とらやの羊羹

老舗の和菓子といえば、の虎屋さんの羊羹を先日頂いたので数年ぶりに食べました。さすが、美味しいですね。甘すぎず、でもしっかりとした餡子の味がして、飽きが来ない味でした。最近羊羹は非常食としても注目されていますが、賞味期限が1年間もあってビックリです。まあ、虎屋の羊羹を非常食にする人はいないと思いますけど、、、。

虎屋の創業、室町時代後期、ってかっこいい!色々な文献に虎屋のことは書かれているようですが、浮世絵として残っていないのかな〜と思いましたが、なかなか見つけるのは大変なようですね、、、。

せめてお菓子を食べている浮世絵はないものかと探してみました!

「江戸流行菓子話船橋」天保11年 渓斎英泉(江戸商売図会(中公文庫)より)

こちらの浮世絵は深川の船橋屋織江です。江戸に京菓子の羊羹が入ってきたのは寛政年間(1789〜1801年)頃で、京菓子の羊羹を江戸っ子好みの味にして大ヒットしたそうです。絵からもその繁盛ぶりが伺えます。

北斎の作品も見つけました! 

「母子と梅の花餅」2019年新・北斎展のカタログより

母子と梅の花餅 宗理画 寛政9年(1797年)津和野藩伝来摺物 大小暦狂歌摺物

摺物は私的に出版されたもので一般の人が購入するものではなく、何らかの目的のために配布するために作られたものです。津和野藩の藩主、亀井家に残されていたものなので、藩主からの依頼で作られたのでしょう。右下の四角い重箱に入っているのは花餅です。お正月などのお祝いに食べられる、餅でできたお菓子です。そこに数字が書いてありますが、それと、周りの赤い花が暦を表しています。狂歌も上に書かれていますね。

梅の花の形をしたお菓子に数字が書いてあります

お母さんが子供をあやし、楽しそうな赤ん坊。子供の成長を願う優しい絵です。北斎30代後半の宗理時代は琳派に傾倒し浮世絵から離れていた時期で画風が繊細でこの絵のテーマにぴったりとマッチしています。

冨嶽三十六景 尾州不二見原

冨嶽三十六景 尾州不二見原

北斎は大好きですが、その中でも、この大樽の間から微かに見える富士山を描いた「尾州不二見原」はマイベストの1つです。

当時、高い建物が無かったのでかなりの広い地域から富士山が見えました。どこにいても何をしていても富士山が静かに鎮座して庶民の生活を見下ろしている。富士山は不思議なパワーがあります。富士山が見れた日はちょっとラッキーな感じがして、富士信仰をしていた江戸の人たちに共感します。

尾州は尾張なので現在の愛知県名古屋市辺りから富士山を眺めた景色のようですが、実際名古屋からどのように見えるのか、、、。私は関東からしか富士山を眺めたことがないので分かりませんが、北斎が実際にこの地で描いたわけでは無いようなので、実際見れる風景と同じだったかは甚だ疑問です。

ですが、ここは北斎の絵画の世界です。

北斎の絵画の魅力の一つは構図の面白さ。こんな大きな樽本当にあるの?ってサイズの樽からちょこんと見える富士山。望遠鏡のレンズを覗いたみたいな、でもそこだけクッキリと切り取られて富士山が主役と分かります。また遠景と近景のコントラスト。神の山である富士山と真剣に樽を作る職人。その職人の表情は穏やかで職に対する愛情とプライドが感じられます。それは北斎が職人を尊敬している証にも思えます。穏やかな日常の1コマなのにどこか躍動感も感じられるのは北斎絵画の構図によるものだと思います。

剣菱

最近次男と晩酌をしておりまして、、、日本酒が飲みたいというので「剣菱」買ってきました。

お酒は好きですが、今まで日本酒は苦手で、あまり飲んで来なかったのでどの銘柄が美味しいか、とか分からなかったのですが、流石に「剣菱」は有名なので聞いたことがあるし、一度飲んでみよう、と購入しました。

500年もの歴史を持つ「剣菱」。浮世絵にも描かれていて、江戸の人にも愛飲されていたようですね。そのお味は、美味し〜!やっぱり美味しくなきゃ、500年も続かないよな〜、間違いない。意外に飲みやすくて日本酒って美味しいんだ〜と実感。甘すぎず、辛すぎず、ちょどう良い感じ?(語彙力が、、、ソムリエにはなれないな、、、。)日本酒って甘いのから辛いのまで味に幅がありますが、剣菱はバランスがよかったです。(単なる好みかもしれませんが)

江戸の人たちも美味しいもの飲んで、江戸前の新鮮で美味しい魚を食べて、、、羨ましい〜!

現在は兵庫県神戸市に剣菱酒造の蔵元がありますが、江戸時代には、伊丹で作られていたそうです。そこから江戸まで運ばれたんですね。当時の流通が発達していた証でもあります。歌川広重や渓斎英泉の浮世絵に剣菱の酒樽を担いで日本橋を渡る様子が日本橋の風景として描かれています。その酒樽は小売りの酒屋に運ばれ、徳利や角樽などに移して売っていました。江戸ではそう言った酒屋を「枡酒屋」と呼んでいました。当時の酒屋を描いた読本にも剣菱のマークの入った樽が描かれています。

喜多川歌麿「名取酒六家選 兵庫屋華妻 坂上の剣菱」(メトロポリタン美術館蔵)

歌麿の浮世絵には名酒として描かれているので、やはり当時から愛されていたんですね。