遊郭について〜その4〜吉原破壊

鬼滅の刃遊郭編面白いですね〜。炭治郎と堕姫のバトル、今後の展開が楽しみですが、とうとう吉原、破壊されてしまいました、、、。せっかく作ったCGが〜!なんて、以前、刀剣乱舞でも江戸の町が炎上していました。

ところで本物の吉原は鬼に壊されることはありませんが、たびたび火災になっています。江戸は火事が多かったので吉原もその例外ではありません。吉原が火災にあってしまっても、その後そのまま再建して営業を行いました。でももちろん一朝一夕に再建できる訳はありません。再建する間は仮住まいとして吉原の近くで営業していました。

この臨時の遊郭を仮宅(かりたく)といいます。幕府から許可されていますが、10ヶ月と期限が決められていました。一つの町が僅か10ヶ月で再建できてしまうなんて、当時は火事が多く、それに対しての備えが江戸にはあった、という証拠です。

仮宅の妓楼は浅草辺りに分散してあり、店の格の順序も無く、大小が雑居していました。馴染みのお客は花魁に火事見舞いに来ました。通常吉原では客にも色々なマナーがあるのですが、この仮宅は狭いためか、そういった堅苦しいことはあまり厳しく無く、繁盛していました。普段と違う様子を見に来る見物人も多かったそうです。もちろん吉原が再建されれば、新しくなった吉原を見ようと大勢の人が押し掛けるので更に繁盛しました。

炭治郎たちが鬼を退治した後も仮宅が作られ、10ヶ月で吉原が再建され、繁盛したのでしょう。

葛飾北斎 扇屋の新年 文化8〜11年頃(1811〜1814年) 大判錦絵五枚続き 
吉原の大店妓楼、扇屋の内部の様子を描いた作品。お正月の慌ただしい感じが伝わってきます。
左の酒樽に剣菱が見えます!!他の2つは調べてみましたが不明。
(仮宅の浮世絵もあるようですがこちらは通常の扇屋です。古い図版から撮ったので画像の乱れはご容赦ください)

図版の左にある酒樽ですが、三つあるうちの真ん中上にあるのは、版元「伊勢屋」のマークでした。失礼致しました。