CGで見る日本橋駿河町三井越後屋呉服店

CGで見る日本橋駿河町三井越後屋呉服店

駿河町(するがちょう)は現在の日本橋辺りです。現在その地名は失われ東京都中央区日本橋室町となっています。(少し話は江戸から逸れますが、古い地名をなぜ変えてしまうのでしょう。地名には歴史があるのに、再開発とかでその地名まで変えてしまうと、その土地に対する愛着というか思い入れが薄れてしまうのに、、、といつも思います。)この場所から富士山(駿河国)が美しく見えたことから駿河町となったようです。駿河国は徳川家ですね。ということは家康の住う江戸城からも当然見えたわけで、毎日故郷を眺めていたのでしょうか。

一日三千両の落ちどころ 昼の駿河町

この作品の視点は現在の室町二丁目の交差点、千葉銀行がある場所から、三井住友信託銀行と三越百貨店を眺めています。左側が三井越後屋両替店、右側が三井越後屋呉服店です。現在とは位置が逆です。さすがの大店、今も当時も一等地に、大きな店構えです。

ご存知の通り三井越後屋は現在の三越百貨店です。当時の高級呉服店は客の屋敷に出向いて商売していましたが、三井呉服店は店で反物を選び、裏で職人がすぐに着物に仕立てました。江戸時代でも、スピード感があり、手軽に買い物できるのは喜ばれたんですね。また、当時はいわゆるツケでの支払いが主流だったのを現金で商売をしました。ツケで払うと金利がかかり、高値になるので、商品と交換に現金で支払えばその分安く済みます。また、反物は1本丸ごと売るのが当たり前でしたが、反物の切り売りを始めたのも越後屋。革命的な商売を始めてここまでの大店になったわけです。2階の窓の格子窓も手が込んでいますし、店の前に立っている看板も大きく、繁盛の証です。

越後屋の手前の小屋は右が木戸番、左が自身番です。木戸番はその名の通り、町の入り口の木戸を開け閉めする人が詰めている場所でしたが、徐々に木戸を閉めることがなくなり、雑貨屋などを営んでました。自身番は街の有力者が詰めて街の管理(自治)をしていましたが、その後、人を雇って管理させていました。交番の前身になりました。

左端にいる、樽を下に置いて何やらやっている男の人はべったら漬け売りです。べったら漬けは東京(江戸)の名産品です。大根の麹漬けで甘しょっぱくて、乳白色の柔らかい漬物です。周りに甘酒の麹が付いていて、それがベタベタするので「べったら」漬け。子供の頃大好きでした!思い出したら食べたくなってきちゃった。

歴史CG作家中村宣夫HP
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江戸城、日本橋、長屋、吉原などなどご覧いただけます。

3DCGで江戸橋から望む日本橋と江戸城

3DCGで江戸橋から望む日本橋と江戸城

歴史CG作家中村宣夫の作品江戸橋から見た日本橋です。奥の橋は一石橋。橋のさらに奥には江戸城が見えます。日本橋を右に行くと越後屋(現在の三越百貨店)、左に行くと銀座方面です。

江戸城の背後には富士山が望めますね。富士山バックの江戸城なんて、当時は美しい風景が見られたのでしょう。残念ながら現在の日本橋からは高速道路と銀座のビル群しか見えません、、、。
美しい木造の日本橋。当時の大工さんの技術の高さがうかがえますね。江戸東京博物館で実物大で再現展示されていますが、これが東京のど真ん中に掛っている姿を見てみたいものです。
日本橋は五街道の起点で、ここから東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道が伸びていました。現在も東京の中心ですが、5つもの街道の始まる場所ですから、そりゃあ、経済的に発展するのも当然です。常に賑わい、江戸っ子の誇りでもありました。

江戸城の天守風に見えるのは実は現存する富士見櫓です。この作品は1800年頃の江戸の様子なので天守は存在せず、富士見櫓がその代わりを果たしていました。ちなみに、天守がかつてあった場所は、もう少し右側、日本橋の右のたもとを上に見上げた辺りだったそうです。
巨大な天守は壮大で威厳があって、徳川の力の象徴でした。

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