読書の秋〜日本美術の核心

最近、矢島新著「日本美術の核心」という本を読みました。日本美術のオリジナリティについての著作ですが、とても面白かったです。

以前友人に、「日本人は西洋画のように写実的に描けなかったのかな?」と言われたことがりました。確かに遠近法とかの観念が無かったし、写真のようにリアルな絵画は日本画にはほぼ有りません。でも以前紹介した渡辺崋山のように写実的な人物画があるし、応挙の昆虫のスケッチなんて図鑑のようです(それ以上に美しい)。仏僧の木彫などには動き出しそうなリアルな作品もあります。それに、写実的かどうか以前に美しいものは美しいし、写実的じゃなくても面白い。と言っても、確かに江戸時代の西洋画風絵画でも遠近法はまだ未完成で不恰好だし、未熟にも見えてしまう。日本画の良さをどの様に説明したらいいのか上手く話せずモヤモヤと胸に残っていたのですが、この本の中に解答があってスッキリ!

西洋の絵画が現実をリアルに写す方向に芸術の世界が向かったのに対し、日本は美を表現する方向に向かったため、現実の世界と違くてもそれに重きを置いてこなかった。その結果としてデザイン性の高い作品が生まれていった、ということでした。

写実的ではない、イコール下手では有りませんし、写真の様に写実的だった西洋画が抽象画に方向転換したのは浮世絵の影響です。日本画は抽象画とも言えますから、浮世絵に衝撃を受けた印象派の画家たちが抽象画に向かい、現代アートまでの変革の道筋が出来ました。写実的=美という概念をぶち破ったんですね。

ヨーロッパが大航海時代以降、世界の覇者となったために西洋の(キリスト教的)価値観が世界に広まり、それ以外は野蛮だ、といった風潮になってしまったので絵画に限らず西洋的価値観で全てのものを見てしまうようになりました。その為にそれ以外の国々の文化への理解が乏しくなってしまったけれど、逆に西洋の画家が東の外れの国の絵画に衝撃を受け、芸術表現を大きく変えることになったのはとても面白いことです。自分達と全く違う文化を受け入れられる芸術家は度量が大きいと思います。というか度量の大きく柔軟な芸術家が世界を変えていくんだな〜と思います。

また、日本で印象派の絵画が人気なのは日本人として親近感があるからだと考えると納得がいきます。印象派以前のキリスト教の絵画や王侯貴族の絵画よりも日本のエッセンスが入った印象派の絵画は肌で理解できるのでしょう。

少し話がズレますが、私は西洋画では印象派よりも中世の作品が好きです。ギリシャの均整がとれた時代とルネサンスの間の、暗黒時代とも言われたキリスト教が支配していた時代です。なぜ好きかというと、とてもデザイン的で面白いから。写実的な観点から行くと下手ですが、平面でどの様に必要な宗教的要素が描けるのか工夫した結果、面白い絵画が生まれた様に思います。勉強不足で西洋中世画について多く語れませんが、金も多用していて、やはり日本画との共通点があるように思います。(今度詳しく調べてみよう!そうか、だから中世画が好きだったのか。)随分前ですがイタリアに行った時、ボローニャにある中世絵画の美術館に寄ってきました。やっぱり美しく面白い絵画でした。イタリアでもあまり人気がないのか、他に鑑賞している人はいませんでしたが、、、。

そのほかこちらの著書では世界の芸術の中心となった国(仏伊中など)の周辺国(日本も中国の周辺国)の文化や日本の素朴絵(かわいい絵)などについて書かれていて、興味深かったです。かわいい絵はまさに現代の漫画や様々なキャラクターに結び付きます。

文章も読みやすく日本美術の本質的な流れが分かりやすく書かれていて、芸術&読書の秋にぴったりの本でした。

日本美術の核心 周辺文化が生んだオリジナリティ (ちくま新書 1633) [ 矢島 新 ]

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日本美術をひも解く〜東京藝術大学美術館

現在開催中の「日本美術をひも解く〜皇室、美の玉手箱」展に行ってきました。8月6日から9月25日まで開催しているのですが、前後半で展示内容が変わるため、9月の展示を観に行ってきました。

東京芸大美術館で開催されているのですが、その日は丁度芸大祭も行われていて、上野がとても混んでいました。芸大の入口には行列が出来ていてビックリ。と思ったら、「美術館の方はこちらにどうぞ」と言われ、すんなり入場できました。あの列は芸大祭に入場する方の列だった…。チケットを購入するのに少し並んだので、オンラインで買えば良かったと後悔しつつ、10分程度並んで購入し、早速会場へ。

結構混んでいて、教科書でお馴染みの国宝「蒙古襲来図」や伊藤若冲の「動植彩絵」など(こちらも昨年国宝になりました)は展示物の前に行くのに少し時間が掛かりました。今回はその伊藤若冲の「動植彩絵」が観たくて行ったのですが、人に負けてしまい、へばり付いてガッツリ見られなかったのが残念。一部が原寸大で印刷されている若冲の図版「100%若冲」をよく見ているのですが、どうしても若冲は細かい技法が魅力なので近寄ってじっくり細かいところまで見たくなってしまうんですよね。絵の目の前に行くのにメゲて人混みの後ろから絵全体を視界に入れると、印象が若干変わります。細部を見ていると、神経質なまでに緻密で若冲の緊張感が感じられるのですが、全体を見ると、穏やかで静的な印象を受けました。

若冲を見に行ったのだけれども、1番のお気に入りは、やっぱり(?)岩佐又兵衛「をぐり(小栗判官絵巻)」でした。一部しか見られないのがとても残念なぐらい面白い絵でした。江戸初期の絵画には珍しい陰が描かれ、建物も人物も細部にまでこだわって描かれていて興味深かったです。原寸図版『100%又兵衛』を作ってくれないかな。でも岩佐又兵衛はまだマイナーな画家なんですね。この作品にはそんなに人が群がっていなかったのでじっくり観られました。良いのか悪いのか…。

東京藝術大学美術館公式HP

水木しげるの妖怪 百鬼夜行展

美術展レポートの続きです。実は一番行きたかった、六本木ヒルズ東京シティビューで開催中の「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展」をご紹介します。水木しげるは浮世絵や日本画の百鬼夜行に影響を受けていて、正統的な日本画の妖怪画家としての位置付けが出来るのではないか、というテーマでの美術展で、大変面白かったです。

歌川国芳の「相馬の古内裏」の髑髏、北斎の百物語「小岩さん」が元になっているイラストも。

入ってすぐには、スマホを使ってVRの妖怪を楽しめるスペースがあります。子供連れが多かったのでイベントとして良い企画だと思いました。アプリのダウンロードにちょっと時間がかかりましたが、その間にブロンズで作られた妖怪たちをスマホで撮影。アプリがダウンロードできたらブロンズの妖怪たちの周りや窓際でVR妖怪達を探します。妖怪を見つけるのに手間取ったりして、見つけたらカシャリと撮影。子供達に混じってイベントを堪能しました。

こなきジジイ
周りにVR妖怪が隠れているかも?

その後は水木しげるの生い立ちと青春時代の経験から妖怪に興味を持った経緯が漫画の展示と共に説明されます。でっかい「ぬりかべ」も出現!

ぬりかべの後からは、日本画や浮世絵に出てくる妖怪と、水木しげるの妖怪が並べて展示されていて、そのルーツが明らかにされます。もともと、百鬼夜行も浮世絵も大好きな私としては一番楽しみにしていたスペースです!

ただ単に、昔の絵画を模して漫画を作っていた、と言うのではなく、それを水木しげるの世界観にリメイクして作品にしている。また、妖怪だけでなく、その背景画も物凄く緻密に描かれていて、この人はどんなに絵を描くのが好きだったんだろう、と感激してしまいました。この背景を一枚の風景画にしても楽しめると思います。また、完全に水木しげるのオリジナル妖怪で古い絵画にはない妖怪たちも沢山います。こちらも見応えがあります。

「百鬼夜行」は古く、平安時代から説話や絵画として描かれています。昔からいろいろな姿になりながら、よくわからない存在、不気味で怖い存在としてバケモノは人々に恐れられました。現在も夏になると妖怪の本が本屋さんに並んだり、テレビや映画でもホラーものが増えたりしますが、人間誰しも、「そんなものいないよね」と言いつつ妖怪やお化けを心の中で恐れているもの。水木しげるの漫画はそんな日本人の心の中にいる妖怪をちょっと怖く、ちょっと可愛く、ちょっと面白く描いたことで世代を超えて愛され続けているのでしょう。私も子供の頃、ちょっと怖く、ちょっと可愛く、ちょっと面白いゲゲゲの鬼太郎が大好きでした。

「水木しげる展」と言うことで、子供連れが非常に多かったです。「ゲゲゲの鬼太郎」のイベントを期待して来たんだろうな〜と思いますが(ヒルズの方では「ドラえもん」がたくさんいるし)、前半以外は所謂子供向けイベントではないので、後半はどんどん親子連れに抜かれます。正直、じっくり1点ずつ絵を見ている人はほぼいなくて、とても残念!と言うか、勿体無い!!絵の解説も丁寧にしてあるし、日本画を知らない人にも分かりやすい展示だと思うのに、、、。原画を間近で見れるなんて滅多にないから、親子連れに白目で見られても、ガッツリ絵を楽しんできました。是非、絵画好き、日本画好きの人にも見て頂きたい美術展でした。

お土産のカタログと、悪魔くん

余談ですが、絵を見ていたら、背後から、カランコロンと下駄の音が、、、。振り向くと、全身鬼太郎の少年が!でも鬼太郎も目玉親父もいなくて残念だったね。

そして、森美術館含め、こちらのイベントは22時まで開催しているので、大人だけの場合は夜行った方が良いかな〜と思いました。百鬼夜行だしね。

水木しげるの妖怪 百鬼夜行展

六本木ヒルズ東京シティビュー公式HP : アクセス・六本木ヒルズ森タワー52階 東京メトロ日比谷線六本木駅徒歩3分 入場料はイベントにより異なります

歌枕展〜サントリー美術館

夏休みですね!もう8月も後半ですけど。この夏は久々に海など行って、史跡など回ってリフレッシュしたいと思っていたのですが、コロナが再燃してしまったので、そんな気分は消し去られ、結局遠出は諦めてしまいました。

その代わり今月は久しぶりに美術展に行ってきました。都内に出かける用事に合わせて行ったので、曜日と時間的に行ける美術展が限られてしまったのですが、今の私では選ばなかったような美術展にも行けて良かったと思います。

都内に出掛ける日は、月曜日だったのですが、公立の美術館博物館はほとんどが月曜日は休館日です。なので、月曜日に開館している美術館はどこか調べてみたところ、六本木にある美術館は火曜日が休館日になっていました。ぐるりと美術館巡りができるように、休館日をあえて火曜日で合わせているのですね!なんて賢い!

六本木には国立新美術館森美術館森アーツセンターサントリー美術館21_21DESIGN SIGHT富士フィルム写真歴史博物館があります。すっかり六本木はアートな街になったのですね。

休館日だけ出なく、時間も比較的遅くまで開館しているのも助かります。森美術館、森アーツセンターは夜10時まで開館です!仕事帰りでも飲んだ後でも行ける!さすが六本木、森ビル。

この日は、森美術館、東京シティービューで開催中の「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展」とサントリー美術館で開催中の「歌枕」展に行ってきました。

まずは「歌枕展」からご紹介します。高級店が並ぶ東京ミッドタウンガレリア3階にあるサントリー美術館は木を多用した美しい美術館。高級感あります。

「歌枕」について勉強を。古来から日本人が愛した和歌。その中に繰り返し詠まれた風景が長い年月をかけていつしか特定のイメージが定着して行きました。たとえば、ススキ、といえば武蔵野、のように。そのように和歌によって特定のイメージが結びつけられた土地を「歌枕」と言います。その歌枕は和歌の中だけでなく、絵画や工芸品にも沢山描かれました。それらの作品を展示した美術展です。

平安時代から江戸時代までに製作された、和歌、絵巻、屏風、掛軸、硯箱や陶磁器、着物、櫛や簪などが展示されています。

昔は気軽に旅行などが出来なかった時代、絵画や工芸品を見ながら、思いを馳せていたのでしょうか。古くから日本人が感じた風景は現代を生きる自分にも染み込むものがあります。勉強不足で和歌はよく分からないので、絵画や工芸品の方が伝わってくるものがあります。もちろんこのような美術品(当時は日用品)を持てたのは貴族階級、武士階級、もしくは大商人くらいでしょうが、一つ一つ丹念に描かれ、また作られた作品には作者の思いを感じます。日本人として癒やされた美術展でした。

歌枕展

https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2022_3/

日本画の虎

今年も半年が過ぎようとしていますが、今年は寅年ですね。正月前後にしか毎年の干支を意識しないので数ヶ月するとすっかり忘れてしまいます、、、。今年は寅年ですが、グローバル・タイガー・サミットが開催され、絶滅危惧種であるトラの保護について国際的に話し合われるそうです。

日本に虎は生息していませんが、古くから虎の絵は親しまれてきました。今でも、強い虎のイメージそのままに厄除けとして鶴や亀と同様に縁起物の一つです。武士の屋敷では来客者を威嚇するためにも使われたようです。

円山応挙 「虎嘯生風図」天明6年(1786) 絹本着色
東京国立博物館蔵
虎は風を操るといわれているそうで、背景の
カーブは巻き起こした風でしょうか。
ふさふさの毛と柔らかそうな体。モフモフしたいですね。
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
熊代 熊斐 「虎図」宝暦12年(1762) 紙本著色
九州国立博物館蔵
南宋画の先駆者、熊斐の作品。
ふさふさの毛とくりくりの目が可愛いです。
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

虎の実物を見ずに描かれた日本画の虎はちょっと微妙です。写実的絵画が得意な応挙でさえ、微妙です。日本人にとっては空想上の動物と同じだったのかもしれませんが、猫科の動物と知っていたから、ちょっと猫っぽく可愛くなってしまったり、、、。空想上の動物の龍は大体かっこいいですけどね、、、。でも見ることが出来なかったからこそ、絵師による工夫がされていて、色々な虎がいるのが面白い。個性が発揮されています。いろんな顔していて、迫力があるものから、可愛い虎まで、こんなコがいた!って感じで楽しめます。

伊藤若冲 「虎図」 絹本着色 一幅 プライスコレクション 
朝鮮の虎図を模写した作品
朝日新聞出版 「若冲への招待」より
伊藤若冲 「虎図」 紙本墨画 一幅 石峰寺蔵 
可愛い虎。動植物を愛した若冲の優しさあふれる作品。
実物を見たらどんな虎を描いたのでしょう。
朝日新聞出版 「若冲への招待」より

トラは元々アジアに広く分布している野生動物です。インド、東南アジア、中国、朝鮮半島からロシアまで生息域がありますが、ここ100年で激減して、絶滅危惧種になってしまいました。と言われても、日本とは関係ないんじゃない?とは認識不足でした。虎は漢方薬として使用されていたため、近年まで密輸されていたようです。昔、虎の敷物なんてものもありましたよね。

渡辺崋山 「猛虎図」 天保9年(1838)絹本墨画淡彩 
平野美術館蔵
田原藩の三千両もの借財の代わりに三河国前芝の加藤家に送られたと伝えられる「三千両の虎」と呼ばれた作品。
新潮日本美術文庫「渡辺崋山」より

もちろん世界的に現在はトラの狩猟は禁止されていますが、密猟は今でもどこかで行われているそうです。ということは高値で買い取る商人がいるということ。そしてそれを買う客がいるということです。自然環境の変化も激減の一因ではあるようですが、ほとんどが人間の仕業です。ということは人間が救うことも出来るわけですね。地道な保護活動をされている現地の人には頭が下がります。

詳しくはWWFのHPをご覧ください。

渓斎英泉 「月に虎」19世紀 大短冊判 錦絵
虎は夜行性なので月とともに描かれることが多いそうです。
東京国立博物館蔵
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
葛飾北斎 月みる虎図 天保15年(1844年)
紙本一幅 島根県立美術館蔵
85歳晩年の作品。可愛い夢見る虎ですね。
新北斎展(2019年)カタログより

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江戸の絵師 渡辺崋山

最近、美術館に行っていないせいか、歴史書に寄りすぎて美術書をあまり見なかったせいか、禁断症状(?)になり、名画集を眺めていまして、すごい絵は沢山ありますが、その中でも特異な存在、渡辺崋山をご紹介します。渡辺崋山は1840年台前半に活躍した絵師です。

寛政5年(1793年)田原藩(現在の愛知県渥美郡)の藩士の長男として生まれました。父が江戸詰だった為、江戸の半蔵門外にあった田原藩上屋敷内の長屋の中で生まれたそうです。武士の長屋もあったの?とちょっとびっくり。士農工商からすると一番身分は上ですが、経済的には商人の方が豊かだったかもしれません。父が病弱だったこともあり、武士ではありますが、生活は厳しく、そのために画業に励み、絵師としても活躍していました。

師匠は町絵師の白川芝山、その後、金子金稜と谷文晁に支持しています。年齢的には北斎よりも33歳年下です。と言っても北斎の影響がある絵には見えませんね。

鷹見泉石像 国宝 渡辺崋山筆 天保8年(1837) 絹本着色 
国立博物館蔵
国立博物館でこの作品を見てショックを受けました。
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

渡辺崋山といえば肖像画、というくらい名作が多く、この時代にこんな作品を描いた人がいたのかと衝撃を受けます。日本画よりも西洋の水彩画に近いのでは?と思ってしまいます。デッサンも多く残っているようですが、これも江戸の人が描いたとは思えない。リアルで、柔らかく美しいタッチに心洗われます。西洋画に親しんでいる現代人には彼の作品は親しみやすいかもしれませんね、、、。

ヒポクラテス像  重要美術品  1幅  天保11年(1840)  
絹本墨画淡彩
 瞳の輝きとかまるで油絵のようです。
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

もともと武士の身分で絵師になった人は結構いますが、渡辺崋山は本業はキッチリ武士です。幼少期から藩主の御伽役を任されるのに始まり、田原藩の役職をこなしています。儒学も学び、できる人だったようです。俗に「三千両の虎」と言われた「猛虎図」は藩の借財の代わりに渡されたそうで、1枚の絵で三千両の借金チャラ。すごいな。そんな人だったからでしょうか、身に覚えの無い罪で投獄、謹慎処分になり、最後は自決しました。天保11年(1841年)49歳のことです。ちなみにこの時、北斎は81歳。北斎はこの後もバリバリ肉筆画や北斎漫画なんかを描いていたのを思うと、崋山ももっと名作を残せただろうに残念です。

市河米庵像  重要文化財 1幅
縦:124.2cm 横:59.1cm
京都国立博物館蔵
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
市河米庵像の下絵です。
江戸の絵師と思えない、、、。
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

新撰銘酒寿語禄

ざっと75個もの酒樽が並んだこちらの絵は江戸時代末の江戸で愛された銘酒双六です。日本酒老舗探しには格好の資料!と言うことで調べてみました!

双六なので、右下の樽が「振り出し」。中央の、「一御酒百駄」が「上がり」です。江戸時代の双六は、どうやって遊ぶの?ほんとにこれで遊んでたの?って思いますが、とりあえず、デザインとしてこの双六の形態が好まれたことは確かなようですね。

新撰銘酒寿語禄
江戸時代末期 作・梅素亭玄魚
縦71.0㎝×横75.0㎝

右端の提灯に「下り酒問屋」左の提灯には「地回り酒問屋」と書いてあります。下り酒は、関西地方から船で下って江戸に入る酒、地回り酒は江戸近郊の陸路で江戸に入る酒の事です。上に松飾りがあるので、正月に酒問屋が宣伝用に配ったのかもしれません。

この75樽の中から、現在も残っている酒蔵はどれくらいあるのかな〜と調べてみました。双六なのでどうやらこの樽のは酒の名前ではないのかも?というものもあるし江戸の文字は読めないし、苦戦しました。ネットでの検索なので定かではありませんが、22銘柄、見つけました。

一番上右の「正宗」と「江戸一」は1625年創業の桜正宗の銘柄です。「正宗」は清酒の代名詞でした。左から3列目の「旗頭」は文政元年1818年創業の黄金色酒造と思われますが、こちらは焼酎なんですね。焼酎も美味しい。その隣「龍神」は群馬県の龍神酒造と思われますが、蔵元の詳しいことが分からなかったのですが、お酒は美味しそうです〜。

上から2段目右から3列目の「寿海」は沢の鶴で1840年頃から作り続けている銘柄だと思われます。『♪さわ〜あの〜つ〜る〜』のCMでお馴染みですが老舗だったんですね。その隣の「日本橋」(橋が絵になってます)は1805年創業の横田酒造。埼玉県です。「日本橋」の銘柄は創業者が日本橋の酒問屋で働いていたところから付けられました。左から4番目「白鹿」は寛文2年1662年創業辰馬本家酒造です。江戸時代の看板に「宜春苑 長生自得千年寿 白鹿」と書かれていたそうですが、ここにもそのままのコピーが書かれています。

上から3段目左から4列目の「福寿」1751年創業の神戸酒心館で13代にわたりこの銘柄を作り続けています。すごい!同じく3段目の右から2番目「高砂」は1830年創業の富士高砂酒造と思われます。

4段目、一番左「岸の」は1789年創業の井上酒造と思われます。左から2列目は剣菱ですね。このマークは目立ちます。企業マークの重要性を感じます。現在も現役バリバリですね。その剣菱の一つ飛ばして右は「相生」は岩手県の1829年創業、わしの尾酒造。

5段目中央、上がりの下の「白雪」は天文19年1550年創業の小西酒造です。清酒発祥の地、伊丹にあり、現存する最古の清酒銘柄です!隣の「丹頂」は沢の鶴にこの銘柄のお酒があるので、沢の鶴でしょうか。その隣「」は寛保3年1743年創業のおなじみ、白鶴です。さらにお隣、右から2番目「鶴齢」(鶴が絵です)は享保2年1717年創業の青木酒造。コメどころ新潟県魚沼です。

6段目右から2列目は寛文5年1665年創業の盛田だと思われます。銘柄は読めませんでした、、、。

7段目一番左「雲龍」は天保10年創業の山星酒造と思われますがこの銘柄はもう作られていないかも、、、。「末廣」は嘉永3年1850年創業の末廣酒造。福島のお酒の飲み比べの時にも紹介しました!

8段目、一番下の段の左端「志ら梅」は岩手県の元禄時代創業の志ら梅酒造と思われますが、詳しいことは分かりませんでした。中央の「力士」は寛延元年創業の釜屋。埼玉県の蔵元で、現在でも「力士」の銘柄は販売してます。その隣「万上」はあのマンジョウ本みりんの万上です。文化11年には販売され大人気になりました。みりんは発売当時は甘いお酒として飲まれていましたが、江戸中期から料理に使われるようになりました。1925年に野田醤油(現在のキッコーマン)と合併され、現在でもマンジョウ本みりんは製造販売されています。

他にも現存する蔵元があるかもしれませんね。あと、読み間違いとか、同じ銘柄で蔵元が違う、とかあったらごめんなさい。そして、江戸の人は本当、酒好きですね〜。とりあえず、あとは味見だけ!どこから試そうか迷います!!

遊郭について〜その6〜岡場所

吉原遊廓は政府公認の遊郭でした。しかし吉原以外の政府非公認の遊里(売春街)も多数存在していました。風紀が乱れることから幕府が吉原1箇所に集めて取り締まろうとしたようですが、実際には幕府の取り締まりは緩く、各所に「岡場所」と言われる遊里が存在していました。この「岡」は非公認という意味で、「岡っ引き」の岡も同様で非公認だったそうです。

ちょっと話は外れますが、普段から庶民に対する幕府の取り締まりは緩かったようで、幕府から何か法度が出ても「三日ぐらい守っていればいい」なんて言う、「三日法度」なんて言葉がありました。

吉原について〜その5〜吉原のしきたり」で詳しく説明していますが、吉原は遊女に階級があり、しきたりも多く、何よりも高級なので庶民はなかなか通えない場所でした。そうなると、街中にある岡場所が繁盛します。一晩を四つに区切るなどして多くの客を取っていたようです。枕代は五十文や百文で、現代だと数千円といったところでしょうか。吉原だと数十万は掛かりますから、庶民でもかなり気楽に通えた場所なのでしょう。

最盛期には200ヶ所、数千の遊女がいました。深川と、品川、新宿、板橋、千住の四宿が代表的ですが、四宿は江戸市外なので、江戸市中では深川が一番繁盛し、吉原のライバル的な存在でした。深川には10ヶ所点在して岡場所があり、宴会も開かれ、深川芸者(辰巳芸者)が有名になりました。(深川芸者については吉原芸者VS柳橋辰己芸者→深川芸者 をご覧ください。)

「深川樓」鈴木春重 江戸時代・18世紀 中判 錦絵
二人が遊女なのかちょっと分かりませんが深川の宴会に出向く美女。
宴会をしている男が障子の穴から覗いているのが、
この後の展開を暗示しているようです。
右の女性だけ草履を履いているのは何故でしょう??日本人だよね〜。
と思ったら、吉原でも花魁は室内用の草履を履いたそうです。
スリッパみたいな感じですね。ファッション的な意味でしょうか。

その他に、寺社地内は町奉行の取り締まり外になるので大きな寺社の門前水茶屋には遊女がいました。バチ当たりだな〜、と思いますが、寺と神社が同じ敷地にあるし、さらに門前に水茶屋があって、江戸の人って、、、。幕末に日本を訪れた外国人が日本は性に奔放だ、と言っていましたが、性がタブー視されるようになったのは明治以降にキリスト教的(西洋的)な考えが普及してからなので、本当、艶っぽい話題には事欠きません。

『実見録画』より「長家女郎に船饅頭」長谷川深造 幕末期 
長家女郎は下級の遊女のこと。岡場所は長屋風の作り。
昔の時代劇にあるように、「お兄さんちょっと寄って行きなさいよ」と声をかけていました。
船饅頭は船で客を取る遊女。
この絵では一つの船にたくさん遊女を乗せて、客が待っている船に出向く時の様子。
遊女の船に客を呼ぶこともある。
川と水路が張り巡らされた江戸で船は重要な乗り物ですが、こんな所でも活躍。

寛政年間には53ヶ所、天保年間には28ヶ所の岡場所がありましたが、寛政と天保の改革で厳しく取締りがあり、遊女は吉原に引き渡されて市内の岡場所はなくなりました。

岡場所以外に、街角で立って客を呼ぶ「夜鷹」や船に客を呼ぶ「船饅頭」、尼(比丘尼)の格好をした「比丘尼」(そのままの呼び名ですが、、、)などの私娼も多くいました。

江戸時代の日本橋絵巻「熈代勝覧」

「熈代勝覧(きだいしょうらん)」複製絵巻を見に行ってきました文化2年(1805年)神田今川橋から日本橋までのおよそ七町(760m)を描いた絵巻物です。ベルリン国立アジア美術館収蔵の作品ですが、東京メトロ銀座線、半蔵門線「三越前」駅、地下コンコース内に約1.4倍に拡大した複製画を展示しています。

東京メトロ銀座線、半蔵門線「三越前」駅 地下コンコース内
(日本橋三越本店本館 地下中央口付近)
全体サイズ 長さ16.8m×幅1.53m原画(長さ12.3m、幅0.43m)の絵画部分(長さ10.55m)を約1.4倍に拡大
地下通路ですので誰でも気軽に見れます。

こちらは洛中洛外図のように詳細に江戸の様子が描かれています。作者は不明ですが、浮世絵師のタッチなので、当時の有名な浮世絵師の作品のようです。浮世絵と言ってもパースも比較的しっかりとしていて人物描写も漫画のようで現代人でも見易いです。

画質が悪く見にくくて申し訳ないです(>_<)
地上に上がると現在の日本橋なので、是非見に行ってみてください。

文化2年当時の1軒1軒の商店の様子や、さまざまな仕事をしている職人、町人、武士、屋台、ボテ振り、籠屋などなど、犬もたくさん描かれ、江戸の繁栄期の歴史的資料としての価値とともに、風景は精密に、人物は一人一人が生き生きと描かれていて絵画としても素晴らしい作品です。

江戸は女性が男性の半分しかいなかったそうですが、こちらの絵画も圧倒的に男性が多いですね。大勢の人が集まり、日本橋のたもとの魚河岸はラッシュ並みの混雑です。これは喧嘩も起こるかも、ってしっかり喧嘩してる男の人も描かれています。

小学館から熈代勝覧の本が出版されています。
詳しく説明されているので鑑賞用としても楽しいですし、
江戸文化を簡単に学ぶことも出来ます。

『熈代勝覧』の日本橋 (アートセレクション) [ 小澤 弘 ]

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感想(5件)

表通りの2階建ての瓦屋根の商店がズラっと並んだ街並みはきっと美しかったんだろうな〜と想像します。現在川越にも明治時代の建物ではありますが、蔵造の街並みが残っていますが、駅からだんだんと近いてビルの先に蔵造の建物が見えてくると、良い意味での違和感があり、ワクワクします。元々はそのような風景が江戸の町だった訳ですね。

ヨーロッパの古い街並みで、同じ色の壁と屋根の、お伽話に出てくるような可愛らしく美しい街が残っておますが、それと同じように、江戸も美しかったに違いないと思います。

こちらの作品は「熈代勝覧 天」とあるので、「地」もしくは「地・人」と、2巻ないしは3巻の作品だと思われていますが、残念ながらまだ発見されていません。ドイツでこの作品が見つかった時も始めは中国美術だと誤解されたそうなので、ヨーロッパにあった場合、よくわからない絵画としてどこかの個人宅の倉庫に眠っているかもしれませんね。でも日本にあったら空襲などで焼けてしまった可能性もあるので、ヨーロッパにあったほうが、見つかる可能性は高いような気がします。

江戸時代の本を読んでみよう!

最近、江戸の本を読んでおります。当時の本はもちろん持っていないし、もし持っていても、昔の仮名遣いは読めないので、再出版された本ですが、言葉はそのままなので、半分理解できていないところもあって読むのに時間もかかりますが、結構、わかります。学生の時に習った古文よりも江戸の言葉の方が現代語に近いですね。さらに現代語訳が併記されている本だとかなり楽です。ちなみに漢文で書かれている作品は完全にお手上げです。学生時代にしっかりと漢文の勉強をしておけば良かった、、、。でも漢文で書かれた本は完璧に現代語訳されているものがほとんどだと思います。

内容的には、ライトノベル的な感覚で読めます。ただ、江戸の人との感性の違いや知識、流行も違うので意味が分からない事も多々ありますが、200年以上前の人も同じ様なことを言って、同じ様なことで笑って怒っていたんだな、と思うと、江戸を身近に感じます。

まだ数冊しかトライしていませんが、初心者に楽しく読めたのは妖怪の話です。絵も面白いし、妖怪とかお化けとかは時代を超えて人気ですね。

中村が初めて作ったCGは式亭三馬(安永5年1776年〜文政5年1822年)の『浮世風呂』(文化6年1809年に前編が出版)からインスパイアされた作品だったので、『浮世風呂』を読みました。

溢れそうな本棚。図書館みたいな本棚に憧れますが、、、。
中央の右の黒い本が式亭三馬の浮世風呂と浮世床。
昭和5年出版の本です。最近の出版じゃあ無いですね、、。
でも句読点や改行があるので読み易い。

こちらのハードカバーは昭和初期に出版されたのですが、句読点もあり、改行してくれているので読みやすいです。現代語訳はないのですが、本文の上に注釈があるので大体理解できます。それでも、所々意味不明ですが、英語の本を読む時も、分からないところは飛ばしていいから、量を読め、って聞いたことがあるので、あまり気にせず読むことに。

賑やかな湯屋の様子を描いた挿絵です。男湯のはずなのに中央に女の人がいますね。
混浴禁止だったはずですが、江戸以外はほとんど混浴だった様で、
子供をあやすお母さんが脱衣所にいても周囲の人は誰も意に介さず。
話の中でもお父さんやご主人を呼びに男湯に女の人が平気で入ってきます。
ちょっとびっくり。今では考えられない。初めは私の理解力不足かと思いました、、、。

『浮世風呂』は江戸の湯屋(お風呂屋さん)でのごく日常の出来事を会話形式で短編の話にしていて、江戸の人たちの生活が垣間見れる作品です。どこの家に子供が産まれた、とか、子供連れのお父さんが熱い湯を嫌がる子供をあやしながら一緒に湯に浸かっている様子、とか、女湯では、化粧の濃いのは良くない、薄化粧の方がいいよね、なんて会話していて、今と変わらないよな〜ってしみじみ思います。お風呂で起こる出来事はちょっとした喧嘩や湯当たりで倒れちゃう、といったほのぼのとしたエピソードばかりです。江戸時代は現代と違う不条理もあったと思いますが、のんびりした時間を過ごしていて憧れます。

二階建ての湯屋の構造が分かるCG。左側が男湯、右が女湯。
男湯からのみ2階へ上がれました。2階は庶民の社交の場。

温泉でなく、スーパー銭湯でもなく、普通の銭湯に行ったのはいつでしょう、、、。もう少しコロナが収まったら浅草あたりの昔ながらの銭湯に行きたいものです。