古尾谷八幡神社御朱印

今年初ブログは縁起の良い話題から。

川越市にある古尾谷八幡神社の御朱印を作りました!全国的に珍しい、もしかしたら全国初?のCG制作による絵入御朱印です。

古尾谷八幡神社は863年(貞観4年)に創建された歴史の深い神社です。石清水八幡宮の分霊をお奉りしたのが始まりで、源頼朝や藤原時景、北条氏政、徳川家康にも縁があり、宮司さんや氏子の方々によって大切に現代まで守られています。社殿は埼玉県指定有形文化財、9月に行われる神幸祭、別名「ほろ祭」は県指定無形文化財です。

川越市民ではありますが、御朱印を製作したいというご連絡を頂いてから初めて古尾谷八幡神社に行きました。「ほろ祭」が有名な神社なので、一度行きたいと思っていたのですが、自宅からは少し離れているのを言い訳に行ったことがありませんでした。良い機会を頂いたのでお話を伺いつつ、神社をお参りして来ました。

古尾谷八幡神社は川越市内ですが荒川に近く市街地から離れていて、公共交通機関を利用すると、JR川越線南古谷駅から徒歩35分!周りは田圃に囲まれている長閑な場所にあります。自宅からサイクリングしながら行った方が早いので長閑な風景を眺めながら伺いました。

神社のすぐ近くの田圃の中に鳥居を見つけました。
これは古尾谷神社ではありません!
畦道に鷺

失礼ながら、川越のハズレの小さい神社だろうと思って行ったのですが、想像以上に敷地が広く、大きな鳥居は石造と木造の3つもあり、社殿も大きく大変立派な神社でした。これはもっとたくさんの方に来て頂いて古尾谷八幡神社を知って頂きたい!そしてこれからも末永く守って行ってもらいたいです。

一番外側の石造の鳥居から。
雨が降りそうな生憎の天気。
赤い鳥居を入ります
更に石造の凱旋門もあります。
本殿。修復工事をされて綺麗です。
奥行きがあり、立派な本殿
本殿の後ろにも社が沢山。県指定文化財です。
手水舎の上にも狛犬が!可愛い
狛犬多いめです。狛犬好きの方にもおすすめ

アクセスはあまり良くありませんが、私と同じようにサイクリングで来る方も多いようですし、駐車場もありますので、神社好きの方、御朱印を集めている方は是非行ってみてください。

小さい神社ですので、御朱印ご希望の方は連絡してから参拝して頂いた方が良いそうです。CGの御朱印だけでなく、通常の文字のみの御朱印もあります!

アクセス等は下記HPを参考にして下さい。

小江戸川越ウエブ https://koedo.or.jp/spot_148/

古尾谷八幡神社宮司さんツイッター https://twitter.com/furuoyashrine

CG制作風景

本日は制作風景をご紹介。3dsmaxを使用して制作しています。アニメやゲーム制作などでも使用されているソフトです。

こちらは江戸城本丸御殿です。将軍や役人たちが実務などを行ったところです。天守閣は太平の世では権力の象徴に過ぎず、大切だったのはこちらの本丸御殿です。将軍が出てきて、全国の大名が「はは〜」と頭を下げる大広間や、忠臣蔵の舞台の松の廊下もここですね。

江戸城に関する本や国立博物館にあった図面などを参考にしながら10年も前から作っているのですが、本丸御殿は広大だし、なかなか終わりません。できたと思ったら、自分でミスに気がついたり、別の資料を見ると違かったりと、苦戦中。

こちらも本丸御殿です。同じように見えますが、別の日です。複雑すぎてよく分からない。

こちらは江戸城天守閣の制作風景。モデリング(形状を制作)して、レンダリング(色をつける?的な感じ)しています。3代将軍家光が建てた天守閣。これが江戸城最後の天守閣です。武器倉庫として使われていたそうです。

NFTその後

NFTへの出品から2週間経ちました。NFTをマーケットプレイスへ出品しても自分で宣伝しないと知ってもらうことはできないので、出品したらTwitterとInstagramで告知しなければいけません。

このブログ以外SNSはやって来なかったので、これが意外と大変。毎日投稿して他の方の投稿を見てせっせとフォローしたり、いいねつけたりして、作品を見てもらわないといけません。初めは良かったのですが、1週間くらい経つとすでにSNS疲れ。

NFT界隈は結構商売っ気が強いし、POPな作品が多いので、なかなかその中に入っていくのは厳しいと実感しております。なんだか、売る事がメインになってしまって、それよりももっと大切なことを失いそうです。

良い作品ならいつか誰かが欲しいと思ってくれるだろうと気軽に気長に構えて行かないといけませんね。まだ2週間ですし。そして色々試行錯誤しながら自分達にあったNFTのやり方を見つけていきたいと思います。

日本橋通り 
道路の真ん中に屋台が並んでいました。車がないから大丈夫。

NFT始めました!その4〜OpenSeaへ出品〜

とうとう出品です。と、その前にガス代かかるのでイーサリアムを購入しないといけません。ガス代はブロックチェーンを使うときの手数料みたいなものらしいです。OpenSeaでは、初出品のときのみ必要だそうです。今、イーサリアムが安いので、安く済みそう。「ユニマ」では5000円弱だったので同じくらいでしょう。

こちらはビットフライヤーに日本円を入金してイーサリアムを購入するだけ。いくらかわからないのでちょっと多めにしておいた方が安心ですね。その後、メタマスクに送金して、これで準備万端。いよいよ出品手続きです。

上のバーに自分のアイコンが現れました!マイアカウントページに入れています!

アカウントページに入ると、アイコンの横のCreateをクリックしてNFTにする作品をアップして、作品名、HPアドレスと作品の説明を入力します。

画像をアップロードして、作品名、HPアドレス、作品の説明を入力します。

当然全て英語で入力するので、説明文とかは事前に翻訳してもらった文を入力しました。そのままコピペすると長くなるので、少し短くして何度か直して入力しました。こういう文も興味を持ってもらえる様にアピールするのはなかなか難しいですね。

細かい設定は取り敢えず無いので、最後にBlockchainをEtherumを選択し(Polygon等も選べます)Createを押すと、メタマスクが立ち上がるので署名してNFT作品ができました!

今回4作品出品するので、この作業を4回繰り返し。全てCreateしてから販売です。

マイページに作品が並ぶので、それをクリックすると、作品の詳細ページに行きます。右上にSELLの文字があるので、そこをクリックして、販売設定を始めます。まずは固定価格かオークションか選びます。本当はオークションが良かったのですが、最低落札価格が1EHT(現在1EHT=166595円です)に行かないと、オークションが終了せず、途中でやめるとガス代が発生する様なので、悩んだ結果、まずは固定価格から始めることにしました。あとは金額と期間を決めて出品するだけです!

右上の青いボタンを押します!
Fixed Priceが固定価格です

そしてやっと出品できました!!

と、「ユニマ」と「OpenSea」に出品しましたが、やはりそれなりに大変です。特に「OpenSea」の方がハードルは高いですが、初めに手続きをしてしまえば、次回からは作品をアップするだけなので1回だけ頑張ってしまいましょう!

今回は「江戸城/寛永度三代家光天守」「江戸日本橋通り」「吉原遊廓」「吉原引付座敷」のヴァリエーション、それぞれに4点づつです。初回のため#1や#aの作品ですので是非ご覧下さい。

NFT始めました!その3〜OpenSeaの設定〜

肝心のOpenSeaにたどり着くまで道のりが長いですが、苦手意識を取り払えば、結構簡単!と気を良くしたのは束の間。メタマスクとOpenSeaを繋げなければいけません。OpenSeaはウオレットでログインする仕組みです。出品する人だけでなく、購入する人もここは同じだと思います。仮想通貨での売買しかやっていないのでその様になっているんですね。

ここまでは全て日本語で出来たので不安感はありませんが、Open Seaはアメリカのサイトです。Chromeで日本語訳もしてくれますが、微妙な日本語訳、これはこれで使いずらい。日本語訳と英語を翻訳サイトで翻訳したり、不安を抱きつつ手続きを進めます。

Getting Startに設定手順が書いてあります。

OpenSeaのトップページの一番下まで下がって、Help CenterのGetting Startedをチェック。OpenSeaでのアカウントの取得方法が書いてあります。結構しっかり説明がされているみたい。それに従い、まずはメタマスクの連携からです。右上の「ウォレットマーク」からウォレットを選択するのですが、何度やっても、メタマスクを選ぶとダウンロードページに飛んでしまいます。せっかくメタマスク作ったのに!先に進めないじゃん!と思いましたが、よく考えたら、スマホ用にしちゃって、PCにはメタマスクの拡張機能ダウンロードしてなかった!いつもSafariでwebは開いてたのでChromeに変更して(メタマスクはSafariは対応外です)メタマスクをダウンロード。メタマスクの登録に使った「秘密のリカバリーフレーズ」を入力して連携完了!これでスマホもPCも使える!メタマスク間の連携は簡単でした。リカバリーフレーズは長くて面倒ですけど、、、。

右上のお財布マークをクリック

さあ、今度こそOpenSeaとメタマスクの連携できるだろう、と思ったら、相変わらずダウンロードしろと、、、。Helpページには説明はないし、ネットであちこち探し(T T)、やっと対処法が書いてあるページを見つけました!

Chromeの上のバーのパズルみたいなマークをクリックするとメタマスクのキツネマークが表示されるのでキツネを選んで、拡張機能にメタマスクを常に「固定表示」にします。

右端の小さいアイコン。パズルマークから狐を固定表示してください。

次にChromeの設定(一番右の点3つ)から→「プライバシーとセキュリティ」を選び→「ポップアップとリダイレクトをクリック」→「ポップアップの送信やリダイレクトの使用を許可するサイト」のところにOpenSeaのアドレスを追加します。これをしないとOpenSeaではポップアップ表示されるメタマスクが表示されないのです!再起動して完了です。ふう〜〜。まず、この手順を教えてくれるサイトにいきつくまでに結構時間が掛かりました〜。

やっとOpenSeaに戻り、トップページの右上。ウオレットマークを押すと、メタマスク、出た〜!ダウンロードページに飛ばずにそのまま連携できました。ふう〜〜〜(^_^;)

ここまで出来れば、あとはウオレットの隣の人のピクトマークから「Settinngs」を選んで、氏名またはタイトル、メルアドを入力すると、認証メールが届くのでメールをポチッとして基本設定完了です。

右の人のアイコンからSettinngsを選んで設定できます

プロフィールとか入れたかったのですが、文字数制限があり、簡単に最低限の事だけをまとめて入れましょう。英語は文字数増えるから更にちょっと困る、、、。

あとはマイページ用のヘッダーとアイコンの画像を設置してとりあえず完了〜!!疲れた〜。

メタマスクのハードルを越えれば簡単!


庶民の味 江戸時代の「江戸前寿司」

私は昭和生まれですが、当時の小学生の好きな食べ物といえば、カレーやハンバーグ、コロッケなどが上位を占めていました。平成生まれの子供たちはお寿司が1〜2位になっているそうですね。今時の子は味が分かるんだな〜と思いましたが、それ以上に昭和の時代は寿司は高級品。回らない寿司屋しかなかったので、特別な日にしか食べさせてもらえなかったけれど、今はファミレスと同じ感覚で回転寿司に行けるし、回転寿司でも十分美味しいお寿司が食べれるようになりました。

昭和からさらに時代を遡って、江戸時代はお寿司ってどんなだったのでしょう。

元々は関西の鮒寿司が「すし」でした。魚とご飯を樽に交互に入れて、半年から1年置いて熟成させると酸味が出ます。その発酵した酸っぱい、「酸し」が原型です。今は「寿司」「鮨」「鮓」などと表記しますね。江戸では文化文政頃(1800年頃)、深川の「松すし」や両国の「与兵衛鮨」が出来て、この頃に江戸前の握り寿司が出来たようです。

握り寿司の屋台。
大通りの真ん中や十字路にはこうやって屋台を設置しても大丈夫だったそうです!
車の無い、のんびりした時代ですね。

にぎり寿司の立ち位置は今の回転寿司に近いかもしれません。屋台で売られている、庶民の味でした。シャリは今よりも多く、1貫がおにぎりサイズ。2〜3貫食べたら満腹になりそうなくらい大きかったそうです。シャリが多いのはなんだかな〜って感じですが、魚はアジやコハダなどの近海の魚、もちろん採れたて江戸前!美味しかったんだろうな〜。港町で食べる魚介類は新鮮で美味しいですが、江戸ではそれが毎日食べられたわけですね。

ちなみに、現在一番人気のマグロの寿司は昭和の戦後からの話で、江戸時代には寿司としては食べられていませんでした。マグロは一番下等な安い魚とされていたようですが、普通のおかずとしては食べられていて、おかず番付には「マグロから汁」「マグロきじ焼き」などが載っています。当時は加熱調理して食べていた様です。どんな味だったのでしょうか。マグロは刺身じゃ無くても美味しいですからね。さらに、安くて庶民の味方。美味しそう。食べてみたい!

一口に寿司と言っても、色々あって、稲荷鮨や、鯖を背開きにして酢飯を詰めた鯖鮓、海苔巻き、コハダの鮓売りもいて、日本人は粗食と言われていますが、意外と豊かな食生活を送っていました。

鬼滅の刃〜全集中展〜

昨日、銀座松屋で開催中の、鬼滅の刃『全集中展』に行ってきました!あいにく肌寒い雨でしたけれど、チケット完売で、大盛況でした。

なんと人生で初めてアニメのイベントに行きました。今まで、アニメ関係ではアンパンマンの原画展しか行ったことがなかったです。ちなみにこの時はやなせたかし氏もいらしてました。25年も前の話ですが、、、。

全集中展の話に戻ります。アニメの展覧会ってどんなのだろう、と期待半分、不安半分で行きましたが、思ったよりも見応えがあって面白かったです。「無限列車編」と「遊郭編」のパネル展示と絵コンテ、絵コンテと組み合わせた動画上映など、ここでしか見られない展示でした。写真もたくさん撮ってしまい、楽しんじゃいました!

エントランス
エントランス隣では煉獄さんが「うまいうまい」言ってます
無限列車編のパネル展示
乗って写真が撮れます
鬼滅屏風
遊郭編のイラスト
ムキムキネズミが覗けます
堕姫のパネル。帯が天井に伸びています
キメツ学園のパネル。一緒に写真取れます

一番よかったのは手書きで描かれた絵コンテの絵と、作画担当のスタッフが描いたイラストですね。なかなか見られない制作者の作品が見られて面白かったです!ちなみにそちらは写真撮影NGなのでご紹介出来ず残念です。

刀鍛冶の里編の予告映像が流れていました。楽しみです!

遊郭について〜その5〜 吉原のしきたり

「夕もやが柳をほのかにぼかし、黄昏燈(たそやあんどう)に火をつける頃になると、各楼の美しいともしびは星のように輝き、絃声(すががき=三味線の音)が聞こえてくる。」と寺門静軒の『江戸繁盛記』にあります。イルミネーションが無かった江戸の夜に、行燈の火で明るく輝き、三味線の音が流れ、妖しい雰囲気を醸し出す吉原が目の前に広がるようです。

張見世・妖しい光に引き寄せられます

そんな吉原には色々なしきたりがありました。吉原は疑似恋愛をする場所なので、廓のしきたりに則って手順通りに進めねばなりません。当然費用も嵩んで行きますし、そんなに簡単に遊べる場所では無かったのです。

まずは遊郭に行って一般の客は直接妓楼の張見世でお気に入りの花魁を見つけますが、お金持ちの上客は引き手茶屋を通します。この引き手茶屋は予算や好みを聞いて、お客にあった花魁を紹介してくれる茶屋ですが、話を聞いてすぐ紹介、という訳には行きません。茶屋ですのでここで酒宴をあげ、花魁が迎えにきてくれます。

茶屋を通しても通してなくても、花魁を一目で気に入ったからと言ってすぐに床を共にはできません。なんと、3回通わないといけないのです。まず1回めは「初会(しょかい)」です。「引付座敷」というところに通され、酒宴で花魁に出会います。上座は花魁。初めて会ったのですから、床入りしても触れることも叶わない。でもこの酒宴代ももちろん客持ちです。

2回目は「うら」と言われ、1回目と同じように酒宴となりますが、少し親しさを見せてくれます。3回目でようやく馴染みの客となり、床入りできますが、今度は「床花(とこばな)」と言われるチップをはずまなかればなりません。

馴染み客

さらにその後も他の花魁と遊ぶことは厳禁。吉原では花魁が最上位ですから、花魁の機嫌を損ねてはいけません。また年中行事が多く、正月松の内をはじめとして花見や月見など毎月、吉原独特の祝い日などの「紋日(もんび)」を設けていました。いわゆるイベントデーでこの日は揚代が倍になりました。この日にお客がいないのは花魁の恥になるので、馴染みの客は足を運びます。というとまた費用が、、、。その他もろもろ、上位の花魁だと一回の揚代(1日の全ての料金)で職人の日当数ヶ月分になるそうなので、だいたい、百万円ってところでしょうか。これでは身代を潰す者が出てきても不思議ではありません。それでもハマってしまう人がいるのですから魅力的だったのでしょう。もちろん花魁も上客が離れないように努力は惜しみません。芸を磨いたり知性やテクニックを磨いたり。さらにお客の名前を刺青したり、小指を落として送ったり、、、。やはり色々別世界。

北廓月の夜桜 歌川国貞(三代豊国)筆 19世紀 横大判錦絵
北廓(ほっかく)とは、吉原のこと。旧暦3月の紋日の様子です。
中の町にはこの時期に合わせて桜が植えられました。大変な賑わいです。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

江戸時代の本を読んでみよう!

最近、江戸の本を読んでおります。当時の本はもちろん持っていないし、もし持っていても、昔の仮名遣いは読めないので、再出版された本ですが、言葉はそのままなので、半分理解できていないところもあって読むのに時間もかかりますが、結構、わかります。学生の時に習った古文よりも江戸の言葉の方が現代語に近いですね。さらに現代語訳が併記されている本だとかなり楽です。ちなみに漢文で書かれている作品は完全にお手上げです。学生時代にしっかりと漢文の勉強をしておけば良かった、、、。でも漢文で書かれた本は完璧に現代語訳されているものがほとんどだと思います。

内容的には、ライトノベル的な感覚で読めます。ただ、江戸の人との感性の違いや知識、流行も違うので意味が分からない事も多々ありますが、200年以上前の人も同じ様なことを言って、同じ様なことで笑って怒っていたんだな、と思うと、江戸を身近に感じます。

まだ数冊しかトライしていませんが、初心者に楽しく読めたのは妖怪の話です。絵も面白いし、妖怪とかお化けとかは時代を超えて人気ですね。

中村が初めて作ったCGは式亭三馬(安永5年1776年〜文政5年1822年)の『浮世風呂』(文化6年1809年に前編が出版)からインスパイアされた作品だったので、『浮世風呂』を読みました。

溢れそうな本棚。図書館みたいな本棚に憧れますが、、、。
中央の右の黒い本が式亭三馬の浮世風呂と浮世床。
昭和5年出版の本です。最近の出版じゃあ無いですね、、。
でも句読点や改行があるので読み易い。

こちらのハードカバーは昭和初期に出版されたのですが、句読点もあり、改行してくれているので読みやすいです。現代語訳はないのですが、本文の上に注釈があるので大体理解できます。それでも、所々意味不明ですが、英語の本を読む時も、分からないところは飛ばしていいから、量を読め、って聞いたことがあるので、あまり気にせず読むことに。

賑やかな湯屋の様子を描いた挿絵です。男湯のはずなのに中央に女の人がいますね。
混浴禁止だったはずですが、江戸以外はほとんど混浴だった様で、
子供をあやすお母さんが脱衣所にいても周囲の人は誰も意に介さず。
話の中でもお父さんやご主人を呼びに男湯に女の人が平気で入ってきます。
ちょっとびっくり。今では考えられない。初めは私の理解力不足かと思いました、、、。

『浮世風呂』は江戸の湯屋(お風呂屋さん)でのごく日常の出来事を会話形式で短編の話にしていて、江戸の人たちの生活が垣間見れる作品です。どこの家に子供が産まれた、とか、子供連れのお父さんが熱い湯を嫌がる子供をあやしながら一緒に湯に浸かっている様子、とか、女湯では、化粧の濃いのは良くない、薄化粧の方がいいよね、なんて会話していて、今と変わらないよな〜ってしみじみ思います。お風呂で起こる出来事はちょっとした喧嘩や湯当たりで倒れちゃう、といったほのぼのとしたエピソードばかりです。江戸時代は現代と違う不条理もあったと思いますが、のんびりした時間を過ごしていて憧れます。

二階建ての湯屋の構造が分かるCG。左側が男湯、右が女湯。
男湯からのみ2階へ上がれました。2階は庶民の社交の場。

温泉でなく、スーパー銭湯でもなく、普通の銭湯に行ったのはいつでしょう、、、。もう少しコロナが収まったら浅草あたりの昔ながらの銭湯に行きたいものです。

江戸の浮世絵師・鍬形蕙斎の描いた越後屋とcgで製作した越後屋を比較してみた

先日の飛鳥山のブログを書いたときに鍬形蕙斎(くわがたけいさい)の飛鳥山の絵を紹介しましたが、あのときに、鍬形蕙斎の作風ってこんなだったっけ?と改めて調べてみました。鍬形蕙斎は意外と資料が残っていなくて謎の絵師のようです。残念ながら鍬形蕙斎研究の著作物も少ないです。

鍬形蕙斎(明和元年1764年〜文政7年1824年)はもともと浮世絵師で北尾政美(きたおまさよし)と名乗っていました。紹真(つぐざね)という名前もあります。江戸の畳屋に生まれ北尾重政に弟子入りしました。同じ重政の弟子には北尾政演(きたおまさのぶ)=山東京伝がいます。狩野派や大和絵、西洋の解剖学も学び、あらゆる画法を駆使して描き、「江戸の工夫者」と称されました。寛政8年に津山藩八代藩主松平越後守津山候康哉(やすちか)の家臣となり、さらに狩野派の門人となり、鍬形蕙斎と名乗りました。この後は浮世絵ではなく、肉筆画の制作に専念しました。

鍬形蕙斎=北尾政美の代表作は鳥獣略画式と人物略画式、そして「近世職人尽絵詞」です。略画はその通り、シンプルで簡単に描かれたものですが、とても可愛らしく、最近流行った、『かわいい浮世絵』の代表です。

鍬形蕙斎 略画式 寛政7年(1795年)
出典:Smithsonian free gallery of art 
 略画式シリーズの最初の本で人物、草花樹木などが描かれている。
脱力系のかわいいキャラがたくさん。
最近、雑貨のイラストにも使われていますね。

「近世職人尽絵詞」は江戸の職人と庶民の生活が描かれているのですが、柔らかい筆遣いで、軽やかに当時の人々を描いています。職人の絵だけなのかと思っていたのですが、越後屋や寺子屋、様々な商店の中の様子が分かる絵も多く当時の風俗もよく分かり、歴史資料的な価値もあります。

近世職人尽絵詞 鍬形蕙斎筆 江戸時代・19世紀紙本 3巻 淡彩
大工の仕事の様子。真ん中の人が、背中の日焼けまで描かれています。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
国立文化財機構所蔵品統合検索システム
近世職人尽絵詞 鍬形蕙斎筆江戸時代・19世紀紙本 3巻 淡彩
右の文字に駿河町越後屋と読めます。越後屋の内部です。繁盛している様子がわかりますね。
活気があって楽しそうな雰囲気が伝わります。会話や笑い声が聞こえてきそう。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
国立文化財機構所蔵品統合検索システム
越後屋内部のCG再現
CGになると日本家屋の重厚感があります。
広さとか建物の作りはCGだと分かりやすい。

葛飾北斎(1760年〜1849年)と鍬形蕙斎は同時代の人で「北斎嫌いの蕙斎好き」という言葉もあるぐらい評価も高く、比較されました。それは鍬形蕙斎が評判になると、北斎が同じ画題で絵を描き、それ以上に売りまくる、といった事が実際にあったようで、北斎は俗っぽい、鍬形蕙斎の方が、品が良くて好き、という蕙斎ファンがいたようです。実際に2人の絵を比べてみると、鍬形蕙斎は柔らかく暖かく、確かに品が良いとも言えます。北斎は力強くてパワーがあり、自己主張が強いように思います。確かに俗っぽい。でも私はそんな北斎の俗っぽくて、自分は絵を描くしかないんだよ、っていう芸術家の叫びが好きです。