Kindle出版にチャレンジ・前編/Kindle Comic Creatorとpagesに格闘編

チャレンジって、この歳で(年齢は非公開ですが)チャレンジするってなかなか無いかも?(と世間的に思われるような年齢です)でも近年、停滞した自分自身の時間を動かすべく、色々取り合えず試してみようとしていて、新たなことに挑戦しています。
それはさておき、Kindle出版を始めようにも何をどうしたらいいのかも全く知らないド素人が、取りあえず出版できたよ、って話です。

前回の「Kindleで電子出版始めました!」に書いた、むうさんと渋谷さんに全て教えて頂いた結果です。
Kindle出版はAmazonのKindleダイレクトパブリッシングに作品をアップすれば良いのです。誰でも公序良俗に反しないものであれば出版出来ます。(厳しい規定は無いようですが100%出版可では無いかもしれないので詳しくは公式ページをご確認ください。一応審査はあるようです。)
まず必要なのは当然ですが「作品」ですね。何を出版するのか、その内容によって、本の作り方が変わってきます。小説やエッセーなど、基本的に文章のみの本はKindle Create、漫画や写真集など、図版が多いものはKindle Comic Creatorを使用すると簡単に作れます。こちらはAmazon Kindleの推奨ソフトで無料でダウンロード出来ます。

と、ここで素人の私はいきなり壁にぶち当たります。Kindle Comic Creatorがダウンロード出来ない!my PCはimacのM1チップなのですが、もしやM1チップに対応していないのか??ショック(泣)「Kindle Comic Creator v1.1 for Intel Mac (OSX 10.6 以降) 」ってかるけど、Intelじゃ無いとダメなの〜!?

ネットで調べたらMACにデフォルトで入っているpagesでも作れると出ていたので、pagesで作ってみました。
pagesも今年になって初めてちょっと使っただけでよく分からないけどやってみる。テンプレートから「ブック横」を選ぶと写真集が出来る設定になっているのでそちらを選びます。(文章メインの本は縦型を選びます。)

pageaのテンプレート。色々あるので自分が作りたい本に近い物を参考にしましょう。

白紙のページに江戸の写真を載せて作品名や説明を打ち込んでいくと簡単に本が出来上がります!おおお〜〜〜思ったより簡単!出来たデータをEPUB形式で書き出すと電子書籍の出来上がりです。書き出したデータをダブルクリックするとbook(こちらもmacに搭載されてるやつ)が開いて読むことができる!わ〜い!と思ったのですが、なんか違う。バランスとか、やっぱりちゃんとデザインしないとカッコ悪い。ということで一からやり直し。根本的に編集し直しです。

Apple Booksでプレジューできます


pagesは元々デザインソフトでは無いのでやっぱりキッチリ作るにはIllustratorやInDesignで作らないとですね。ということで一番使い慣れているIllustratorで全ページ編集し直し。Illustratorで作ってjpgで書き出します。そのjpgを貼っていけばいいんですね。ここで大切、渋谷さんからアドバイスを頂いたように、アートボードをピクセルで設定します。普段はmm設定ですからね。しっかり設定変えないと全部やり直しになってしまいます。ピクセルでタブレット画面のサイズにして編集開始。

Illustratorが一番慣れてるので、Illustrator触っているとホッとする。

英語訳を付けたかったのでほぼ文章は入れていないのですが、編集作業って意外と大変。TAPIRUSの渋谷さんは500ページ以上の本を出版されてて、尊敬です。本業じゃなくてサイドビジネスですからね、これ1日中やっても何日かかるんだろう、、、。900ページの本もあるそうです。果てしないな。デザイン900ページってことですからね、、、。

今回は50ページなので取り合えずIllustratorのデータはできた!jpgにもした!次にpagesもタブレットの書類サイズにしたいのですが、どこで変えるか分からず、ネットで調べました。「ファイル」メニューから「ページ設定」を選択すると「用紙サイズ」のポップアップメニューが出てきます。「カスタムサイズを管理」を選択するとサイズを入力できます。もっと簡単にサイズ変更できないもんかな〜とかブツブツ言いつつ、サイズを変更し、編集していきます。貼り付けるデータ自体はできているのでここは簡単。ペタペタドロップして貼れば良いだけ。EPUB形式で書き出してbookで見ると、おお〜出来てんじゃん!

取り合えず試しにKindleダイレクトパブリッシングにアップしてみよう!と思ったら今度はアップできない!エラーが、、、(泣く)。pagesのせいなのか??なんか、文章メインだと上手くいくけど、写真メインだと難しい、と失敗談がネットでも出ていたので、TAPIRUSの渋谷さんに頼って、違うソフトを教えていただきました。(もしかしたらpagesのエラーは単純なミスかも、、、。原因と思われるのは後編に)

漫画のEPUB3作成ツールでも作成できます。こちらもオンラインの無料ソフトです!すごい、そして意外と簡単。一気にjpgデータをアップロードしてプレビューしてみたら、おおお〜できてる!ただ、見開きの作品集を作りたかったので、それにはちょっと一手間必要なんですね。そのためのソフトがなんとダウンロードできない(泣)。この辺でちょっとメゲた。

もう一度pagesに戻ったけど、やはりダメで、Kindleダイレクトパブリッシングを読むとやはりKindle Comic Creator推奨。ダメ元でもう一度チャレンジしたら、なんと今度はダウンロードできた!!やった〜〜!って、この前なんでできなかったんだ??単に通信が悪かっただけか??ということでKindle Comic CreatorはmacのM1チップでも大丈夫でした。

長くなったので続きは後編に!

amazonにて販売中です!

古尾谷八幡神社御朱印

今年初ブログは縁起の良い話題から。

川越市にある古尾谷八幡神社の御朱印を作りました!全国的に珍しい、もしかしたら全国初?のCG制作による絵入御朱印です。

古尾谷八幡神社は863年(貞観4年)に創建された歴史の深い神社です。石清水八幡宮の分霊をお奉りしたのが始まりで、源頼朝や藤原時景、北条氏政、徳川家康にも縁があり、宮司さんや氏子の方々によって大切に現代まで守られています。社殿は埼玉県指定有形文化財、9月に行われる神幸祭、別名「ほろ祭」は県指定無形文化財です。

川越市民ではありますが、御朱印を製作したいというご連絡を頂いてから初めて古尾谷八幡神社に行きました。「ほろ祭」が有名な神社なので、一度行きたいと思っていたのですが、自宅からは少し離れているのを言い訳に行ったことがありませんでした。良い機会を頂いたのでお話を伺いつつ、神社をお参りして来ました。

古尾谷八幡神社は川越市内ですが荒川に近く市街地から離れていて、公共交通機関を利用すると、JR川越線南古谷駅から徒歩35分!周りは田圃に囲まれている長閑な場所にあります。自宅からサイクリングしながら行った方が早いので長閑な風景を眺めながら伺いました。

神社のすぐ近くの田圃の中に鳥居を見つけました。
これは古尾谷神社ではありません!
畦道に鷺

失礼ながら、川越のハズレの小さい神社だろうと思って行ったのですが、想像以上に敷地が広く、大きな鳥居は石造と木造の3つもあり、社殿も大きく大変立派な神社でした。これはもっとたくさんの方に来て頂いて古尾谷八幡神社を知って頂きたい!そしてこれからも末永く守って行ってもらいたいです。

一番外側の石造の鳥居から。
雨が降りそうな生憎の天気。
赤い鳥居を入ります
更に石造の凱旋門もあります。
本殿。修復工事をされて綺麗です。
奥行きがあり、立派な本殿
本殿の後ろにも社が沢山。県指定文化財です。
手水舎の上にも狛犬が!可愛い
狛犬多いめです。狛犬好きの方にもおすすめ

アクセスはあまり良くありませんが、私と同じようにサイクリングで来る方も多いようですし、駐車場もありますので、神社好きの方、御朱印を集めている方は是非行ってみてください。

小さい神社ですので、御朱印ご希望の方は連絡してから参拝して頂いた方が良いそうです。CGの御朱印だけでなく、通常の文字のみの御朱印もあります!

アクセス等は下記HPを参考にして下さい。

小江戸川越ウエブ https://koedo.or.jp/spot_148/

古尾谷八幡神社宮司さんツイッター https://twitter.com/furuoyashrine

遊郭について〜その5〜 吉原のしきたり

「夕もやが柳をほのかにぼかし、黄昏燈(たそやあんどう)に火をつける頃になると、各楼の美しいともしびは星のように輝き、絃声(すががき=三味線の音)が聞こえてくる。」と寺門静軒の『江戸繁盛記』にあります。イルミネーションが無かった江戸の夜に、行燈の火で明るく輝き、三味線の音が流れ、妖しい雰囲気を醸し出す吉原が目の前に広がるようです。

張見世・妖しい光に引き寄せられます

そんな吉原には色々なしきたりがありました。吉原は疑似恋愛をする場所なので、廓のしきたりに則って手順通りに進めねばなりません。当然費用も嵩んで行きますし、そんなに簡単に遊べる場所では無かったのです。

まずは遊郭に行って一般の客は直接妓楼の張見世でお気に入りの花魁を見つけますが、お金持ちの上客は引き手茶屋を通します。この引き手茶屋は予算や好みを聞いて、お客にあった花魁を紹介してくれる茶屋ですが、話を聞いてすぐ紹介、という訳には行きません。茶屋ですのでここで酒宴をあげ、花魁が迎えにきてくれます。

茶屋を通しても通してなくても、花魁を一目で気に入ったからと言ってすぐに床を共にはできません。なんと、3回通わないといけないのです。まず1回めは「初会(しょかい)」です。「引付座敷」というところに通され、酒宴で花魁に出会います。上座は花魁。初めて会ったのですから、床入りしても触れることも叶わない。でもこの酒宴代ももちろん客持ちです。

2回目は「うら」と言われ、1回目と同じように酒宴となりますが、少し親しさを見せてくれます。3回目でようやく馴染みの客となり、床入りできますが、今度は「床花(とこばな)」と言われるチップをはずまなかればなりません。

馴染み客

さらにその後も他の花魁と遊ぶことは厳禁。吉原では花魁が最上位ですから、花魁の機嫌を損ねてはいけません。また年中行事が多く、正月松の内をはじめとして花見や月見など毎月、吉原独特の祝い日などの「紋日(もんび)」を設けていました。いわゆるイベントデーでこの日は揚代が倍になりました。この日にお客がいないのは花魁の恥になるので、馴染みの客は足を運びます。というとまた費用が、、、。その他もろもろ、上位の花魁だと一回の揚代(1日の全ての料金)で職人の日当数ヶ月分になるそうなので、だいたい、百万円ってところでしょうか。これでは身代を潰す者が出てきても不思議ではありません。それでもハマってしまう人がいるのですから魅力的だったのでしょう。もちろん花魁も上客が離れないように努力は惜しみません。芸を磨いたり知性やテクニックを磨いたり。さらにお客の名前を刺青したり、小指を落として送ったり、、、。やはり色々別世界。

北廓月の夜桜 歌川国貞(三代豊国)筆 19世紀 横大判錦絵
北廓(ほっかく)とは、吉原のこと。旧暦3月の紋日の様子です。
中の町にはこの時期に合わせて桜が植えられました。大変な賑わいです。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

遊郭について〜その3

今回は遊郭で働く人について。前回もお話ししましたが、遊郭には様々な人が働いています。

まずは遊女から。女衒(ぜげん=人買い)が全国を回り貧しい家の若い女性を集め、吉原に売ります。ですが、実は幕府は人身売買は禁止しているので、年季奉公、ということで10年間の奉公をする、って体裁になっていました。なので10年経てば自由の身になれるのです。まあ、幕府も実態は分かっていたので黙認ってことですね。吉原は政府公認ですからね。ちなみに、女衒で買われるのはまだマシで、誘拐されて連れてこられる人もいたとか、、、。

遊女は図のようにピラミッド型で、6段階にランク分けされました。

吉原に売られてから、すぐに花魁になれるわけではありません。吉原の遊女は厳格にランク付されていたので吉原に来てから、芸事やマナーを習い、ランクを上げます。遊郭について〜その1にも説明してありますのでご覧ください。

一番上の呼び出し昼三になると相当のセレブじゃないと会うことも叶いません。

また、吉原芸者の時に書いたように、芸事に秀でている人は芸者となりました。芸者は女芸者と男芸者がいて、三味線、唄、踊りなどで客を楽しませました。

男芸者の下のランクになりますが、幇間(ほうかん=太鼓持)という芸人がいました。いわゆるお笑い芸人みたいな人で歌舞伎役者のモノマネをしたり、話術や踊りなどで客を良い気持ちにさせました。

若い者、妓夫(ぎゆう)、喜助(きすけ)などと呼ばれる男の使用人もいました。見世番(張見世の脇で客の呼び込みをする)、二階番(遣手婆の手伝い)、不寝番(ねずのばん)油さし(行灯の油をさす)などの仕事をしていました。

宴会風景
花魁を買わずに宴会だけすることもできました。

客は遊女に対してだけで無く、こうした芸者や遣手、若い者へのチップなど払わなければ行けないのでその費用は巨額でした。なので吉原で豪遊できるのはほんのひと握り。なるべく上客を射止めたいので花魁も日々努力して美と知性を磨いていました。

遊郭について〜その2

遊郭について〜その2

今回は遊郭、江戸の吉原を例に図解で説明します。

参考文献・双葉社スーパームック「吉原遊廓」

遊郭は一つの町になっていました。周囲は幅3mの堀(おはぐろどぶ)(1)が掘られていて、出入口は大門(2)一つでした。遊女が逃げないように要塞のようになっていたんですね。大門を入って左には町奉行配下の面番所(3)で怪しい客を監視し、右の監視所(4)では吉原の自衛団が遊女の足抜け(脱走)を監視していました。

大門を入って真っ直ぐ伸びた中央の大通りが仲の町(なかのちょう)(5)。春には桜、秋には紅葉を植えたりと、季節に合わせて花木を植え華やかに演出しました。仲の町の左右には引手茶屋(6)が並びます。

引手茶屋とは遊客を妓楼(遊女屋)に案内する店で、客の送迎をしたり、吉原芸者を招いて宴会もしました。高級花魁はここで紹介してもらわないと会えません。

仲の町から木戸(7)を通って横道に入ると妓楼が並びます。横道も通りごとに名前がついていました。(8)

妓楼にはランクがあり、上位から大見世、中見世、小見世とあり、大見世では一晩で何十両も払える上客でないと遊べません。さらに、吉原の両端、おはぐろどぶに沿って並ぶ遊郭(9)は最下級でした。

吉原の端にある九郎助稲荷(10)は遊女からの信仰が厚かったそうです。吉原から逃れられない辛い現実を象徴しているようです。

妓楼1階

いよいよ妓楼の中へ。妓楼の入口には張見世(11)があり、この中で遊女が座って客を待っていました。この張見世は格子があり、この格子を籬(まがき)といい、大見世は大籬で天井まで全てを覆う格子、中見世は半籬で上部の1/4が無い格子、小見世は上半分が無い格子で、店のランクがひと目で分かりました。ここで花魁を選び妓楼に入ります。

入ってすぐ、入口を監視するような感じで楼主(店のオーナー)がいる内所(なっしょ)があります(12)。妓楼は全て2階建てで、1階は従業員の生活の場、営業は2階でしていました。内所は2階までの吹き抜けになっていて、1階から2階全ての様子を見れる構造になっています。

内所で周囲を見張る楼主
後ろには神棚、その横の鈴で人を呼びます
大見世の花魁
大籬から客が覗いているが、ほとんどは見物客
妓楼2階

2階へ上がるとすぐに監視するように遣手婆(やりてばば)の部屋(19)があり、周囲に花魁部屋(20)が並んでいました。中央の出格子(21)には花魁用の下駄やお歯黒の道具、水差しなどが置かれていました。その横(22)には掲示物などを貼るスペースもありました。中庭(23)もあり、豪華な作りになっていました。

階段を上がると出格子
周囲には花魁部屋が並びます

炭治郎たちが活躍する、遊郭の全体がなんとなく分かって頂けたでしょうか。どこに鬼が潜み、退治していくのか今後の展開が楽しみです。

遊郭について~その1

遊郭について~その1

「鬼滅の刃遊郭篇」の2回目放送がありました。今回はギャグ満載で面白かったですね。絶対女の子には見えないだろ、と突っ込みつつ爆笑しました。

ところで遊郭ってどんなところか分からないですよね。その存在の是非は横に置いておいて、システムや構造を語ってみたいと思います。遊郭は全国各地にありましたが、ここでは遊郭の代表、江戸吉原の一番栄えた江戸時代の話です。

花魁部屋/花魁と酒を飲んだり宴会したりもして、一晩で、現在のお金で数百万使う人も!

遊郭は、音柱宇髄天元が話した通り、貧しい女性が売られて身を売る場所でした。遊女は6つの階級に分かれていました。美しく着飾り、技術と教養を身につけて最上位の花魁になると上級武士や豪商、文人などの上客がつきました。読み書き、和歌、書道、琴、茶道、活け花などなど、高い教養は大奥に匹敵したそうで、だからこそ、上級武士などの相手も務められたのでしょう。ですので、庶民の間に、吉原遊女に対する蔑視は無かったそうです。

また、吉原では、観光をしたり(女性も観光に来たそうです!)、宴会だけすることもできたので、アニメにあった様に人が溢れ、大盛況を誇っていました。そのため、吉原で働く人は多く、遊女以外の女性や若い男性もいました。だから、炭治郎たちも潜り込むことが出来たのですね。女中やお針子、吉原芸者もいたので善逸のように三味線が得意なら重宝されたでしょう。善逸は現代なら天才ミュージシャンですよね〜。素晴らしい。

2階へ上がる階段/炭治郎達が活躍します!

アニメの中で、何度か「遣手婆(やりてばばあ)」が出てきました。宇髄がイケメンなのでうっとりして炭治郎達を雇ってしまいましたね、、、。この「遣手婆」は、花魁を引退した女性が大半で、遊女の全てを知っており、客のあしらい方の指導や躾、また客をあてがうなど、遊女達の管理をしていました。厳しくて遊女に恐れられていたそう。

遊郭2階/出窓のところに花魁用の下駄や遣手婆のお歯黒の道具がおいてあります。周囲には花魁部屋が並びます。

遊女の年季(契約期間)は最長10年27歳までと決まっていたそうです。年季が明けたあと、吉原を出て自由の身となり結婚したりする人もいますが、そのまま吉原で遣手婆になったり、吉原の関係者と結婚したりと、そのまま残る人もいましたが、年季を待たずに亡くなる遊女も沢山いました。

『鬼滅の刃〜遊郭編』の吉原の風景

『鬼滅の刃〜遊郭編』の吉原の風景

とうとう、遊郭編始まりましたね!煉獄邸の話はちょっと、うるっときてしまいました、、、。火の神神楽の秘密や煉獄さんと炭治郎の父の秘密とかも知りたいですね〜。

最後に遊郭の映像が流れていましたが、CG作家中村宣夫は『鬼滅の刃』の第1話目からモデリング協力をしております。モデリング協力とは背景画の骨格となる形状データおよびレンダリングの際の素材を制作提供しています。いわゆる日本家屋のデータ協力ですので、お屋敷などが出てくると注目して見てしまいます。今回の遊郭編には多く登場するので楽しみです!

吉原張店内部

また、すごく綺麗にアニメ映像になっていて感激しました!スタッフの皆様、感謝です。これからどんな展開になるのか、楽しみになりました。炭治郎達が遊郭の中を走り回ったり、バトルしたりして破壊されちゃったりもするんだろうな〜。

前半はウルっと来て、後半はワクワク!来週が待ち遠しい!

ところで遊郭といえば、浮世絵にずいぶん描かれてきた題材ですが、その中でも異彩を放つ絵画が葛飾北斎の娘、栄、雅号「応為」の代表作、「吉原格子先之図」です。

葛飾応為『吉原格子先図』紙本著色一幅。26.3×39.8㎝ 文政~安政(1818~1860)頃。太田美術館蔵。出典wikipedia

美人画は俺以上だ、と北斎に言わしめた応為。一番近くで幼少の頃から北斎の絵を見続け、その才能を受け継ぎ、北斎の右腕として絵を描き続けました。北斎の工房で描いていたため、応為としての作品はほとんど残されていません。しかし「吉原格子先之図」の図中の提灯には隠し落款の「応為」「栄」の文字が見えます。この作品は「私の作品よ」と主張するようです。

まるで西洋画のような陰影と遠近法は、江戸時代の人の絵なの?と、驚きがあります。当時こういった表現方法をされていたということは、かなり勉強研究していた証だと思います。北斎は西洋画を集めていた、という説もあるので、一緒に研究していたのかもしれません。また、この作品を女性が江戸時代に描いていたという事が新鮮ですが、北斎とは違う色使いと繊細なタッチで、女性らしい濃厚さというか、艶かしい感じがします。

その「吉原格子先之図」からインスパイアして製作したのが吉原のCGです。妖しい光と影が吉原の色香を表しています。

吉原張店

江戸時代は「江コ時代」だった

10年前に江戸時代のリサイクルをPRしたくて作った画像です。

江戸時代は捨てるゴミは無く、全てリサイクルする循環型社会でした。現代人が必死に目指そうとしていることが、100年以上前に実現されていたんですね。

新聞広告風に作ってみました!

現在ドバイ万博で上映されている映像も江戸の循環をテーマにしています。

EDO Renaissance. Let’s return to Japan at that time

200 years ago, the people of Edo knew how to live in harmony with nature.

It means living in the same rhythm as the earth and making the same circulation as the earth.

I spent the day in line with the movement of the sun, and the things around me were made with gifts from nature such as trees, grass, and soil.

A system that cherishes everything and can recycle not only unneeded items but also ash and human excrement was created by the common people and has taken root firmly.

In order for the earth to be healthy, it is essential to have a healthy circulation in which the water that falls on the mountains as rain flows through the river and reaches the sea, becoming clouds and raining on the mountains again.

What is necessary for earthlings is to regain a circulating life.

自身番と木戸番

6月11日に投稿した「日本橋駿河町三井越後屋呉服店」にもちょろっと出てきた自身番と木戸番ですが、これはもっと近景のCGです。

右側の小屋が木戸番。その名の通り、町の入り口の木戸を開け閉めする人が詰めている場所でしたが、徐々に木戸を閉めることがなくなり、雑貨屋などを営んでいました。このCGにも木戸は無いですね。現代のコンビニのように様々な生活雑貨を販売していました。

左側の小屋は自身番。街の有力者が詰めて街の管理(自治)をしていましたが、その後、人を雇って管理させていました。

書役と定番という事務をする人、小間使いの番人(番太郎と言ったそうです)ら、通常3〜5人が詰めていて、非常時には6〜7人がいました。

番太郎はこの小さな木戸番小屋に住んでいました。昼夜、街の警備や火の用心に当たるほか、罪人を先ず自身番に繋いで罪状を問う取り調べなどもしていました。自身番の上には火の見櫓があり、火事が起こったときはその鐘を鳴らしてみんなに知らせました。

当然、給金も支払われていて、忙しい街では結構な金額がもらえたとか。

また、幕府から庶民へ通達があるときは、町奉行→町年寄→名主→自身番と伝わり、自身番の前に掲示して庶民へ伝えられました。

でも普段は平和な江戸。「自身番将棋」という言葉があって、自身番で暇潰しにやる将棋のことから転じて、「ヘボ将棋」の事を言ったそうです。町の騒動は滅多に起こらないから、呑気に将棋を指していたんでしょうね。

世界ふしぎ発見!

先週の土曜日6月19日放送の「世界ふしぎ発見!歴史を変えた名城スペシャル」で家康が作った江戸城の再現CGが放送されました!

江戸城の初代天守と五連続枡形虎口のCGです。番組でも紹介されていましたが、城の作りからその時代背景を窺い知ることができておもしろいですね。戦乱の世だからこそ作られた、大きな天守閣と敵を欺き攻撃するための仕組み。

五連続枡形虎口は5重に門を配置し、門と門の間に敵を閉じ込め攻撃します(これを「江戸返し」というそうです)。鉄壁の防御ですね。また、高さ約68m(推定)の大天守1つに小天守が2つある連立式天守は漆喰で真っ白に塗られ美しく、徳川の力の象徴でした。逆に泰平の世になってからは天守閣は再建されなかったことが、江戸時代の平和の象徴になりました。

家康の頃の大きな天守閣が現存していたら、どんな感じだったのかと想像を巡らさずにはいられませんよね。現在の丸の内ビル群の中にそびえていたら、堂々とした佇まいに威圧感を感じるのでしょうか。それとも高層ビルに埋れてしまっているのか、、、。

私は当時から残っている国宝の城は松本城しか見たことはありませんが、その重厚感と迫力、美しさは格別です。江戸城はその何倍ですので現代の大都会の真ん中でもきっと美しく威厳を持って鎮座していたでしょう。