渡辺崋山

最近、美術館に行っていないせいか、歴史書に寄りすぎて美術書をあまり見なかったせいか、禁断症状(?)になり、名画集を眺めていまして、すごい絵は沢山ありますが、その中でも特異な存在、渡辺崋山をご紹介します。渡辺崋山は1840年台前半に活躍した絵師です。

寛政5年(1793年)田原藩(現在の愛知県渥美郡)の藩士の長男として生まれました。父が江戸詰だった為、江戸の半蔵門外にあった田原藩上屋敷内の長屋の中で生まれたそうです。武士の長屋もあったの?とちょっとびっくり。士農工商からすると一番身分は上ですが、経済的には商人の方が豊かだったかもしれません。父が病弱だったこともあり、武士ではありますが、生活は厳しく、そのために画業に励み、絵師としても活躍していました。

師匠は町絵師の白川芝山、その後、金子金稜と谷文晁に支持しています。年齢的には北斎よりも33歳年下です。と言っても北斎の影響がある絵には見えませんね。

鷹見泉石像 国宝 渡辺崋山筆 天保8年(1837) 絹本着色 
国立博物館蔵
国立博物館でこの作品を見てショックを受けました。
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

渡辺崋山といえば肖像画、というくらい名作が多く、この時代にこんな作品を描いた人がいたのかと衝撃を受けます。日本画よりも西洋の水彩画に近いのでは?と思ってしまいます。デッサンも多く残っているようですが、これも江戸の人が描いたとは思えない。リアルで、柔らかく美しいタッチに心洗われます。西洋画に親しんでいる現代人には彼の作品は親しみやすいかもしれませんね、、、。

ヒポクラテス像  重要美術品  1幅  天保11年(1840)  
絹本墨画淡彩
 瞳の輝きとかまるで油絵のようです。
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

もともと武士の身分で絵師になった人は結構いますが、渡辺崋山は本業はキッチリ武士です。幼少期から藩主の御伽役を任されるのに始まり、田原藩の役職をこなしています。儒学も学び、できる人だったようです。俗に「三千両の虎」と言われた「猛虎図」は藩の借財の代わりに渡されたそうで、1枚の絵で三千両の借金チャラ。すごいな。そんな人だったからでしょうか、身に覚えの無い罪で投獄、謹慎処分になり、最後は自決しました。天保11年(1841年)49歳のことです。ちなみにこの時、北斎は81歳。北斎はこの後もバリバリ肉筆画や北斎漫画なんかを描いていたのを思うと、崋山ももっと名作を残せただろうに残念です。

市河米庵像  重要文化財 1幅
縦:124.2cm 横:59.1cm
京都国立博物館蔵
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
市河米庵像の下絵です。
江戸の絵師と思えない、、、。
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

新撰銘酒寿語禄

ざっと75個もの酒樽が並んだこちらの絵は江戸時代末の江戸で愛された銘酒双六です。日本酒老舗探しには格好の資料!と言うことで調べてみました!

双六なので、右下の樽が「振り出し」。中央の、「一御酒百駄」が「上がり」です。江戸時代の双六は、どうやって遊ぶの?ほんとにこれで遊んでたの?って思いますが、とりあえず、デザインとしてこの双六の形態が好まれたことは確かなようですね。

新撰銘酒寿語禄
江戸時代末期 作・梅素亭玄魚
縦71.0㎝×横75.0㎝

右端の提灯に「下り酒問屋」左の提灯には「地回り酒問屋」と書いてあります。下り酒は、関西地方から船で下って江戸に入る酒、地回り酒は江戸近郊の陸路で江戸に入る酒の事です。上に松飾りがあるので、正月に酒問屋が宣伝用に配ったのかもしれません。

この75樽の中から、現在も残っている酒蔵はどれくらいあるのかな〜と調べてみました。双六なのでどうやらこの樽のは酒の名前ではないのかも?というものもあるし江戸の文字は読めないし、苦戦しました。ネットでの検索なので定かではありませんが、22銘柄、見つけました。

一番上右の「正宗」と「江戸一」は1625年創業の桜正宗の銘柄です。「正宗」は清酒の代名詞でした。左から3列目の「旗頭」は文政元年1818年創業の黄金色酒造と思われますが、こちらは焼酎なんですね。焼酎も美味しい。その隣「龍神」は群馬県の龍神酒造と思われますが、蔵元の詳しいことが分からなかったのですが、お酒は美味しそうです〜。

上から2段目右から3列目の「寿海」は沢の鶴で1840年頃から作り続けている銘柄だと思われます。『♪さわ〜あの〜つ〜る〜』のCMでお馴染みですが老舗だったんですね。その隣の「日本橋」(橋が絵になってます)は1805年創業の横田酒造。埼玉県です。「日本橋」の銘柄は創業者が日本橋の酒問屋で働いていたところから付けられました。左から4番目「白鹿」は寛文2年1662年創業辰馬本家酒造です。江戸時代の看板に「宜春苑 長生自得千年寿 白鹿」と書かれていたそうですが、ここにもそのままのコピーが書かれています。

上から3段目左から4列目の「福寿」1751年創業の神戸酒心館で13代にわたりこの銘柄を作り続けています。すごい!同じく3段目の右から2番目「高砂」は1830年創業の富士高砂酒造と思われます。

4段目、一番左「岸の」は1789年創業の井上酒造と思われます。左から2列目は剣菱ですね。このマークは目立ちます。企業マークの重要性を感じます。現在も現役バリバリですね。その剣菱の一つ飛ばして右は「相生」は岩手県の1829年創業、わしの尾酒造。

5段目中央、上がりの下の「白雪」は天文19年1550年創業の小西酒造です。清酒発祥の地、伊丹にあり、現存する最古の清酒銘柄です!隣の「丹頂」は沢の鶴にこの銘柄のお酒があるので、沢の鶴でしょうか。その隣「」は寛保3年1743年創業のおなじみ、白鶴です。さらにお隣、右から2番目「鶴齢」(鶴が絵です)は享保2年1717年創業の青木酒造。コメどころ新潟県魚沼です。

6段目右から2列目は寛文5年1665年創業の盛田だと思われます。銘柄は読めませんでした、、、。

7段目一番左「雲龍」は天保10年創業の山星酒造と思われますがこの銘柄はもう作られていないかも、、、。「末廣」は嘉永3年1850年創業の末廣酒造。福島のお酒の飲み比べの時にも紹介しました!

8段目、一番下の段の左端「志ら梅」は岩手県の元禄時代創業の志ら梅酒造と思われますが、詳しいことは分かりませんでした。中央の「力士」は寛延元年創業の釜屋。埼玉県の蔵元で、現在でも「力士」の銘柄は販売してます。その隣「万上」はあのマンジョウ本みりんの万上です。文化11年には販売され大人気になりました。みりんは発売当時は甘いお酒として飲まれていましたが、江戸中期から料理に使われるようになりました。1925年に野田醤油(現在のキッコーマン)と合併され、現在でもマンジョウ本みりんは製造販売されています。

他にも現存する蔵元があるかもしれませんね。あと、読み間違いとか、同じ銘柄で蔵元が違う、とかあったらごめんなさい。そして、江戸の人は本当、酒好きですね〜。とりあえず、あとは味見だけ!どこから試そうか迷います!!

江戸前寿司

私は昭和生まれですが、当時の小学生の好きな食べ物といえば、カレーやハンバーグ、コロッケなどが上位を占めていました。平成生まれの子供たちはお寿司が1〜2位になっているそうですね。今時の子は味が分かるんだな〜と思いましたが、それ以上に昭和の時代は寿司は高級品。回らない寿司屋しかなかったので、特別な日にしか食べさせてもらえなかったけれど、今はファミレスと同じ感覚で回転寿司に行けるし、回転寿司でも十分美味しいお寿司が食べれるようになりました。

昭和からさらに時代を遡って、江戸時代はお寿司ってどんなだったのでしょう。

元々は関西の鮒寿司が「すし」でした。魚とご飯を樽に交互に入れて、半年から1年置いて熟成させると酸味が出ます。その発酵した酸っぱい、「酸し」が原型です。今は「寿司」「鮨」「鮓」などと表記しますね。江戸では文化文政頃(1800年頃)、深川の「松すし」や両国の「与兵衛鮨」が出来て、この頃に江戸前の握り寿司が出来たようです。

にぎり寿司の立ち位置は今の回転寿司に近いかもしれません。屋台で売られている、庶民の味でした。シャリは今よりも多く、1貫がおにぎりサイズ。2〜3貫食べたら満腹になりそうなくらい大きかったそうです。シャリが多いのはなんだかな〜って感じですが、魚はアジやコハダなどの近海の魚、もちろん採れたて江戸前!美味しかったんだろうな〜。港町で食べる魚介類は新鮮で美味しいですが、江戸ではそれが毎日食べられたわけですね。

握り寿司の屋台。
大通りの真ん中や十字路にはこうやって屋台を設置しても大丈夫だったそうです!
車の無い、のんびりした時代ですね。

ちなみに、現在一番人気のマグロの寿司は昭和の戦後からの話で、江戸時代には寿司としては食べられていませんでした。マグロは一番下等な安い魚とされていたようですが、普通のおかずとしては食べられていて、おかず番付には「マグロから汁」「マグロきじ焼き」などが載っています。当時は加熱調理して食べていた様です。どんな味だったのでしょうか。マグロは刺身じゃ無くても美味しいですからね。さらに、安くて庶民の味方。美味しそう。食べてみたい!

一口に寿司と言っても、色々あって、稲荷鮨や、鯖を背開きにして酢飯を詰めた鯖鮓、海苔巻き、コハダの鮓売りもいて、日本人は粗食と言われていますが、意外と豊かな食生活を送っていました。

遊郭について〜その6〜岡場所

吉原遊廓は政府公認の遊郭でした。しかし吉原以外の政府非公認の遊里(売春街)も多数存在していました。風紀が乱れることから幕府が吉原1箇所に集めて取り締まろうとしたようですが、実際には幕府の取り締まりは緩く、各所に「岡場所」と言われる遊里が存在していました。この「岡」は非公認という意味で、「岡っ引き」の岡も同様で非公認だったそうです。

ちょっと話は外れますが、普段から庶民に対する幕府の取り締まりは緩かったようで、幕府から何か法度が出ても「三日ぐらい守っていればいい」なんて言う、「三日法度」なんて言葉がありました。

吉原について〜その5〜吉原のしきたり」で詳しく説明していますが、吉原は遊女に階級があり、しきたりも多く、何よりも高級なので庶民はなかなか通えない場所でした。そうなると、街中にある岡場所が繁盛します。一晩を四つに区切るなどして多くの客を取っていたようです。枕代は五十文や百文で、現代だと数千円といったところでしょうか。吉原だと数十万は掛かりますから、庶民でもかなり気楽に通えた場所なのでしょう。

最盛期には200ヶ所、数千の遊女がいました。深川と、品川、新宿、板橋、千住の四宿が代表的ですが、四宿は江戸市外なので、江戸市中では深川が一番繁盛し、吉原のライバル的な存在でした。深川には10ヶ所点在して岡場所があり、宴会も開かれ、深川芸者(辰巳芸者)が有名になりました。(深川芸者については吉原芸者VS柳橋辰己芸者→深川芸者 をご覧ください。)

「深川樓」鈴木春重 江戸時代・18世紀 中判 錦絵
二人が遊女なのかちょっと分かりませんが深川の宴会に出向く美女。
宴会をしている男が障子の穴から覗いているのが、
この後の展開を暗示しているようです。
右の女性だけ草履を履いているのは何故でしょう??日本人だよね〜。
と思ったら、吉原でも花魁は室内用の草履を履いたそうです。
スリッパみたいな感じですね。ファッション的な意味でしょうか。

その他に、寺社地内は町奉行の取り締まり外になるので大きな寺社の門前水茶屋には遊女がいました。バチ当たりだな〜、と思いますが、寺と神社が同じ敷地にあるし、さらに門前に水茶屋があって、江戸の人って、、、。幕末に日本を訪れた外国人が日本は性に奔放だ、と言っていましたが、性がタブー視されるようになったのは明治以降にキリスト教的(西洋的)な考えが普及してからなので、本当、艶っぽい話題には事欠きません。

『実見録画』より「長家女郎に船饅頭」長谷川深造 幕末期 
長家女郎は下級の遊女のこと。岡場所は長屋風の作り。
昔の時代劇にあるように、「お兄さんちょっと寄って行きなさいよ」と声をかけていました。
船饅頭は船で客を取る遊女。
この絵では一つの船にたくさん遊女を乗せて、客が待っている船に出向く時の様子。
遊女の船に客を呼ぶこともある。
川と水路が張り巡らされた江戸で船は重要な乗り物ですが、こんな所でも活躍。

寛政年間には53ヶ所、天保年間には28ヶ所の岡場所がありましたが、寛政と天保の改革で厳しく取締りがあり、遊女は吉原に引き渡されて市内の岡場所はなくなりました。

岡場所以外に、街角で立って客を呼ぶ「夜鷹」や船に客を呼ぶ「船饅頭」、尼(比丘尼)の格好をした「比丘尼」(そのままの呼び名ですが、、、)などの私娼も多くいました。

熈代勝覧

「熈代勝覧」複製絵巻を見に行ってきました文化2年(1805年)神田今川橋から日本橋までのおよそ七町(760m)を描いた絵巻物です。ベルリン国立アジア美術館収蔵の作品ですが、東京メトロ銀座線、半蔵門線「三越前」駅、地下コンコース内に約1.4倍に拡大した複製画を展示しています。

東京メトロ銀座線、半蔵門線「三越前」駅 地下コンコース内
(日本橋三越本店本館 地下中央口付近)
全体サイズ 長さ16.8m×幅1.53m原画(長さ12.3m、幅0.43m)の絵画部分(長さ10.55m)を約1.4倍に拡大
地下通路ですので誰でも気軽に見れます。

こちらは洛中洛外図のように詳細に江戸の様子が描かれています。作者は不明ですが、浮世絵師のタッチなので、当時の有名な浮世絵師の作品のようです。浮世絵と言ってもパースも比較的しっかりとしていて人物描写も漫画のようで現代人でも見易いです。

画質が悪く見にくくて申し訳ないです(>_<)
地上に上がると現在の日本橋なので、是非見に行ってみてください。

文化2年当時の1軒1軒の商店の様子や、さまざまな仕事をしている職人、町人、武士、屋台、ボテ振り、籠屋などなど、犬もたくさん描かれ、江戸の繁栄期の歴史的資料としての価値とともに、風景は精密に、人物は一人一人が生き生きと描かれていて絵画としても素晴らしい作品です。

江戸は女性が男性の半分しかいなかったそうですが、こちらの絵画も圧倒的に男性が多いですね。大勢の人が集まり、日本橋のたもとの魚河岸はラッシュ並みの混雑です。これは喧嘩も起こるかも、ってしっかり喧嘩してる男の人も描かれています。

小学館から熈代勝覧の本が出版されています。
詳しく説明されているので鑑賞用としても楽しいですし、
江戸文化を簡単に学ぶことも出来ます。

『熈代勝覧』の日本橋 (アートセレクション) [ 小澤 弘 ]

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感想(5件)

表通りの2階建ての瓦屋根の商店がズラっと並んだ街並みはきっと美しかったんだろうな〜と想像します。現在川越にも明治時代の建物ではありますが、蔵造の街並みが残っていますが、駅からだんだんと近いてビルの先に蔵造の建物が見えてくると、良い意味での違和感があり、ワクワクします。元々はそのような風景が江戸の町だった訳ですね。

ヨーロッパの古い街並みで、同じ色の壁と屋根の、お伽話に出てくるような可愛らしく美しい街が残っておますが、それと同じように、江戸も美しかったに違いないと思います。

こちらの作品は「熈代勝覧 天」とあるので、「地」もしくは「地・人」と、2巻ないしは3巻の作品だと思われていますが、残念ながらまだ発見されていません。ドイツでこの作品が見つかった時も始めは中国美術だと誤解されたそうなので、ヨーロッパにあった場合、よくわからない絵画としてどこかの個人宅の倉庫に眠っているかもしれませんね。でも日本にあったら空襲などで焼けてしまった可能性もあるので、ヨーロッパにあったほうが、見つかる可能性は高いような気がします。

川越情報〜グルメ情報〜

先日川越の老舗鰻屋「東屋」さんに行ってきました。以前テレビでも紹介されていた、川越の有名店です。明治元年(1868年)創業。現在の建物は大正時代に建てられたそうで、お庭もあり、昔懐かしいような、落ち着いた佇まい。

個室ですっかり和んでしまいました。ちょっと奥の部屋だったようですが、窓から覗けるお庭の緑が美しく、子供の頃住んでいた縁側のある古い家を思い出して郷愁に浸ってしまいました。

肝心の料理です。うな重の上を頼んだのですが、タレが甘すぎず、うなぎの味も感じられて、美味しく頂きました。今まで、うなぎはタレで食べる、とか思っていたのは間違えでした、、、。甘すぎないお陰で、最後まで飽きずに食べられるし、また食べたくなる味でした!

今回はランチだったこともあり、お酒は抜きだったので、個室の良い雰囲気で、二人で一万円弱、というのはコスパ良いです!大満足のランチでした!!喜多院の参道からちょこっと入ったところで、観光にも便利です。ちなみに予約必須です。この日も全て予約で埋まっていたらしく、予約無しのお客さんは断っていました。

もう一件ご紹介します。ちょっと前、秋に行ったのですが、HATSUNEYA GARDENのcaféです。150年前にできた料亭がレストランとcafeになっています。時の鐘からすぐそばの人気店で行列が出来てました。趣があっておしゃれ。レストランはフレンチに和風テイストをアクセントにしているそうで、結婚式もできるようですね。素敵。こちらのレストランは未経験ですが、caféは落ち着く空間でした。老舗って言うよりも、クラシックでおしゃれ。そんなcaféが川越にもあるんですね〜。テラス席もありますが室内も天井が高くて開放的です。

娘が抹茶ティラミスとりんごジュース、
私はほうじ茶ティラミスと洋梨のソーダ注文しました。
美味しかった~!至福の時です!

メニューは変更されているかもしれませんのでHPからご確認ください

HATSUNEYA GARDEN café

https://hatsuneya.jp/cafe

北国街道〜その2〜

次男の誕生日に、祖母が1532年創業の老舗酒造・山路酒造の「北国街道」純米吟醸を買ってくれたので御相伴に預かりました〜!(このお酒が良い、とリクエストしました)

2月に購入した時は純米酒だったので、ワンランクアップ!純米酒はあっと言う間に無くなってしまったので、楽しみにしていました(息子のだけど)♪( ´▽`)

祖母の絶品、鯵のたたき(なめろう風)をつまみに飲みました。純米酒よりもコクがあり、味が濃くて美味しい!今回は一升瓶だけど、すぐ無くなりそうです、、、。飲み過ぎ注意。

他にも季節もののようですが、にごり酒や山おろしとか、前回買った純米酒もさっぱりして美味しかったのでこれもまた欲しいな、とかパンフレット見ながら次を考えています。奈良漬や他の食品も魅力的。前回奈良漬を購入した時に余った酒粕できゅうりをつけたのですが、奈良漬の浅漬け?みたいになって美味しかったです!二倍楽しめました。

山路酒造さんの素敵なHPはこちらから。

https://www.hokkokukaidou.com

遊郭について〜その5〜 吉原のしきたり

「夕もやが柳をほのかにぼかし、黄昏燈(たそやあんどう)に火をつける頃になると、各楼の美しいともしびは星のように輝き、絃声(すががき=三味線の音)が聞こえてくる。」と寺門静軒の『江戸繁盛記』にあります。イルミネーションが無かった江戸の夜に、行燈の火で明るく輝き、三味線の音が流れ、妖しい雰囲気を醸し出す吉原が目の前に広がるようです。

張見世・妖しい光に引き寄せられます

そんな吉原には色々なしきたりがありました。吉原は疑似恋愛をする場所なので、廓のしきたりに則って手順通りに進めねばなりません。当然費用も嵩んで行きますし、そんなに簡単に遊べる場所では無かったのです。

まずは遊郭に行って一般の客は直接妓楼の張見世でお気に入りの花魁を見つけますが、お金持ちの上客は引き手茶屋を通します。この引き手茶屋は予算や好みを聞いて、お客にあった花魁を紹介してくれる茶屋ですが、話を聞いてすぐ紹介、という訳には行きません。茶屋ですのでここで酒宴をあげ、花魁が迎えにきてくれます。

茶屋を通しても通してなくても、花魁を一目で気に入ったからと言ってすぐに床を共にはできません。なんと、3回通わないといけないのです。まず1回めは「初会(しょかい)」です。「引付座敷」というところに通され、酒宴で花魁に出会います。上座は花魁。初めて会ったのですから、床入りしても触れることも叶わない。でもこの酒宴代ももちろん客持ちです。

2回目は「うら」と言われ、1回目と同じように酒宴となりますが、少し親しさを見せてくれます。3回目でようやく馴染みの客となり、床入りできますが、今度は「床花(とこばな)」と言われるチップをはずまなかればなりません。

馴染み客

さらにその後も他の花魁と遊ぶことは厳禁。吉原では花魁が最上位ですから、花魁の機嫌を損ねてはいけません。また年中行事が多く、正月松の内をはじめとして花見や月見など毎月、吉原独特の祝い日などの「紋日(もんび)」を設けていました。いわゆるイベントデーでこの日は揚代が倍になりました。この日にお客がいないのは花魁の恥になるので、馴染みの客は足を運びます。というとまた費用が、、、。その他もろもろ、上位の花魁だと一回の揚代(1日の全ての料金)で職人の日当数ヶ月分になるそうなので、だいたい、百万円ってところでしょうか。これでは身代を潰す者が出てきても不思議ではありません。それでもハマってしまう人がいるのですから魅力的だったのでしょう。もちろん花魁も上客が離れないように努力は惜しみません。芸を磨いたり知性やテクニックを磨いたり。さらにお客の名前を刺青したり、小指を落として送ったり、、、。やはり色々別世界。

北廓月の夜桜 歌川国貞(三代豊国)筆 19世紀 横大判錦絵
北廓(ほっかく)とは、吉原のこと。旧暦3月の紋日の様子です。
中の町にはこの時期に合わせて桜が植えられました。大変な賑わいです。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)国立文化財機構所蔵品統合検索システム

Veuve Clicquot(ヴーヴ・クリコ)

珍しく今回は久しぶりに飲んだシャンパンを紹介します!20代前半の頃に友人に教えられて(生意気だな)それ以来大ファンのヴーヴ・クリコ。息子の誕生日に久しぶりに飲みました♪( ´▽`)

超有名シャンパンですし、某有名三つ星フレンチレストランでも採用されてるイエローラベルですが簡単に説明を。1772年創業の老舗ワインメーカーです。ここに嫁いだマダム・クリコが亡き夫に代わり、事業を引き継ぎ1810年にシャンパーニュ地方初となるヴィンテージシャンパンの醸造に成功しました。212年前ですね。

このマダム・クリコが凄い人でした。当時はまだ女性がビジネスで活躍できる時代ではありません。早くに夫を亡くしたという不遇がきっかけではありますが、バイタリティとアイデアのある女性で、高品質のシャンパンを作り、そして売り込み、ビジネスとして成功しました。キャリアウーマンの先駆けですね。19世紀のキャリアウーマンといえばココ・シャネルですが、彼女が1883年生まれ。きっとシャネルもイエローラベルを飲みながらマダム・クリコを尊敬していたのではないでしょうか。

そしてクリコの代表的なイエローラベルは1877年に誕生しました!今も世界中で愛されていますね。やはり特別な日にしか飲めませんが、特別感を盛り上げてくれるのはシャンパンです!美味しくいただきました!

おまけですが。ヴィンテージシャンパンってなに?と言うことで調べてみました。ヴィンテージシャンパンは出来が良い同じ年の葡萄のみを使って製造し、最低熟成期間3年のシャンパンのことです。全てのシャンパンの2割程度しか製造されていないそうです。ノンヴィンテージは葡萄の収穫年が限定されず、15ヶ月以上の熟成期間があるものになります。なので庶民が飲めるのはノンヴィンテージですね、、、。なるほど、だからラベルに製造年が記載されていないのか、、、。それでも十分美味しいです!

川越観光(穴場情報)

最近急に暖かく(暑く?)なってきましたね。連休も近いのでお出かけしたくなります。ここ数年、東京近くの観光地、川越が人気です。週末はコロナの影響も薄まってるのか、人が多く、ちょっとびっくり。そんなことで、おすすめ穴場情報です。

時の鐘近く、人通りがちょっと少ない裏道を行くと「旧山崎家別邸」があります。こちら、国指定の重要文化財で、川越の老舗和菓子店「亀屋」の五代目の隠居所として大正14年(1925年)に建てられた和洋折衷のお屋敷ですが、まさに穴場です。休日の午後3時頃行ったのですが、私たちの前に1組、帰る時に1組、と人が少なくゆっくり見学できます。特に午後の方が人が少ないようですね。しかも、入館料大人100円、学生50円、中学生以下無料! 

小さめの邸宅ではありますが、まさに大正ロマン風情のある建物で、ステンドグラスが所々あしらわれていて可愛い。木と畳の和の空間は落ち着くので、人も少ないこともあって、縁側でちょっとのんびりしちゃいます。小さめなので、あともう1か所どこか寄りたい、っていう場合にもおすすめです。でも、こんな素敵な文化財を見てもらえないなんてもったいない!

蔵の街からちょっと距離はありますが、「川越城本丸御殿」です。東日本唯一現存の本丸御殿で、県指定有形文化財です。なのに、ここも混んでないですね〜。入館料大人100円、学生50円、中学生以下無料ですよ!お城の広間ってこんな感じだったのか、とか、廊下広いな、とか、実体験できます。全国各地に城がありますが、城の象徴である天守閣は戦国時代に必要だったもので、平和な江戸時代には、この本丸御殿での日常の業務が城の重要な役割だったわけで、この本丸御殿の中を役人が行き交い職務に励んでいたのかな、とか想像を巡らせてしまいます。

本丸御殿の向かいにあるのは「三芳野神社」。わらべうた『とおりゃんせ』発祥の地です。もともと川越城内にあったため、一般の人の参拝がなかなかできなかったため、このように歌われたと伝えられています。こちらも県指定文化財です。数年前に修復工事がされたようで、綺麗でした。森林浴をしてホッと一息。鳥居の近くにはなんと猫ちゃんがお出迎えしてくれます!人懐っこくって、猫好きには絶対オススメです!

穴場ではないですが、、、。

本丸御殿と合わせて喜多院の江戸城紅葉山の別殿を移築した客殿も見ていただきたいです。三代将軍家光の「誕生の間」もあり、皇居では見れない、江戸城の一部がここに残っています。ただ、こちらは穴場とは言い難いです、、、。庭園もあり、のんびりしたいけど、混んでる可能性もあります。喜多院の奥には仙波東照宮があります。岩佐又兵衛の三十六歌仙が見つかったところですね!(ちなみに三十六歌仙は「埼玉県立歴史と民俗の博物館」にあるのでこちらでは見れません。詳しくは「三十六歌仙額」のページをご覧ください)こちらは小さくコジンマリしているので、気が付かない人も多いのか、人が少なく、穴場です!

中村は城のCGを製作するのに、この江戸城本丸御殿と喜多院の客殿を参考にしています。本物ですからね、、、。身近に本物に出会える幸せ。

アクセスや開園時間等は川越市観光スポットページからご確認ください。https://www.city.kawagoe.saitama.jp/welcome/kankospot/index.html