場所ですから、そりゃあ、経済的に発展するのも当然です。常に賑わい、江戸っ子の誇りでもありました。

江戸城の天守風に見えるのは実は現存する富士見櫓です。この作品は1800年頃の江戸の様子なので天守は存在せず、富士見櫓がその代わりを果たしていました。ちなみに、天守がかつてあった場所は、もう少し右側、日本橋の右のたもとを上に見上げた辺りだったそうです。
巨大な天守は壮大で威厳があって、徳川の力の象徴でした。

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